2002年フェルナンド・メイレレス監督 アレクサンドル・ロドリゲス 、レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ 、セウ・ジョルジ 、アリス・ブラガ 、ダグラス・シルヴァ
<解説>
ブラジルのスラム街に生きる少年たちの姿をパワフルに描いたドラマ。監督はこれが日本初登場となるフェルナンド・メイレレス。共同監督はカチア・ルンヂ。脚本はこれが初長編となるブラウリオ・マントヴァーニ。原作はパウロ・リンスの同名ノンフィクション小説。出演は、本作で長編映画デビューとなる多くの新人たち、「セントラル・ステーション」のマテウス・ナッチェルガリほか。2002年マケラシュ映画祭監督賞、同年アメリカン・フィルム・インスティテュート映画祭観客賞、同年ハヴァナ国際映画祭9部門など受賞。
<あらすじ>
1960年代後半、リオデジャネイロ郊外に新設された公営住宅シティ・オブ・ゴッド。そこに住む強盗の青年カベレイラ(ジョナタン・ハーゲンセン)は、弟分リトル・ダイス(ドグラス・シルヴァ)の考案したモーテル襲撃事件がもとで、警察に銃殺される。70年代に入り、他の街に身を隠していたリトル・ダイスは、リトル・ゼ(レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ)と改名し、シティ・オブ・ゴッドを乗っ取るために戻ってくる。
<感想>
「ナイロビの蜂」のフェルナンド・メイレレス監督作品。
私はすごく面白かった。
でも、面白がっていてもいいのか?
事実を基にした物語。
まるでドキュメンタリーのように撮られているが、そこにはすごく計算されているカメラワークがある。
ひとつひとつのシーンに細かい情報がいっぱい含まれている。
残酷なシーンを残酷と感じさせない。
非情を描いていても、一人一人の人生やシチュエーションをすごくきめ細かく説明してくれる。
しかも、言葉ではなく映像で。
何人の人生が描かれたのだろう。
すごい映画だなあ。
まず、主人公ブスカペ。シティオブゴッドと呼ばれるスラムで育った。
兄は、ギャングでモーテル襲撃事件の果てにリトル・ゼに殺されている。
彼自身はジャーナリスト志望で、それが彼が悪の道へ行くことの歯止めとなっている。
次に、リトル・ゼ。
彼は幼い時から、人を殺すことに会館を覚え、もはや人間と呼べるものではない。
こういう悪人がどうして生まれるか、この映画は教えてくれる。
モーテル襲撃事件で悪の道への地固めをする。
その親友ベネ。
リトル・ゼに人間らしいところがあるとすれば、このベネの存在だ。
ベネは悪党でも、みんなに愛されている。
ベネに恋人ができ、この世界から足を洗うお別れ会に、たくさんの人が集まり、彼の門出を祝ってくれたが、リトル・ゼの命を狙うものによって、誤って撃たれ、非業の死を遂げる。
最後に、男前のマネ。
シティオブゴッドからまっとうな方法で外の世界へ出て行くことを考えている真面目なバスの車掌。
しかし、リトル・ゼに恋人をレイプされ、叔父と弟を殺され、家まで蜂の巣にされて、リトメ・ゼの対立相手セヌーラと組み、結局ギャングになってしまう。
自分でも意識せずに、銀行のガードマンを殺してしまい、その息子から仇と狙われて結局、彼に撃たれて死んでしまう。
恨みが恨みを呼ぶ典型。
抗争の結果は、セヌーラとリトル・ゼは逮捕されるが、リトル・ゼは警察もお金で手名付けていたため、開放される。
でも、自分が育てて、武器まで支給したガキ軍団に蜂の巣にされて死んでしまう。
シティオブゴッドはリトル・ゼジュニアたちが銃を振り回しながらはしゃいでいる。
ブスカペはリトル・ゼ死亡の写真を撮って、ジャーナリストへの道を歩み始める。
もちろん、この映画の根底には、貧困、無知、麻薬、暴力などの問題があり、それを避けては通れない。
でも、そういうのがあって当たり前の世界の話。
いいとか、悪いとかではなく、この町には当然のごとくあるんです。
それでも、人は生きていかなくてはならない。
監督はいろんなケースをたくさん、観客に提示したかったんだと思う。
「ナイロビの蜂」でもそうだったけど、人類は人間性の喪失という、すごい深みにはまりかけているんじゃないだろうか。
何一つ解決策を見いだすことなく、映画は終わってしまった。
すごく、面白かったけど、面白いという感想は不遜な気がする。
<解説>
ブラジルのスラム街に生きる少年たちの姿をパワフルに描いたドラマ。監督はこれが日本初登場となるフェルナンド・メイレレス。共同監督はカチア・ルンヂ。脚本はこれが初長編となるブラウリオ・マントヴァーニ。原作はパウロ・リンスの同名ノンフィクション小説。出演は、本作で長編映画デビューとなる多くの新人たち、「セントラル・ステーション」のマテウス・ナッチェルガリほか。2002年マケラシュ映画祭監督賞、同年アメリカン・フィルム・インスティテュート映画祭観客賞、同年ハヴァナ国際映画祭9部門など受賞。
<あらすじ>
1960年代後半、リオデジャネイロ郊外に新設された公営住宅シティ・オブ・ゴッド。そこに住む強盗の青年カベレイラ(ジョナタン・ハーゲンセン)は、弟分リトル・ダイス(ドグラス・シルヴァ)の考案したモーテル襲撃事件がもとで、警察に銃殺される。70年代に入り、他の街に身を隠していたリトル・ダイスは、リトル・ゼ(レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ)と改名し、シティ・オブ・ゴッドを乗っ取るために戻ってくる。
<感想>
「ナイロビの蜂」のフェルナンド・メイレレス監督作品。
私はすごく面白かった。
でも、面白がっていてもいいのか?
事実を基にした物語。
まるでドキュメンタリーのように撮られているが、そこにはすごく計算されているカメラワークがある。
ひとつひとつのシーンに細かい情報がいっぱい含まれている。
残酷なシーンを残酷と感じさせない。
非情を描いていても、一人一人の人生やシチュエーションをすごくきめ細かく説明してくれる。
しかも、言葉ではなく映像で。
何人の人生が描かれたのだろう。
すごい映画だなあ。
まず、主人公ブスカペ。シティオブゴッドと呼ばれるスラムで育った。
兄は、ギャングでモーテル襲撃事件の果てにリトル・ゼに殺されている。
彼自身はジャーナリスト志望で、それが彼が悪の道へ行くことの歯止めとなっている。
次に、リトル・ゼ。
彼は幼い時から、人を殺すことに会館を覚え、もはや人間と呼べるものではない。
こういう悪人がどうして生まれるか、この映画は教えてくれる。
モーテル襲撃事件で悪の道への地固めをする。
その親友ベネ。
リトル・ゼに人間らしいところがあるとすれば、このベネの存在だ。
ベネは悪党でも、みんなに愛されている。
ベネに恋人ができ、この世界から足を洗うお別れ会に、たくさんの人が集まり、彼の門出を祝ってくれたが、リトル・ゼの命を狙うものによって、誤って撃たれ、非業の死を遂げる。
最後に、男前のマネ。
シティオブゴッドからまっとうな方法で外の世界へ出て行くことを考えている真面目なバスの車掌。
しかし、リトル・ゼに恋人をレイプされ、叔父と弟を殺され、家まで蜂の巣にされて、リトメ・ゼの対立相手セヌーラと組み、結局ギャングになってしまう。
自分でも意識せずに、銀行のガードマンを殺してしまい、その息子から仇と狙われて結局、彼に撃たれて死んでしまう。
恨みが恨みを呼ぶ典型。
抗争の結果は、セヌーラとリトル・ゼは逮捕されるが、リトル・ゼは警察もお金で手名付けていたため、開放される。
でも、自分が育てて、武器まで支給したガキ軍団に蜂の巣にされて死んでしまう。
シティオブゴッドはリトル・ゼジュニアたちが銃を振り回しながらはしゃいでいる。
ブスカペはリトル・ゼ死亡の写真を撮って、ジャーナリストへの道を歩み始める。
もちろん、この映画の根底には、貧困、無知、麻薬、暴力などの問題があり、それを避けては通れない。
でも、そういうのがあって当たり前の世界の話。
いいとか、悪いとかではなく、この町には当然のごとくあるんです。
それでも、人は生きていかなくてはならない。
監督はいろんなケースをたくさん、観客に提示したかったんだと思う。
「ナイロビの蜂」でもそうだったけど、人類は人間性の喪失という、すごい深みにはまりかけているんじゃないだろうか。
何一つ解決策を見いだすことなく、映画は終わってしまった。
すごく、面白かったけど、面白いという感想は不遜な気がする。