ー10.1.8~18 旅倶楽部「こま通信」手造りの旅<ナイルクルーズ>ーパート6
<アスワンからアブシンベルへ>
朝目覚めたら、もう船はアスワンの町に着いていました。
船で朝食を食べたら、荷物を出してお別れです。
船のフロント。チェックアウトの様子
チェックアウトのときに冷蔵庫を申告しました。
54.5ポンド(1ポンドは約18円)。
私は100ポンド出しておつりを待っていました。
そうしたら、小銭がないらしいのです。
で、私の100ポンドを持ってボーイさんが船の中をうろうろし始めました。
でも、両替できなかったようです。
しかたがないから、私は100ポンド返してもらって、20ポンド札3枚を出しました。
おつりは5.5ポンド、ですよね?
レジの奥からしわくちゃなお札をなんとか2ポンド出してきたけど、それ以上はないようです。
どうするのかなあ、と思っていたら、フロントのホテルマンが自分の財布を取り出して1ポンドくれました。
でも、まだ足りないよねー。
そこへ、ツアコンの小松さんが「どうしたの?」と入ってくれて、「おつりがない」話をしたら、小松さんが1ポンド出してくれて、私が1ポンド泣いて、三方1損で丸く治まる、かあ?????
ホテルマンは小松さんに「さんきゅ」ですって。
これがエジプト式かと、呆れてしまいました。
小松さん、全然関係ないのに、迷惑をおかけしましたね。
さて、バスに乗って、オベリスクの採掘現場へ向かいます。
ここは、赤御影石の山です。
アスワンの特産ですって。
素敵ですねえ。
無事切り出していたら世界最大のオベリスクになるはずだったけれど、ひびが入ってそのまま放置されたオベリスクを見ることができました。
このオベリスクにたどり着くまでの、石段も坂道もみんな赤御影石です。
うちの玄関にもって帰れませんか?
アスワンハイダムの記念碑も大きな赤御影石でできていたし、歩道も赤御影石が敷き詰めてありました。
エジプトにとって、アスワンハイダムはとても大切な施設です。
ナイル川は毎年夏に氾濫し、洪水を起こしていました。
アスワンにはロウダムとハイダムがあって、ロウダムはイギリスの援助で1901年に建設されました。
これだけでは不十分だと考えたエジプト政府は、1952年にハイダムの建設計画を始めるが、エジプト革命が起こり、イギリスが撤退して計画は中止となった。
革命政府は、ダムの建設にむけて資金調達を始め、そのためにナセル大統領はスエズ運河の国有化を決める。
それが第2次中東戦争の発端となった。
1958年、ソ連が建設資金と資材の提供を申し出た。
1960年に建設が始まるが、水没地域の約9万人の住人の移転や、アブシンベル神殿などの遺跡が水没してしまうというたくさんの問題があった。
アブシンベル神殿の水没については、国際社会の反対の声が強く、ユネスコの援助で巨額な費用をかけて、移転された。
アスワンハイダムは総コスト10億米ドルをかけて1970年に完成。
完成を記念した塔が湖畔に建てられていました。
現地の住民の人たちも見学に来ていました。
アスワンハイダムから上流を見る
下流を見る。水量の差が一目瞭然です。
このダムを破壊されては、エジプトの主要都市に洪水が起こるので、警戒は厳重です。
これを守るために、イスラエルとも共存しようと努力するし、守るべきものがあるというのが、平和に通じるんだなあと思いました。
バスから降りて、砂漠体験。細かいさらさらの砂です。
飛行機に乗って、アブシンベルを目指します。
約1時間。
その間、眼下に広がるのはナセル湖と砂漠ばかり。
すごい国ですねえ。
アブシンベル神殿がちらりと見えました。
期待に胸が膨らみます。
すいている時の見学がいいだろうということで、ホテルで昼食の後、すぐに出発。
観光客はほとんどいなくて、アブシンベルが貸し切り状態でした。
砂漠を歩いて神殿へ
アブシンベルの全容が私たちの目の前に。
外は撮影していいんですが、中は禁止。
まず、外の4体、1体は首が下に転げ落ちています。
全部ラムセス2世です。
内側のラムセス像に寄り添っているのがネフェルタリ。
子供たちも描かれています。
この4体のラムセスは、90まで生きたラムセスなので、微妙に年が違っていると言います。
一番奥にある4体の像は、右端がラムセス2世、左が冥界の王オシリス、真ん中はラー神ともう1体は忘れました。汗!
年に2回、1回はラムセスの誕生日だそうですが、朝日が神殿の奥まで深く差し込み、ラムセス及び3体の像を照らすそうです。
オシリスは冥界の王なので日は射さないんですって。
不思議です。
そこに至るまでの壁画は、最初の部屋にはカディシュの戦いなどラムセスの功績を表し、次の部屋ではいかにラムセスが神に祝福されているかということが描かれ、最後はこうして神となったということが描かれています。
大神殿の隣には、小神殿があり、妃ネフェルタリが祀られています。
立像が6体あって、そのうち4体はラムセス2世、王の姿や神の姿で描かれています。
ネフェルタリはハトホル女神の形で描かれています。
たっぷり時間をかけて見学した後、いったんホテルに戻って休憩。
私たちのお部屋
友達は、プールに飛び出していきました。
私は水着を忘れてしまいました。
でも、すぐに戻ってきて、とても水が冷たかったと言っていました。
夕方、アブシンベルに戻って「音と光のショー」を見ました。
始まりを待つ観客たち
あちこちで行われているけど、「ここのが一番!」と小松さんが太鼓判を押してくれました。
ここにはホテルが2つしかなくて、その泊まり客を調べてツーリストの多い国の言葉で行われるんだそうです。
なんと、ラッキーなことにこの日は日本語でした!!
暗くなって、大音響とともに、大神殿、小神殿をスクリーンに、巨大な映像が浮かび上がりました。
まず、砂に埋もれていたアブシンベルが、1800年代にヨーロッパの学者によってまたこの世に姿を現したことから語り始め、国際社会やユネスコの努力で、水没の危機から救われた様子を次々と映し出していきました。
この巨大な岩の芸術を、運べる大きさにカットしてまた組み立てるという、気の遠くなるような緻密で複雑な作業。
奇跡のようです。
そして語られるラムセス王の勇壮な生涯。
壮大な叙事詩となって私たちを包み込みました。
3000年の時を超えて、いまだ私たちに、生き生きとその生涯を語るラムセスという英雄。
アブシンベル神殿という揺るぎない建造物。
ただただ、圧倒されて見終わって、そこにはライトアップされたラムセスの姿がありました。
言葉も少なく、観客たちは暗い夜道をホテルへと帰っていきます。
空には、満天の星がきらめいていました。
アブシンベルはこれだけでは終わりません。
次の日、早起きして、夜明けを見に行きました。
そのために、飛行機の時間もずらしてもらえたそうです。
「日本人には外せない」なんて冗談を言いながら日の出を見守りましたが、これは本当に見てよかったです。
茜に染まった雲が太陽が出て来るのを待つようにたなびいて、とても神秘的でロマンティックな風景でした。
このシチュエーションで何も感じない人がいたら変でしょう?
やがて、まぶしくて目も開けていられないような太陽が昇り、当たりは一変するのです。
神殿の巨像を朝日が真っ赤に照らし、巨像は命を吹き込まれたようです。
昔の人が、ここに神を感じたのは本当に理解できると思いました。
私たちは、古代の住人となり、アスワンに戻っても、空き時間を利用して、これもまた水没を免れたイシス神殿を訪ねました。
もともと、フィラエ島にあったのですが、水没したために、神殿だけこの島にうつされ、この島の名前もフィラエ島となりました。
ボートに乗っていきました。
半ば水没していたのを救われたそうですが、とてもきれいな神殿で、古代遺跡とは思えません。
プトレマイオス王朝時代の神殿です。
女神を祀る、のちの聖母マリア信仰にもつながる感じが伝わってきました。
カフェでお茶を飲みました。
湖の青と、神殿の白、緑の木陰と赤い花。
心に刻みました。
さて、いよいよ空路カイロへ向かいます。
<アスワンからアブシンベルへ>
朝目覚めたら、もう船はアスワンの町に着いていました。
船で朝食を食べたら、荷物を出してお別れです。
船のフロント。チェックアウトの様子
チェックアウトのときに冷蔵庫を申告しました。
54.5ポンド(1ポンドは約18円)。
私は100ポンド出しておつりを待っていました。
そうしたら、小銭がないらしいのです。
で、私の100ポンドを持ってボーイさんが船の中をうろうろし始めました。
でも、両替できなかったようです。
しかたがないから、私は100ポンド返してもらって、20ポンド札3枚を出しました。
おつりは5.5ポンド、ですよね?
レジの奥からしわくちゃなお札をなんとか2ポンド出してきたけど、それ以上はないようです。
どうするのかなあ、と思っていたら、フロントのホテルマンが自分の財布を取り出して1ポンドくれました。
でも、まだ足りないよねー。
そこへ、ツアコンの小松さんが「どうしたの?」と入ってくれて、「おつりがない」話をしたら、小松さんが1ポンド出してくれて、私が1ポンド泣いて、三方1損で丸く治まる、かあ?????
ホテルマンは小松さんに「さんきゅ」ですって。
これがエジプト式かと、呆れてしまいました。
小松さん、全然関係ないのに、迷惑をおかけしましたね。
さて、バスに乗って、オベリスクの採掘現場へ向かいます。
ここは、赤御影石の山です。
アスワンの特産ですって。
素敵ですねえ。
無事切り出していたら世界最大のオベリスクになるはずだったけれど、ひびが入ってそのまま放置されたオベリスクを見ることができました。
このオベリスクにたどり着くまでの、石段も坂道もみんな赤御影石です。
うちの玄関にもって帰れませんか?
アスワンハイダムの記念碑も大きな赤御影石でできていたし、歩道も赤御影石が敷き詰めてありました。
エジプトにとって、アスワンハイダムはとても大切な施設です。
ナイル川は毎年夏に氾濫し、洪水を起こしていました。
アスワンにはロウダムとハイダムがあって、ロウダムはイギリスの援助で1901年に建設されました。
これだけでは不十分だと考えたエジプト政府は、1952年にハイダムの建設計画を始めるが、エジプト革命が起こり、イギリスが撤退して計画は中止となった。
革命政府は、ダムの建設にむけて資金調達を始め、そのためにナセル大統領はスエズ運河の国有化を決める。
それが第2次中東戦争の発端となった。
1958年、ソ連が建設資金と資材の提供を申し出た。
1960年に建設が始まるが、水没地域の約9万人の住人の移転や、アブシンベル神殿などの遺跡が水没してしまうというたくさんの問題があった。
アブシンベル神殿の水没については、国際社会の反対の声が強く、ユネスコの援助で巨額な費用をかけて、移転された。
アスワンハイダムは総コスト10億米ドルをかけて1970年に完成。
完成を記念した塔が湖畔に建てられていました。
現地の住民の人たちも見学に来ていました。
アスワンハイダムから上流を見る
下流を見る。水量の差が一目瞭然です。
このダムを破壊されては、エジプトの主要都市に洪水が起こるので、警戒は厳重です。
これを守るために、イスラエルとも共存しようと努力するし、守るべきものがあるというのが、平和に通じるんだなあと思いました。
バスから降りて、砂漠体験。細かいさらさらの砂です。
飛行機に乗って、アブシンベルを目指します。
約1時間。
その間、眼下に広がるのはナセル湖と砂漠ばかり。
すごい国ですねえ。
アブシンベル神殿がちらりと見えました。
期待に胸が膨らみます。
すいている時の見学がいいだろうということで、ホテルで昼食の後、すぐに出発。
観光客はほとんどいなくて、アブシンベルが貸し切り状態でした。
砂漠を歩いて神殿へ
アブシンベルの全容が私たちの目の前に。
外は撮影していいんですが、中は禁止。
まず、外の4体、1体は首が下に転げ落ちています。
全部ラムセス2世です。
内側のラムセス像に寄り添っているのがネフェルタリ。
子供たちも描かれています。
この4体のラムセスは、90まで生きたラムセスなので、微妙に年が違っていると言います。
一番奥にある4体の像は、右端がラムセス2世、左が冥界の王オシリス、真ん中はラー神ともう1体は忘れました。汗!
年に2回、1回はラムセスの誕生日だそうですが、朝日が神殿の奥まで深く差し込み、ラムセス及び3体の像を照らすそうです。
オシリスは冥界の王なので日は射さないんですって。
不思議です。
そこに至るまでの壁画は、最初の部屋にはカディシュの戦いなどラムセスの功績を表し、次の部屋ではいかにラムセスが神に祝福されているかということが描かれ、最後はこうして神となったということが描かれています。
大神殿の隣には、小神殿があり、妃ネフェルタリが祀られています。
立像が6体あって、そのうち4体はラムセス2世、王の姿や神の姿で描かれています。
ネフェルタリはハトホル女神の形で描かれています。
たっぷり時間をかけて見学した後、いったんホテルに戻って休憩。
私たちのお部屋
友達は、プールに飛び出していきました。
私は水着を忘れてしまいました。
でも、すぐに戻ってきて、とても水が冷たかったと言っていました。
夕方、アブシンベルに戻って「音と光のショー」を見ました。
始まりを待つ観客たち
あちこちで行われているけど、「ここのが一番!」と小松さんが太鼓判を押してくれました。
ここにはホテルが2つしかなくて、その泊まり客を調べてツーリストの多い国の言葉で行われるんだそうです。
なんと、ラッキーなことにこの日は日本語でした!!
暗くなって、大音響とともに、大神殿、小神殿をスクリーンに、巨大な映像が浮かび上がりました。
まず、砂に埋もれていたアブシンベルが、1800年代にヨーロッパの学者によってまたこの世に姿を現したことから語り始め、国際社会やユネスコの努力で、水没の危機から救われた様子を次々と映し出していきました。
この巨大な岩の芸術を、運べる大きさにカットしてまた組み立てるという、気の遠くなるような緻密で複雑な作業。
奇跡のようです。
そして語られるラムセス王の勇壮な生涯。
壮大な叙事詩となって私たちを包み込みました。
3000年の時を超えて、いまだ私たちに、生き生きとその生涯を語るラムセスという英雄。
アブシンベル神殿という揺るぎない建造物。
ただただ、圧倒されて見終わって、そこにはライトアップされたラムセスの姿がありました。
言葉も少なく、観客たちは暗い夜道をホテルへと帰っていきます。
空には、満天の星がきらめいていました。
アブシンベルはこれだけでは終わりません。
次の日、早起きして、夜明けを見に行きました。
そのために、飛行機の時間もずらしてもらえたそうです。
「日本人には外せない」なんて冗談を言いながら日の出を見守りましたが、これは本当に見てよかったです。
茜に染まった雲が太陽が出て来るのを待つようにたなびいて、とても神秘的でロマンティックな風景でした。
このシチュエーションで何も感じない人がいたら変でしょう?
やがて、まぶしくて目も開けていられないような太陽が昇り、当たりは一変するのです。
神殿の巨像を朝日が真っ赤に照らし、巨像は命を吹き込まれたようです。
昔の人が、ここに神を感じたのは本当に理解できると思いました。
私たちは、古代の住人となり、アスワンに戻っても、空き時間を利用して、これもまた水没を免れたイシス神殿を訪ねました。
もともと、フィラエ島にあったのですが、水没したために、神殿だけこの島にうつされ、この島の名前もフィラエ島となりました。
ボートに乗っていきました。
半ば水没していたのを救われたそうですが、とてもきれいな神殿で、古代遺跡とは思えません。
プトレマイオス王朝時代の神殿です。
女神を祀る、のちの聖母マリア信仰にもつながる感じが伝わってきました。
カフェでお茶を飲みました。
湖の青と、神殿の白、緑の木陰と赤い花。
心に刻みました。
さて、いよいよ空路カイロへ向かいます。