ーダーウィンの悪夢ー
2004年 オーストリア/ベルギー/フランス フーベルト・ザウパー監督
【解説】
数百種の固有種のすみかで、“ダーウィンの箱庭”と呼ばれていたヴィクトリア湖に放たれた外来魚が巻き起こす悪夢を追ったドキュメンタリー。カメラはナイルパーチ景気に湧く魚輸出業者と、新しい経済が生み出した貧困の光と影を映し出す。そして、魚を運ぶためにアフリカにやってくる飛行機が積んでいるものの正体が、徐々に明らかになっていく。世界規模で行われている搾取の実態が描き出されている衝撃作だ。
【内容】
半世紀ほど前、タンザニアのヴィクトリア湖に何者かが外来魚ナイルパーチを放流する。その後、この肉食の巨大魚は増え続け、湖畔にはこの魚を加工して海外に輸出する一大魚産業が誕生する。セルゲイら旧ソ連からやって来るパイロットは、一度に55トンもの魚を飛行機で運び、彼らを相手にエリザたち町の女性は売春で金を稼ぐ。 (シネマトゥデイ)
【感想】
アフリカ・タンザニアにあるヴィクトリア湖。
機影を映してムワンザ空港から飛行機が飛び立ちます。
とても美しい映像です。
でも、この湖は生態系が崩壊した、病んだ湖なのです。
始まりは誰かが放流したバケツ1杯のナイルパーチと呼ばれる肉食の稚魚。
この魚は、たちまち湖の魚を食いつくし、この魚とワニしか住まない濁った湖となりました。
しかし、この魚は巨大で白身で美味、高値で売れる魚だったのです。
近隣の村は従来農業で生計を立てていましたが、この魚が商売になるとわかると、みんな一斉に漁民となって魚を捕るようになりました。
ところが、ヨーロッパ資本が入り、加工工場ができ、現地の人の口には入らない高級魚となりました。
輸出先はヨーへロッパと日本。
日本は一番のお得意さんだそうです。
それでも魚を捕り続けなければならない人々。
工場から捨てられる魚のアラを、さらに加工して食べる。
田畑は荒れ果て、漁のために湖近くで生活する男たちは売春婦と関わってエイズとなり、女たちは夫を失い売春婦となる。
キリスト教の牧師は「女性たちに売春婦はやめるように言っていますが、コンドームの使用はすすめません。キリストの教えに反しますから」と言うだけでした。
子供たちはストリートチルドレンに。
少ない食べ物を奪い合ったり、大人に殴られたり。
恐怖から逃れるために幻覚剤を吸っている子もいました。
この幻覚剤は魚の梱包材から作られていました。
「飛行機は来る時は何を積んでいるの?」
「空っぽで来て、魚をたくさん積んで帰るんだよ」現地の漁師。
取材する人は諦めません。
「大きな箱を積んできたよ。中身は援助物資とか、何かの機材じゃないの?興味ないよ」と飛行機の技師。
でも、実は武器を運んでいることは、現地では周知の事実のようです。
これが、コンゴやルワンダの紛争地域で使われるらしいのです。
パイロットが言います。
「僕はアンゴラへ武器を運んだことがある。帰りはヨハネスブルグからぶどうを運んだ。アフリカの子供たちはクリスマスに武器をもらい、ヨーロッパの子供たちはぶどうをもらうというわけさ」
アフリカを取り上げた映画がここ数年増えているような気がします。
しかも、どの映画も簡単に答えが見つからない、難しい問題をいくつも抱えた複雑なものばかりです。
この作品もその一連でしょう。
ダーウィンの箱庭と呼ばれたヴィクトリア湖。
その豊かな生態系がたった半世紀の間に、いとも簡単に破壊されてしまうことへのショック。
ヨーロッパの名前で呼ばれる湖で生活するヨーロッパの名前を持った貧しきアフリカの人々。
途上国援助という名で行われている外国資本による搾取。
資源の見返りに武器を手渡されて殺しあわなければならない人たちの悲劇。
ナイルパーチの主な輸出先はヨーロッパや日本。
白身魚の名の下に、今夜の食卓を彩っているかもしれないナイルパーチ。
この作品は、アフリカの悲劇と私たちがつながっていることを示唆していました。
経済格差が広がっています。
日本でも社会問題化しています。
国々の間でも格差が広がっています。
富は強い人へ、貧困は弱い人へ押し付けられます。
彼らは生きていくために自然を破壊し、食い尽くすしか生きる道が残されていないのです。
自然破壊が進むと、富を得た人々も無事ではいられないでしょう。
私たちは地球しか持っていないんです。
この環境でしか生きられないんだから、アフリカの貧困や飢餓をなんとかしないと、人口爆発も、エイズも、地球温暖化も、何も止められなくなってしまいそうです。
いろんな国が宇宙ステーションの実験を熱心にやっていますが、まさか、いつか地球を捨てて逃げ出す気ではないでしょうね?
この作品は、何かを告発したり、真実を突き止めようとしたりしているわけではありません。
脈絡なく、いろんな映像やインタビューが流れて、荒っぽい手法だなと思いながら見ていました。
結局、その手法が見た人にいろんなことを考えさせる作品になっていると思いました。
ただ、「ルワンダの涙」でも感じたことですが、現地の人々や政治家が、それぞれの国の幸せのためにビジョンを持って努力することからしか、何も始まらないと思います。
そして、先進国は正しい支援をすることです。
私はもう少し、人類の智恵に希望を持ちたいと思います。
2004年 オーストリア/ベルギー/フランス フーベルト・ザウパー監督
【解説】
数百種の固有種のすみかで、“ダーウィンの箱庭”と呼ばれていたヴィクトリア湖に放たれた外来魚が巻き起こす悪夢を追ったドキュメンタリー。カメラはナイルパーチ景気に湧く魚輸出業者と、新しい経済が生み出した貧困の光と影を映し出す。そして、魚を運ぶためにアフリカにやってくる飛行機が積んでいるものの正体が、徐々に明らかになっていく。世界規模で行われている搾取の実態が描き出されている衝撃作だ。
【内容】
半世紀ほど前、タンザニアのヴィクトリア湖に何者かが外来魚ナイルパーチを放流する。その後、この肉食の巨大魚は増え続け、湖畔にはこの魚を加工して海外に輸出する一大魚産業が誕生する。セルゲイら旧ソ連からやって来るパイロットは、一度に55トンもの魚を飛行機で運び、彼らを相手にエリザたち町の女性は売春で金を稼ぐ。 (シネマトゥデイ)
【感想】
アフリカ・タンザニアにあるヴィクトリア湖。
機影を映してムワンザ空港から飛行機が飛び立ちます。
とても美しい映像です。
でも、この湖は生態系が崩壊した、病んだ湖なのです。
始まりは誰かが放流したバケツ1杯のナイルパーチと呼ばれる肉食の稚魚。
この魚は、たちまち湖の魚を食いつくし、この魚とワニしか住まない濁った湖となりました。
しかし、この魚は巨大で白身で美味、高値で売れる魚だったのです。
近隣の村は従来農業で生計を立てていましたが、この魚が商売になるとわかると、みんな一斉に漁民となって魚を捕るようになりました。
ところが、ヨーロッパ資本が入り、加工工場ができ、現地の人の口には入らない高級魚となりました。
輸出先はヨーへロッパと日本。
日本は一番のお得意さんだそうです。
それでも魚を捕り続けなければならない人々。
工場から捨てられる魚のアラを、さらに加工して食べる。
田畑は荒れ果て、漁のために湖近くで生活する男たちは売春婦と関わってエイズとなり、女たちは夫を失い売春婦となる。
キリスト教の牧師は「女性たちに売春婦はやめるように言っていますが、コンドームの使用はすすめません。キリストの教えに反しますから」と言うだけでした。
子供たちはストリートチルドレンに。
少ない食べ物を奪い合ったり、大人に殴られたり。
恐怖から逃れるために幻覚剤を吸っている子もいました。
この幻覚剤は魚の梱包材から作られていました。
「飛行機は来る時は何を積んでいるの?」
「空っぽで来て、魚をたくさん積んで帰るんだよ」現地の漁師。
取材する人は諦めません。
「大きな箱を積んできたよ。中身は援助物資とか、何かの機材じゃないの?興味ないよ」と飛行機の技師。
でも、実は武器を運んでいることは、現地では周知の事実のようです。
これが、コンゴやルワンダの紛争地域で使われるらしいのです。
パイロットが言います。
「僕はアンゴラへ武器を運んだことがある。帰りはヨハネスブルグからぶどうを運んだ。アフリカの子供たちはクリスマスに武器をもらい、ヨーロッパの子供たちはぶどうをもらうというわけさ」
アフリカを取り上げた映画がここ数年増えているような気がします。
しかも、どの映画も簡単に答えが見つからない、難しい問題をいくつも抱えた複雑なものばかりです。
この作品もその一連でしょう。
ダーウィンの箱庭と呼ばれたヴィクトリア湖。
その豊かな生態系がたった半世紀の間に、いとも簡単に破壊されてしまうことへのショック。
ヨーロッパの名前で呼ばれる湖で生活するヨーロッパの名前を持った貧しきアフリカの人々。
途上国援助という名で行われている外国資本による搾取。
資源の見返りに武器を手渡されて殺しあわなければならない人たちの悲劇。
ナイルパーチの主な輸出先はヨーロッパや日本。
白身魚の名の下に、今夜の食卓を彩っているかもしれないナイルパーチ。
この作品は、アフリカの悲劇と私たちがつながっていることを示唆していました。
経済格差が広がっています。
日本でも社会問題化しています。
国々の間でも格差が広がっています。
富は強い人へ、貧困は弱い人へ押し付けられます。
彼らは生きていくために自然を破壊し、食い尽くすしか生きる道が残されていないのです。
自然破壊が進むと、富を得た人々も無事ではいられないでしょう。
私たちは地球しか持っていないんです。
この環境でしか生きられないんだから、アフリカの貧困や飢餓をなんとかしないと、人口爆発も、エイズも、地球温暖化も、何も止められなくなってしまいそうです。
いろんな国が宇宙ステーションの実験を熱心にやっていますが、まさか、いつか地球を捨てて逃げ出す気ではないでしょうね?
この作品は、何かを告発したり、真実を突き止めようとしたりしているわけではありません。
脈絡なく、いろんな映像やインタビューが流れて、荒っぽい手法だなと思いながら見ていました。
結局、その手法が見た人にいろんなことを考えさせる作品になっていると思いました。
ただ、「ルワンダの涙」でも感じたことですが、現地の人々や政治家が、それぞれの国の幸せのためにビジョンを持って努力することからしか、何も始まらないと思います。
そして、先進国は正しい支援をすることです。
私はもう少し、人類の智恵に希望を持ちたいと思います。