マダムようの映画日記

毎日せっせと映画を見ているので、日記形式で記録していきたいと思います。ネタバレありです。コメントは事前承認が必要です。

アルゴ

2012-10-31 19:07:14 | 映画ー劇場鑑賞

ーアルゴーARGO

2012年 アメリカ

ベン・アフレック監督 ベン・アフレック(トニー)ブライアン・クランストン(ジャック)アラン・アーキン(レスター)ジョン・グッドマン(ジョン)

 

【解説】

『ザ・タウン』などのベン・アフレックが、監督、製作、主演を努めたサスペンス。1979年のテヘランで起きたアメリカ大使館人質事件と、その裏で敢行されたCIAによる救出作戦の行方を追い掛ける。監督として『ザ・タウン』で見せた緩急自在な演出をベンが本作でも繰り出し、謎に包まれていた救出作戦の全ぼうを活写。その一方で、貫録たっぷりに指揮を執るCIAエージェントを熱演する。『リトル・ミス・サンシャイン』のアラン・アーキンや『アーティスト』のジョン・グッドマンら、脇を固めるベテラン勢にも注目。

 

【あらすじ】

1979114日、テヘラン。イラン革命が激しさを募らせ、その果てにアメリカ大使館を過激派グループが占拠し、52人もの人質を取るという事件が起きる。パニックの中、アメリカ人6名が大使館から逃げ出してカナダ大使の自宅に潜伏。救出作戦のエキスパートとして名をはせるCIAエージェントのトニー・メンデス(ベン・アフレック)は、6名が過激派たちに発見され、殺害されるのも時間の問題だと判断。彼らを混乱するテヘランから救出する作戦を立案する。しかし、それは前代未聞で大胆不敵、そして無数の危険が伴うものだった……(シネマトゥデイ)

 

【感想】

これはなんだ!?

すごく面白い!!

実話ベースなのに、最後まではらはらどきどき。

「ザ・タウン」でも実力を発揮したベン・アフレック、またまたやってくれました。

恐るべし!!

 

始めにイラストを使ったイランの歴史のおさらいがあって、とてもわかりやすい。

イランの近代史は、石油の発見とともに、ヨーロッパ列強国の覇権争いの中で近代化に取り組んだ歴史だったのですね。

 

1951年、モハマンド・モデサックによって、民主政権が誕生し、モハマンド・レザー・シャー・パフラヴィー国王(日本ではパーレビ国王として親しまれる。私も呼びなれたパーレビ国王と呼びます)は亡命したのだが、アメリカが内政干渉して、パーレビ国王は復権、民主主義はついえた。

国王はこの見返りとして、石油の利権をアメリカ初めヨーロッパ諸国に分配、結局、イランにはなんの利益も残らなかった。

 

イランはアメリカから多大な支援を受け、経済は安定はしたが、宗教団体を政治から遠ざける結果となり、不満が膨れ上がっていった。

体制側の思想的な締め付けもきつく、ホメイニ師が率いるイスラム勢力に不満分子が集約されて行くようになる。

 

1978年、自らの権力の崩壊を悟ったパーレビ国王はイランから亡命した。

 

1979年、フランスに亡命していたホメイニ師が帰国。

最高指導者に就いて、イラン革命が成功した。

新政府は非常に保守的で、産業の国有化、法律・文化のイスラム化を断行した。

西洋的文化は禁止され、激しい抑圧は常態化した。

 

そんな中で、このアメリカ大使館人質事件が起きました。

 

エジプトへ亡命したパーレビ国王だが、アメリカ政府に入国を求めた。

時の大統領、ジミー・カーターは逡巡するが、キッシンジャー元国務長官らの働きかけで、癌の治療という人道的見地からアメリカに入国を果たした。

しかし、国王のアメリカ入国にイラン国内の学生たちが反発し、114日にテヘランのアメリカ大使館を占拠して、54人の大使館員やその関係者たちを人質に取り、パーレビ国王の身柄と引き換えを要求した。

 

この事件は膠着し続け、結局1980年、パーレビ国王がカイロで癌で亡くなるまで解決の糸口すらみつかりませんでした。

人質が解放されたのは、1981120日、なんと444日ぶりの事でした。

 

これが表の事件で、この映画に描かれているのは、つい先日まで国家の最高機密に指定されていた6人の大使館員の話。

 

1979114日、群衆がアメリカ大使館に押し寄せ、とうとう門を乗り越えてしまった。

大使館員や警備員は書類を焼いたり、シュレッダーにかけたりてんやわんやとなった。

そして、いよいよもうダメだ、となったとき、大使館員の6名がビザの申請に訪れていたイラン人に混じって外に脱出した。

いろんな大使館に保護を求めて断られたが、カナダ大使夫妻が自宅で受け入れて匿ってくれた。

 

アメリカ大使館は過激派グループが占拠し、大使館員やその関係者を人質にとって、パーレビ国王をイランに引き渡して裁判にかけるよう要求した。

 アメリカ政府は応じず、事態は膠着化した。

逃げ出した大使館員たちの事もばれて、イラン側もしらみつぶしに探し始めた。

彼らはスパイだと言われ、見っけたら公開処刑が決まっていた。

シュレッターにかけた大使館員の顔写真も、子供を使って復原する作業も始まった。

発見されるのは、時間の問題。

 

アメリカ当局には、焦りの色が濃くなった。

そこで白羽の矢が立ったのは、CIAの救出専門家、トニー・メンデス(ベン・アフレック)だった。

 

☆ネタバレ

いやいや、ネタバレはしません。

予告編でも知らされているように、トニーの作戦は映画の撮影のロケハンとして、イランの市場を見に行くという口実。

その架空の映画のタイトルが「アルゴ」。

 

そんなこと、できるわけがないでしょう?と思う方は、ぜひ見てください。

もう、最後までハラハラドキドキ、そして、ユーモアたっぷりのこの作戦。

この作戦に命を託して脱出を計る6人は、ユーモアなんて、言っている場合ではありませんが。

 

最後に、事実と対比させた写真が出てきて、ご本人たちの写真も出てきて、当時の緊迫感や、本人といかによく似ているかわかります。

 

トニーも無事に暮らしているそうなので、ほんとうにほっとしました。

 

日本人が外国で孤立したら、日本政府は救出のために何をしてくれるでしょう?

そう考えたら、もっと怖い!!

拉致された日本人も救えないんだからなあ。

 

今年のベスト3に入りそうな、大満足の作品でした。

 

にせの映画製作に関わるアラン・アーキンとジョン・グッドマンもいいですよ。

 

トスカーナの贋作

2012-10-30 19:54:11 | 映画ーDVD

ートスカーナの贋作ーCERTIFIED COPY

2010年 フランス/イタリア

アッバス・キアロスタミ監督 ジュリエット・ビノシュ(彼女)ウィリアム・シメル(ジェームズ)ジャン=クロード・カリエール(広場の男)アガット・ナタンソン(広場の女)ジャンナ・ジャンケッティ(カフェの主人)アドリアン・ムーア(息子)アンジェロ・バルバガッロ(通訳)アンドレア・ラウレンツィ(ガイド)フィリッポ・トロジャーノ(花婿)マニュエラ・バルシメッリ(花嫁)

 

【解説】

イタリアの南トスカーナ地方で出会った男女が、夫婦に間違われたことから始まるラブストーリー。『桜桃の味』で第50回カンヌ国際映画祭パルムドールに輝いたアッバス・キアロスタミ監督が初めてイラン国外で撮影した本作は、本物の夫婦のふりをしているうちに互いの心情も変化していく一組のカップルの恋物語を映し出す。妻を、本作で初のカンヌ映画祭女優賞を受賞したジュリエット・ビノシュが、夫をイギリスのオペラ界を代表するバリトン歌手のウィリアム・シメルが好演。名匠ルカ・ビガッツィによるトスカーナの絶景も見ものだ。

 

【あらすじ】

イタリア、南トスカーナ地方の小さな村で講演を終えたばかりのイギリスの作家(ウィリアム・シメル)が、ギャラリーを経営しているフランス人女性(ジュリエット・ビノシュ)と出会う。芸術に関して議論を交わした彼らは、カフェの女主人に夫婦かと勘違いされたことをきっかけに、あたかも夫婦のコピーであるかのように振る舞い、あるときは仲良く、あるときは言い争いつつ、車で村を巡り始める。(シネマトゥデイ)

 

【感想】

なんの前知識もなく見ましたら、「この二人は、旧知なの?元夫婦なの?全くの他人?」と、どんどんこちらも混乱して行くくらいの、名演技。

ジュリエット・ビノシュの独壇場でした。

英語、フランス語、イタリア語を相手にあわせて使い分ける技は、才女だなあ、ととても感心しました。

これだけでも、見る価値ありです。

 

そしてお相手の男性ウィリアム・シメルって、知らない人だなあ…

と思っていたら、それもそのはず、イギリスでは有名なオペラ歌手(バリトン)で、映画出演は初めてですって。

ジュリエットのエキセントリックな態度にたじたじするところが素っぽくて、とても好感が持てました。

 

また、この作品の監督は、イラン人で、自分の国以外で撮った最初の映画だそうです。

脚本も書いておられます。

中年夫婦の機微がセリフの端々に効いています。

 

効いてはいるのですが、私の感覚とは違っていました。

 

恋愛や疑似恋愛を大切にする妻、仕事に夢中で家庭は妻に任せっぱなしだけど、妻の突飛な言動には批判的な夫。

 

よくわかる話だけど、こんなエキセントリックで刺激的な妻は、しんどいよね、と思ってしまいました。

ま、お芝居だし、ゲームなんだけどね。

 

でも、楽しめたとはいいがたい、にせものの妻と夫でした。

 

贋作ー何が贋作と言えるのか、というテーマに引っ掛けたところは面白かったです。

 

男は、辟易して去ったのでしょうか?

それとも、部屋に戻って、新しい恋愛が始まったのでしょうか?

 

私は…去ったと思うけど。

夢がないねー。

 

推理作家ポー最期の5日間

2012-10-22 11:23:19 | 映画ー劇場鑑賞

ー推理作家ポー最期の5日間ーTHE RAVEN

2012年 アメリカ

ジェームズ・マクティーグ監督 ジョン・キューザック(エドガー・アラン・ポー)ルーク・エヴァンス(エメット・フィールズ刑事)アリス・イヴ(エミリー・ハミルトン)ブレンダン・グリーソン(ハミルトン大尉)ケヴィン・マクナリー(マドックス編集長)

 

【解説】

「モルグ街の殺人」「黒猫」など数々の推理小説で著名な作家エドガー・アラン・ポーの最期の日々を大胆な発想で描いたサスペンス・スリラー。ポーの著作を模倣した連続殺人事件が起きたことで、事件解明のために彼自身が捜査に加わり殺人鬼を追い詰めていく。主人公ポーには『2012』のジョン・キューザック、共演には『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』のルーク・エヴァンス、『ヒットマンズ・レクイエム』のブレンダン・グリーソンらが集結。『Vフォー・ヴェンデッタ』のジェームズ・マクティーグ監督による、作品の世界観を表現した映像にも注目。

 

【あらすじ】

1849年のボルチモア。ある殺人事件を担当することになった若手刑事エメット・フィールズ(ルーク・エヴァンス)は、事件が推理作家エドガー・アラン・ポー(ジョン・キューザック)の作品によく似ていることを察知。貧乏で酒におぼれる生活を送るポーは容疑者とみなされるが、捜査が進められる中、彼の著作をまねるように連続殺人が発生。その後、自らのアリバイが証明されたポーは、事件解明のため捜査に加わるが……(シネマトゥデイ)

 

【感想】

エドガー・アラン・ポー、私は江戸川乱歩のペンネームがポーのもじりだということで知ったような気がします。

小学校の高学年くらいだったか、探偵小説にハマり、おもにルパンシリーズに心をときめかせていたんだけど、そのついでに江戸川乱歩やシャーロック・ホームズシリーズなどを読みました。

ポーの作品では「モルグ街の殺人」くらいしか思い出せないけど、推理小説の父と呼ばれるほど有名なことは認識していました。

世界各地にポーに影響を受けた人がいて、特に、近代の日本文学には大きな影響を与えました。

 

でも、ポーが極貧の中で酒に溺れ、若干40歳でボルティモアでなくなっていたことは知りませんでした。

しかも、発見されたのは酒場で異常な泥酔状態だったそうで、かつぎこまれた病院で4日間の危篤状態が続いたあと、「レイノルズ」と言う名前を繰り返し呼んでいたそうです。

 

ここに発想を得て、この作品は作られています。

 

新聞に小説の批評を書いているポー(ジョン・キューザック)は、退役軍人のハミルトン大尉ブレンダン・グリーソン)の娘エミリー(アリス・イヴ)と恋仲だったが、父は大反対をしていた。

 

そんな折りに、ボルティモアでは連続殺人事件が起きていた。

捜査しているエメット・フィールズ(ルーク・エヴァンス)は、ポーが発表した推理小説にその手口が極似していることに注目し、ポーをマークし始めた。

ポーが犯人ではないことはわかったが、ポーをよく知る人物だということから、ポーにも捜査に協力するように依頼した。

 

そんなさなかに、エミリーが誘拐され、エミリーの命が時間の経過とともに尽きてしまうことをほのめかせながら、真犯人がポーに推理競争を仕掛けてきた。

 

☆ネタバレ

エミリーは、犯人の隠れ家の地下の土の下に閉じ込められ、その命が砂時計のように謎解きへの制限時間となった。

ポーとフィールズは、犯人を追いつめて行くのだが…。

 

私は最期まで犯人がわからなかったので、ストーリーに関してはとても面白いと思いました。

 

ただし、注意しておきますが、かなりのグロです。

まあ、そのものズバリは出て来ないので、気の弱い女性でも大丈夫ですが、それはそれで淡白というか、愛想がないと言うか、ポーの世界のわりには耽美的でないところが不満です。

 

死体もごろり、いろんなパーツもごろりと出てきて、美しさはかなさの表現が足りなかったところが、残念でした。

あと、エンドロールの音楽が作品とあっていないわー。

急になんなの?と思ってしまいました。

 

ジョン・キューザックの純真な感じが作家にふさわしい感じがしたし、ルーク・エヴァンスがすごく格好良かったです。

 

原題の「THE RAVEN」はポーが1845年に発表した物語詩で、人間の言葉をしゃべる大鴉が恋人を失った主人公を悲嘆させ、あげくには狂気に導くという内容。

このことを知ってみると、奥が深いです。

 


ホーチミン市とアンコールワットの旅ーその7ー

2012-10-19 09:06:36 | 旅行

午後の見学 タ・プロムとバンテアイ・クデイ

昼食ー写真はないのです。というのも中華料理だったからです。

ここで、チャイニーズというのも、なんかねえ。

 

午後は、タ・プロムへ。

ここは、アンジェリーナ・ジョリー主演の「トゥームレーダー」(2001年)が撮影されたところとして有名だそうです。

実際に、アンジェリーナは2002年にカンボジア人の男の子を養子として引き取って育てています。

 

ここも12世紀末にジャヤーヴァルマン7世によって建てられた仏教寺院でしたが、後にヒンドゥー教寺院に改修されています。

城壁の内側は、ガジュマルの浸食が激しく、今にも崩れてしまいそうです。

しかし、この状態からガジュマルを取ってしまうと、なにもかも崩れてしまうのは目に見えています。

どのように保存していくか、ユネスコでも議論されているところだそうです。

 

ここは、ジャヤーヴァルマン7世の母の姿に似せた般若波羅密仏を安置されていたところです。

そのお部屋には、ありとあらゆる宝石がちりばめられてあり、天井から射す陽光に映えてきらきらと輝いていたそうです。

 

穴のあいているところにしっくいで宝石が埋め込まれていたということです。

ここに安置されていた仏様はプノンペンの博物館にあるそうです。

 

塀を飲み込んでいるガジュマル。ジャッキで支えている石の柱とガジュマルの太い根っこ。 

裏側に回るとひっそりとして、廃墟の風情を感じました。

強者どもが夢のあと…。

苔むしたブロックが痛々しいと言うか、ロマンを感じると言うか、とても複雑な気持ちになりました。

 

次にバンテアイ・クデイを訪ねました。

上智大学の発掘が進み、いろんな成果を上げている遺跡だそうです。

 

ここは舞台です。

アプサラの舞などが演じられたのでしょう。

 

廃墟そのものですよね。

廃墟と巨木、いい取り合わせです。

 

ホーチミンとシェムリアップ、ある意味、とても対照的な二つの町でした。

ホーチミンは、都会で、若い人の熱気が溢れ、これからまだまだ発展して行くエネルギーを感じました。

シェムリアップは古い遺跡の町で、戦争の爪痕もここそこに残り、人々の顔にも疲れが残っているように思えました。

でも、カンボジアも立ち上がらなければなりません。

まずは、各国の支援を受けて、観光にも力を入れてというところでしょう。

 

アンコールワット遺跡は、人類の残した業績としても素晴らしい遺跡です。

修復することも、このままの形で残すことにも意義があると思いました。

人間の持つ、あらゆる面が残されているともいえると思いました。

栄光も、愚かさも、そしてはかなさも。

 

駆け足ですごく忙しい旅行でしたが、とてもいろんなことを感じました。

また、訪れたい場所となりました。

 

 


ホーチミン市とアンコールワットの旅ーその6ー

2012-10-18 19:21:35 | 旅行

シェムリアップ2日目

私は疲れていたし、前日が大雨だったので、日の出ツアーはパスしました。

でもグループの中でふたりの人が、前の晩バルコニーから空を見たら星が一つ出ていたので、ホーさんにお願いして日の出ツアーを決行したら、見事な朝日が見えたそうです。

よかったですねー。

 

朝食をすませてアンコール・トムへ。

台風はどこに行ったんだろう。

いいお天気になりました。

アンコールトムは、12世紀後半にジャヤーヴァルマン7世によって建設された城郭都市遺跡。

世界遺産。 

1辺3キロメートルの堀と、ラテライトで作られた8メートルの高さの壁で作られています。

南大門、北大門、西大門と、東には勝利の門と死者の門があるということです。

これは南大門。

堀に架けられた橋の欄干は、乳海撹拌伝説がモチーフになっています。

手前は大蛇の頭です。

仏像の頭は切られていて、修復された仏塔が置かれているものもあります。

アスラ像越しに見た堀。

 

アンコール・トムはバイヨンと呼ばれる塔がありますが、南大門にも仏が彫られていました。4面全部顔や表情が違います。

   

参道にも猿がいました。

お城の入り口。

警官が不正なガイドがいないか確認していました。

 

お城の塀には、戦争の様子が彫刻されていました。

兵隊さんや、中国兵、少数民族、音楽隊なども描き分けられていて、最後には家族連れの民衆とその生活の様子もユーモラスに描かれていました。

ゆっくり見たら、楽しいでしょうね。

   

上へ上へと登って行きます。

階段の手すりにも装飾されています。

  

アプサラの像。

きれいですね。

アンコールトムの中央のバイヨンと呼ばれる塔、どの塔も4面とも仏像の顔が形作られていて、どの顔も違っています。

  

塔に装飾された4面の仏像。いろんな表情があります。

出口。

ここにもアプサラが。

  

広大な敷地には菩提樹の大木が。

葉はハート形です。

  

これはバイヨンの北側にあるパフーオンという建物。

子供を隠すという意味を持つ建物。

敵に襲われたときに子供を隠したのでしょうか?

池に移ってきれいですね。

空中の橋を渡って行きます。

  

急な階段を上って塔のてっぺんへ。

塔の上からみた景色。

ホーさんが言っていた涅槃てどこかなあ?

回廊を歩き回ります。

「なかったよー」と降りて行ったら、ここですよって。

自分たちが歩き回っていた下に、お釈迦様がいらっしゃいました。

 

わかるかな?

 

広いところに出てきました。

象のテラスです。

 

ここで、戦争の前に戦士たちの士気を高めたそうです。

玉座の下に描かれているのはガルーダです。

ガルーダは人間の胴体と鷲の頭部、嘴、翼、爪を持つ、神の乗り物です。

 

王様はここから、小屋から小屋へとつなげた綱を美女たちが綱渡りをする姿を眺めたそうです。

この小屋、「ハルクの動く城」みたいと誰かが言っていました。

本当にその通り!!

  

塀にも細かい彫刻がありました。

ここは、ライ王のテラスと言われている場所。

壁の裏は迷路になっていて、ここにも細かい彫刻があります。

これは蛇。

これはえんま様です。

そして、これがライ王と呼ばれている像。

この手がないのは、始めからなのか、何かの事象でなくなったのかはわからないそうです。

三島由紀夫がこの象に着想を得て、戯曲「癩王のテラス」を書いているそうですが、知りませんでした。

 

ホーチミン市とアンコールワットの旅ーその5ー

2012-10-18 19:10:29 | 旅行

【閑話休題2】乳海撹拌(ヒンドゥー今日の天地創造神話)

アンコールワットの回廊には、いろんな神話が描かれていました。

その一つをご紹介。

インドの天地創造の物語です。

ショーで見た舞に登場したアプサラ(天女)が、誕生したわけも描かれています。

 

ヒンドゥーの最高神ヴィシュヌ神の化身である巨大亀に大マンダラ山を乗せ、大蛇を絡ませて、神々(インドラ)は大蛇の尾を、アスラたち(悪神)は大蛇の頭を持ち、互いに引っ張りあうことで山を回転させると、海がかき混ぜられた。

 アスラが蛇の頭を持って引っ張っています。

海に棲む生物が細かく裁断されて、やがて乳の海になった。

 下の方に描かれているのが亀

 上の方にアプサラが描かれています。

大蛇が苦しんで口から毒を吐くと、シヴァ(破壊の神)がその毒を飲み干したため事なきを得たが、彼の喉は毒によって青く変色した。

さらに1000年間攪拌が続き、乳海から白い象や、馬、牛、宝石、願いを叶える樹、聖樹、アプサラたち、ヴィシュヌの神妃である女神ラクシュミーらが次々と生まれた。

 蛇を引っ張っているところ

最後にようやく天界の医神ダヌヴァンタリが妙薬アムリタの入った壺を持って現れた。

しかしアムリタをめぐって神々とアスラが争い、一度はアムリタを奪われかけたが、ヴィシュヌ神は機転を利かせて美女に変身し、アスラたちを誘惑した。

アスラたちは美女に心を奪われ、アムリタを手渡した。

その結果、アムリタは神々のものとなったが、神々がアムリタを飲むさいにラーフというアスラがこっそり口にした。

それを太陽神と月神がヴィシュヌ神に伝えたので、ヴィシュヌは円盤(チャクラム)でラーフの首を切断した。

ラーフは首から上だけが不死となり、頭は告げ口した太陽神と月神を恨み、追いかけて食べようと飲み込むが体がないためすぐに外に出てしまう(日食・月食)。

 

 

ホーチミン市とアンコールワットの旅ーその4ー

2012-10-18 19:00:33 | 旅行

アンコールワット内部

同じ民俗が殺し合う内戦の悲劇をようやく乗り越えたカンボジアです。

ホーさんのガイドする言葉の端々にも、深い傷跡を感じました。

フランス、インド、日本など、たくさんの国の協力で、遺跡の復原の努力もなされていました。

 

この記念写真のポイントまできたら、雨は上がりました。

きれいな姿が撮れました。

 

芝生には野生の猿が。

十字回廊の内部。

ここは、雨を貯めておくところ。

排水機能もあります。

これだけの雨量ですから、雨との付き合い方も大切ですね。

 

 サンスクリット語で書かれた柱。

 森本一房が書いたと言われる柱。

いまは、読めません。

 

塔の下。

急な階段を上って塔の上へ。 

塔の柱に刻まれた天女(アプサラ)

 塔の上から見たところ。

(?)の置物。

 蛇の上で座禅を組んでいる仏像。

塔の中庭。 

 塔の内部は空洞で、仏様が安置されていた。

違う塔には涅槃が。

 

塔から降りてまた回廊の見学。

昔はこんなふうに天井には木のパネルがはまっていた。

これは、フランスによる修復。

 

本当はここで夕日を見る予定でした。

雲が厚くても、ロマンチックな気持ちになりました。

アマゾンアンコールレストランで、ショーを見ながらビッフェスタイルの食事。

はっきり言って美味しくありませんでした。

舞台ではあでやかなアプサラ(天女)の舞が。

 

ホーチミン市・アンコールワット旅行ーその3ー

2012-10-18 18:46:03 | 旅行

ホーチミン市から空路シェムリアップ(カンボジア)へ

さて、ホテルでゆっくり朝ご飯を食べて、空港へ出発。

シェムリアップまでは、約1時間の旅です。

  シェムリアップ空港

 ガイドのホーさん。

日本で勉強したわけではないそうですが、とてもきれいな日本語を話されます。

 カフェモイモイでいただいたワンプレートランチ。

空港に着いたときには、降っていなかった雨が、ランチをいただいていると次第に強くなってきました。

台風が来ているそうです。

そして、アンコールワットに着くとこんな雨。

子供たちは元気にお堀に飛び込んでいました。 

 

 

【閑話休題1】アンコールワットについて

サンスクリット語でアンコールは王都、ワットは寺院。

12世紀、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によってヒンドゥー教の寺院として30年を越える歳月をかけて建設されたが、未完成で終わっている。

世界遺産。

 

1431年にアンコールは放棄され、王都はプノンペンに移った。

16世紀半ばにアンチェン1世に再発見され、未完成部分に彫刻を行い、その孫ソター王が仏教寺院へと改修した。

 

1632年には、日本人の武士・森本一房が、父母の菩提を弔うため、インドに向け出発するが、たどり着けず、アンコールワットを訪れ、柱に墨書を残し、仏像を安置したと伝えられている。

 

1887年、カンボジアが仏領インドシナとなり、フランスが保全修復を行った。

1949年にフランスから独立。

ベトナム戦争が始まると、アメリカや南北ベトナムが介入して内戦状態になった。

 

1972年、カンボジア内戦により、フランスがアンコールワット修復から退去、寺院はポル・ポトが率いるクメール・ルージュによって破壊された。

このときに、多くの奉納仏は首をはねられ、砕かれて敷石にされたと言う。

197916日までの38か月20日間に、旱魃、飢餓、虐殺などで100万~200万人以上ともいわれる死者が出た。

この死者数は、1970年代前半の総人口は700800万人だったとの推計されているので、1329%にあたる。 

思想改革という名の元で、虐殺が行われた。教師、医者、公務員、資本家、芸術家、宗教関係者、良識ある国民のほとんどが捕らえられて強制収容所に送られたが、生きてそこから出られたのはほんのわずかな人数である。

それ故に明確な犠牲者数は得られず、今でも、国土を掘り起こせば多くの遺体が発掘される。(内戦前の最後の国勢調査が1962年であり、それ以後の正確な人口動態がつかめておらず、死者の諸推計に大きく開きが出ている)。

1979年にベトナム軍が侵攻しポル・ポト政権を打倒。

その後ポル・ポト派含む三派とベトナム、ヘン・サムリン派との間で内戦が続いた。

 

政権を追われたポル・ポト派は、旧都アンコールに落ち延び、アンコール・ワットの守りの堅さを利用して立てこもった。

カンボジア軍にとっても、アンコールワットは大切な遺跡であり、攻めあぐねる結果となった。

これらの要因が災いして、アンコールワットはさらに破壊された。

ポルポト派は共産主義であり、仏像は無用の物だったからだ。

 

その後も内戦は続き、中国軍のベトナム介入に対する報復や、ベトナム軍による介入などが続き、カンボジアは国を二分して闘う悲劇に見舞われた。

 

1986年に政権に着いたチュオン・チン書記長は、ソ連のペレストロイカを倣い、「ドイモイ」路線に舵を切った。

1990年に東京で「カンボジア和平東京会議」、1991年にパリで「カンボジア和平パリ国際会議」が開かれ、20年に及ぶ内戦がようやく終結した。

 

1998年にポル・ポトは、部下のタ・モクに逮捕されたのち、心臓マヒで死んだ。

2009年からカンボジア特別法廷は、この大虐殺についての検証を行っている。

 

カンボジアでは、この大量虐殺により、ほとんどの法律家が殺害されていて、法律やその資料も廃棄された。

カンボジアが近代国家として再生するには、なにもかもがゼロからの出発となった。

カンボジア憲法には、内政不干渉、紛争の平和解決、永世中立が明記されているそうだ。

 

心痛む歴史です。

 

ホーチミン市とアンコールワットの旅ーその2ー

2012-10-18 18:25:43 | 旅行

第2日目午前中 ボンバン大学

ホンバン大学へ。

着付けのモデルをしてくれた学生。

この人は、去年まで大阪の大学に留学していたそうです。

 

会場の様子。

着付けが終わると、みんながカメラを持ってモデルさんを囲みました。

 

午後は市内観光

出前授業を終え、学生さんたちに案内されて、レストランへ。

ここのお料理がおいしかった。

写真は肉団子入りのフォー。

 

午後は、市内の見学。

統一会堂。

ベンタイン市場。

お花屋さんと果物屋さん。

市場の中はたくさんのお客さんでいっぱいです。

私も学生さんに手伝ってもらって、たくさんお買い物をしました。

かわいいバッグやサンダル、ぬいぐるみなど、かわいい物ばかりで選ぶのが大変。

 

夜は、フォンちゃんにスロバキアビールのレストランに案内してもらいました。

店内は若い人でいっぱい。

お店の中にピカピカ光るビールのタンクがあって、作り立ての美味しいビールをいただきました。

 

次の朝

お部屋から見たホーチミンの町。

遠くにサイゴン川が見えます。

今回はあわただしくて、川のそばまでいけませんでした。

今回の出前授業、なかなか好評だったということなので、また行く機会があるかもしれません。

次回はサイゴン川クルーズもしたい!!


ホーチミン市とアンコールワットの旅ーその1ー

2012-10-16 11:25:06 | 旅行

第1日目 ホーチミン市

35(飛行機1)でホーチミン市とシェムリアップに行ってきました。

 

ホーチミンには、社会人で大学院に通ったときの同級生、フォンさんがいます。

こちらはおばさん中心の10人の団体旅行。

どんな旅行になることやら。

 

ひとつの目的は、ホーチミン市にあるホンバン大学との交流。

フォンさんが中を取り持ってくれて、主に奈良の季節や行事を紹介したり、着物の着付けの実演、華道の実演、お祭りの紹介、お習字の紹介が盛り込まれています。

 

ホーチミンに着くと、フォンさんと大学職員のヌーさん、アイさんが迎えてくれました。

タクシーでホテルへ。

 

荷物を置いてすぐに買い物に出発。

ホテルはメインストリートにあるので、賑やかです。

すぐ近くに教会、マリア様もいます。

  

ホーチミン市のメインストリート、ドンコイ通りを歩いて行きます。

もうすぐオープンのデパート。

コンチネンタルホテル。

町の様子。すごい数のオートバイが飛ばして行きます。

 

通称、蓮ビル。

あとで、学生のニュウさんに教えてもらいました。

Bitexco Financialビルと言って、蓮をイメージして作られたホーチミンで一番高いピルだそうです。

 

オペラ座(市民劇場)

夕食は、私たちのリクエストで、ベトナム料理のレストラン、クック ガック クアンで。

ベトナムのビール、サイゴン。美味しかったです。

豪華な鍋料理。