ーナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路ーNANNERL, LA SOEUR DE MOZART/MOZART'S SISTER
2010年 フランス
ルネ・フェレ監督 マリー・フェレ(ナンネル(マリア・アンナ・モーツァル))マルク・バルベ(レオポルド・モーツァルト)ダヴィド・モロー[ヴァイオリニスト](ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)リサ・フェレ(ルイーズ・ド・フランス)クロヴィス・フーアン(王太子)デルフィーヌ・シュイヨー(アンナ・マリア・モーツァルト)サロメ・ステヴナン(イザベル)ニコラ・ジロー(ヴェルサイユの音楽教師)アルチュール・トス(ユーグ)ジュリアン・フェレ(大修道院の音楽教師)ルネ・フェレ(音楽教師)
【解説】
『夕映えの道』のルネ・フェレがメガホンを取り、天才音楽家として有名なモーツァルトの姉にスポットを当てた人間ドラマ。自らも豊かな音楽の才能に恵まれながら、生涯注目されることのなかった女性の青春の光と影を映し出す。かれんなヒロインを演じるのは、監督の実の娘マリー・フェレ。教育熱心な父親を『ランジェ公爵夫人』のマルク・バルベが好演する。豪華なベルサイユ宮殿を舞台に展開する神童の姉の知られざる人生に驚嘆する。
【あらすじ】
18世紀、ザルツブルク出身のモーツァルト一家が欧州各地を巡る演奏旅行に出て3年の月日が流れていた。11歳の息子ヴォルフガング(ダヴィド・モロー)のヴァイオリンと、15歳の姉ナンネル(マリー・フェレ)の伴奏は各地で絶賛を浴びる。ある日、パリのベルサイユ宮殿に向かう途中で馬車の車輪が壊れたため、彼らは修道院に助けを求める。(シネマトゥデイ)
【感想】
幼いモーツァルトが家族と一緒に各国を巡業したことは知っていたけど、18世紀、とても過酷な旅だったのですね。
14歳のマリア・アンナ・モーツァルト、愛称ナンネル(マリー・フェレ)は父レオポルド(マルク・バルベ)、母アンナ・マリア(デルフィーヌ・シュイヨー)、弟ヴォルフガング(ダヴィド・モロー)とともに、厳冬のヨーロッパを演奏旅行で巡業していた。
目的地はパリ、ベルサイユ宮殿。
レオポルドはザルツブルグの出資者から多額の出資を受けてこの巡業旅行に出ていた。
天才演奏家、作曲家として売り出している10歳のヴォルフガングを王や貴族に売り込んで有名にしたいという野望があったからだ。
しかし、いつもうまくいくとは限らない。
誉められても、ギャラはもらえず、品物で支払われる場合もあった。
このとき、レオポルドから出資者に巡業の様子を書いた手紙がたくさん残っていて、それを読んでフェレ監督はこのストーリーを思いついたということです。
だから、このお話はフェレ監督の創作です。
家族を乗せた馬車の車軸が旅の途中で折れて、立ち往生し、近くの修道院に助けを求めた。
そこには、ルイ15世の王女たち3人が預けられていた。
末娘のルイーズ・マリーは13歳で、ナンネルとすぐに親しくなり、心の秘密を分け合う親友となった。
音楽教師の息子に恋をしていたルイーズは、宮殿に行くというナンネルに恋文を託す。
このころの音楽家は男に限られていて、父から手ほどきを受けて、チェンバロだけではなく、バイオリンの名手でもあったナンネルだが、ヴォルフガングの成長とともに、バイオリンの演奏は禁じられた。
作曲も、男の仕事だとしてナンネルには教えなかった。
宮殿に着いたナンネルは、侍女の手引きによって、男装して音楽教師の息子にルイーズの手紙を直接届けることになった。
音楽のレッスン中で、王太子ルイ・フェルディナンもいた。
音楽教師の息子が別室で返事を描くと言って出て行くと、二人だけになり、王太子は男装のナンネルにバイオリンを弾き、歌を歌うように頼んだ。
その演奏に感心した王太子はナンネルに作曲を依頼した。
宿戻ったナンネルは父に作曲の手ほどきを乞うが、願いは聞き入れられず、それでも、なんとか作曲して、王太子に届けた。
王太子は気に入り、室内楽を集めて演奏してくれた。
ナンネルは正体を明かし、王太子も優しい言葉で受け入れた。
宮殿での演奏会ではウォルフガングの伴奏に徹した。
そして、家族がパリを離れる日。
ナンネルは生理を迎え、大人になったことを自覚し、パリでの一人暮らしを選択した。
しかし、王太子との甘い関係は長くは続かなかった。
ただの気まぐれだったのだ。
王太子はこのとき17歳で、すでに最愛のお妃がお産の時に亡くなっていて、生まれた子供も亡くなったという悲劇的な時期だった。
父が女狂いをしているということで嫌っていたし、精神的にも病んでいたと思われる。
そうは言っても、ナンネルも15歳になったばかり。
罵倒され、傷ついたナンネルはまた家族の元に戻った。
30歳を過ぎて50歳を過ぎた男性の再婚相手として結婚。
愛のない結婚生活の中でも、一人息子と音楽活動で暮らし、60歳代で失明したが78歳で生涯を閉じた。
少し、この時代のことを調べてみましたが、このころの女性はたくさんの子供を産みますが、育つのはごくわずかだったようです。
レオポルド夫妻にも7人の子供がいましたが、ナンネルとウォルフガングの2人しか育ちませんでした。
ウォルフガングの妻コンスタンツェも、8年で6回妊娠しましたが、2人しか育っていません。
名作「アマデウス」では、コンスタンツェが寝てばかりで、怠け者のように思っていましたが、こんなに毎年のように子供を産んでいては、それは大変だったでしょう。
ルイ15世には王妃マリー・レクザンスカとの間に11人の子供がいます。
7人育ちましたが、そのうち男子はルイ・フェルディナンだけでした。
こういう状況では、心身共に健康な人間が育つのは、並大抵ではないと思いました。
18世紀はこのように、とても女性が生きづらい時代だということができるでしょう。
その時代を精一杯生きた才能あふれる女性の日常を描いたことは、とても興味深いと思いました。
「哀しみの旅路」というタイトルですが、ナンネルにとってパリ時代は、王太子に作曲を依頼され、音楽教師としての道をパリで始めて、人生で一番輝いていたときだったのではないでしょうか?
それが、傷つき、挫折に終わったとしても、ナンネルにはかけがえのない青春の日々だったと思いました。