三日坊主のトレーニング日誌

右膝の半月板手術から早3年。右膝は普通です。
トレーニングは室内でのローラー台とダンベルトレが中心です。

今日は長文です。

2010-12-05 20:57:55 | OCNブログからの引き継ぎ

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    昨日は、私が勤務する中学校の男子駅伝チームが九州大会に出場するので、その応援に長崎県島原市の小浜町まで行ってきました。
 朝6時に学校に集合。大型バスに職員、生徒、保護者合わせて約30人の応援部隊が乗り込み、熊本港まで行きました。
 熊本港で乗船したのは、熊本フェリーのオーシャンアロー号です。初めて乗ったオーションアロー号はその外観がとても未来的で、乗船までの待ち時間に写真を撮らなかったことがとても悔やまれます。午前6時50分過ぎに、朝日の逆行でその輪郭が輝き更に美しい姿を見せていました。
 乗船し、バスを降りて客室に行くと、そこには快適なクルージングスペースが広がっていました。ここも写真を撮影していなかったことが、またまた悔やまれます。船室のイスはとても快適で、これまでに乗った鉄道や飛行機よりも格段に上でした。
 30分の乗船時間なのですが、とてもリラックスできるイスが設置されていました。
 そして、船室の中央にカウンターがあり、その周りに船の旅を更に楽しくするアイテム(生ビール、ちくわ等おつまみ、スナック菓子、スイート等々)をかわいい客室乗務員の女性が販売していました。が、どれも買わずじまいでした。特に、生ビール(525円ぐらいとても割高)とキャサリンズ・バーのおつまみにはグッと来ましたが、応援部隊の一員に生徒もいましたので、我慢しました。
 フェリーは西に向かって順調に進んでいきました。そして、島原が近づくにつれて、普賢岳がその存在感を増していきました。
 晴天のもと、普賢岳はその輪郭をくっきりとさせていました。山頂からふもとまで眼をおろすと、19年前の噴火と火砕流の爪痕が生々しく残っていました。火砕流で命を落とした人もいれば、奇跡的に惨事を逃れた人もいました。当時はそのことに関するテレビ番組が放映されていたことを覚えています。
 私は、普賢岳が噴火した年に2校目の中学校に転勤していました。ちょうど、転入者の歓迎会の時に、宴会場の窓を通して、普賢岳の山頂からまっすぐに噴煙が上がっていたことをいまでも覚えています。
 さて、島原港に到着した後は、小浜町ま「でがまだすロード」を通っていきました。このバイパス道は普賢岳の西側を通り、小浜町まで続いています。この道を通ることで普賢岳の西側を初めて見ることができました。
 その姿から、当時、普賢岳周辺に住む人々は、毎日、噴火の恐怖に堪え忍びながら生活を続けていたに違いないと思いました。
 1時間ほどで、駅伝会場に到着しました。私はロードバイクに乗って、交通規制が始める前までに、コースを走り、応援場所の確認をしました。
 男子のスタート時間が11時10分でした。私は第1中継所で待ち、第1走者と第2走者の写真を撮り、最終走者がたすきゾーンを走りすぎてから、第4中継所に移動。そこで、第4走者と第5走者の写真を撮りながら、応援を続けました。
 結果は3位でした。選手達はみんな自分たちの力を出し切り、とても良い成績を残すことができました。
 19日はいよいよ全国大会です。山口県の維新百年記念公園スポーツ文化センター・アリーナの周回コースで行われます。
 アップダウンの激しい、クロスカントリーコースです。周回コースなので、今回撮影ができなかった選手もきっちり撮影したと思います。
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