はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

新幹線

2016-11-13 17:53:38 | はがき随筆
 新幹線開業50周年だそうである。ところで新幹線と聞くと私には苦い思い出がある。早稲田2年のとき、自堕落な日々の生活に嫌気がさしてさっさと荷物をまとめ帰郷してしまった。真夜中に自宅へ着くも親は「勘当だ、出て行け!」とつれない。さあ困ったどうしよう。レンタカーは友に頼んで東京まで乗って帰ってもらい、私は泣く泣く天竜川の河川敷へ……。とりあえず新幹線の鉄橋の下で一晩を過ごした。頭を冷やして反省したかって? そんなことはありません。これがその後の私の破天荒な人生の幕開けとなったのです。
  霧島市 久野茂樹 2016/11/13 毎日新聞鹿児島版掲載

三佛寺投入堂

2016-11-13 17:35:21 | はがき随筆
 テレビの旅番組で見て、何時の日か行ってみたかった。鳥取県三朝町にある三佛寺投入堂。
 役行者に心酔している友人に役行者が開祖の国宝がある寺があると話したら、ぜひ行きたいとなって、とんとん拍子に旅の計画がたった。
 時期でもあり「カニは外せないね」。投入堂に行くには険しい山道を2時間ほど上がると聞いて「私らおばさんは無理だわ」と遥拝するだけに。
 それにしても鳥取は遠い。新幹線と高速バスで片道6時間。
 三朝のラドン温泉にのんびりつかって、カニをたらふく食べる旅に行ってきます。
  出水市 清水昌子 2016/11/12 毎日新聞鹿児島版掲載

隔・隔世遺伝

2016-11-13 17:27:35 | はがき随筆
 母は6人兄姉の末っ子。他の兄姉とは違いスポーツにたけていて、数々の大会で成績を出していたらしい。女学校卒業後は当然大学に行かせてくれると思ったのだが、体育大学と聞いて「オナゴハ、ソゲントコハイッグレイラン」と一蹴され断念。
 運動の不得手の父と結婚。輝かしいメダルは、帯締めや髪飾りに変わり、懐中時計をいつも持っていた父は、今でいうストラップ風にジャランとさげていた。今年、隔・隔世遺伝か、小学校に入学した孫が紅白のリレー選手になり花々しいデビューとなった。嫁が、私、速かったです……と。血筋に変わった。
  阿久根市 的場豊子 2016/11/11 毎日新聞鹿児島版掲載

秋の星

2016-11-13 17:20:04 | はがき随筆
 彼岸花が枯れて、朝夕は深まる秋をひしひしと感じる季節。夜明けが待ち遠しい。新聞をとりに外に出ると、まだすっかり闇。虫がしゃがれた声で鳴き、風が肌寒い。見上げると満天の星がいくつか空に瞬いている。夏と違った秋の星は冷たい色に見えロマンを感じさせる。下界の人を諭すような風情である。夏が終わり冬を迎えるまでの短い秋、寂しい季節ではあるが心が妙に落ち着き、何をするにも良い時季である。先月より少し体調を崩している。今まで続けてきた俳句や随筆も滞っている。気力と体力の揺する限り頑張ってもう少し続けてみたい。
  出水市 橋口礼子 2016/11/10 毎日新聞鹿児島版掲載

彼岸花と孫

2016-11-13 17:05:32 | はがき随筆


 大学4年の娘が小学4年のとき、夕方一緒に散歩をしていた。花に関心のない私に、娘が河川敷に美しく咲く彼岸花を教えてくれた。昨年同じ道を1人で散歩しているとき、彼岸花を見て当時を思い出した。彼岸花を持ち帰り、家の庭に植えた。
 先日、彼岸花が庭に一輪咲いていた。すっかり忘れていた私は彼岸花が1年後を覚えていた事とその生命力に驚いた。昨年、初孫ができ、今年も生まれ、もうすぐ3人目の新しい命が生まれてくる。孫たちの成長と毎年咲き続けてくれるだろうこの彼岸花を長く見られるよう、健康を第一に日々を過ごしたい。
  霧島市 向井正樹 2016/11/9 毎日新聞鹿児島版掲載

彼岸花

2016-11-13 16:56:42 | はがき随筆

 花の咲く時期は、その年の気候で決まる。狂い咲きもある。昔、造園士の方が言われた。彼岸花だけは、気候に左右されないで、必ず彼岸に咲くと。暑さ寒さも彼岸までという言葉もあるが、今年の彼岸の時期はまだまだ猛暑の夏、真っ盛り……。でも彼岸花は、しっかりと咲いた。彼岸を忘れないでと不思議なメッセージのようなものを強く感じた。
 彼岸花を見ながら、人生もいろいろあるけど左右されずに凛として生きていきたいと天を仰ぎ静かに思った。美しい、ひがん花よ彼岸を忘れないからネ。うん!
  鹿児島市 永野町子 2011/11/8 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆交流会

2016-11-13 16:46:26 | はがき随筆
 待ちに待った日が来た。はがき随筆の、宮崎と鹿児島との合評会・交流会の日である。
 鹿児島からは4人だったが、宮崎の仲間は8人だった。宮崎県南の世話役のS氏に、作品の小冊子まで作って歓迎したもらった。
 盛会で厳しい指摘もあった。私の随筆は「宮崎と私」という随筆らしからぬ作品だったが、皆さんや支局長に、丁寧に指導してもらい、うれしかった。
 交流会の最後に、同行のT氏がマジックをして皆を楽しませてくれる。大好評だった。
 甘い土産とはまた違う、交流会での温かい思い出ができた。
  出水市 小村忍 2016/11/7 毎日新聞鹿児島版掲載