『西洋古代史研究』15、2015年12月掲載、同誌1-18頁。
宮崎市定という東洋史学者の西洋史観と、西洋史との共通点を探しその上に立って相違点を比較するという彼の東洋史研究の手法がなりたってゆく背景と軌跡とが、丹念にあとづけられている。
ここに引用した宮崎の文言が,正しく日本の西洋史学の真意をくみ取っているかは疑問があるが,しかし大局的に見て,宮崎の批判を受けてみるならば,日本の西洋史家の研究は,世界史をどう構築するかという観点ではなく,日本人が西洋をどう理解するか,あるいは西洋を通じてどう日本を理解するか,という一種の異文化理解の面に力点が置かれてしまっていると感じざるを得ないであろう。 (「第3章 宮崎市定と日本の西洋古代史学界」、14頁)
宮崎市定という東洋史学者の西洋史観と、西洋史との共通点を探しその上に立って相違点を比較するという彼の東洋史研究の手法がなりたってゆく背景と軌跡とが、丹念にあとづけられている。
ここに引用した宮崎の文言が,正しく日本の西洋史学の真意をくみ取っているかは疑問があるが,しかし大局的に見て,宮崎の批判を受けてみるならば,日本の西洋史家の研究は,世界史をどう構築するかという観点ではなく,日本人が西洋をどう理解するか,あるいは西洋を通じてどう日本を理解するか,という一種の異文化理解の面に力点が置かれてしまっていると感じざるを得ないであろう。 (「第3章 宮崎市定と日本の西洋古代史学界」、14頁)