2014年07月30日「横山宏章『素顔の孫文 国父になった大ぼら吹き』」および
2014年09月12日「小野和子「孫文が南方熊楠に贈った『原君原臣』について」」より続き。
「13.孫逸仙的学説与中国伝統文化(1989年)」に、1886年で広東医薬学校に入学した20才から儒教経典と中国歴史を勉強しなおしたとある(242頁)。出典は『総理全書』巻5、88-89頁および『国父年譜』(台北 1965年)巻1、37頁。つまり「天下為公」を「人間にはみなひとしく同じ権利がある」という意味だとしたことに関しては、無知による誤読の可能性は少なくなった。意図的な読みかえである可能性が高い。
(上海古籍出版社 2007年1月)
2014年09月12日「小野和子「孫文が南方熊楠に贈った『原君原臣』について」」より続き。
「13.孫逸仙的学説与中国伝統文化(1989年)」に、1886年で広東医薬学校に入学した20才から儒教経典と中国歴史を勉強しなおしたとある(242頁)。出典は『総理全書』巻5、88-89頁および『国父年譜』(台北 1965年)巻1、37頁。つまり「天下為公」を「人間にはみなひとしく同じ権利がある」という意味だとしたことに関しては、無知による誤読の可能性は少なくなった。意図的な読みかえである可能性が高い。
(上海古籍出版社 2007年1月)