干し柿で考えた

2008-11-13 18:00:10 | 塾あれこれ


干し柿ってそのまま頂くことが多いですね。
(今年の出来がいまから楽しみです)
日本料理は他のものと比べてシンプルです。
日本文化をよく象徴していると思いますね。

フランス料理って手順や手法が細かいでしょ。
細かなレシピとフランス語の論理性には
通じる処があるのです。


日本の論理は和食に似ています。
シンプルに、ばっさりと話をしますね。

外つ国はどうかというとオオムネ細かく論を
展開していきます。

世界に向けて論を述べるには西洋で発達した論理展開
でないと通じにくいでしょう。

若い頃大学の教養課程で習いましたが、難しくて・・

丁寧に論を展開するには気質も必要です。
私はタイルでアラベスクを作るような作業は嫌い!

上手な論理であればよいのですが、結局何を言いたい
のかよく分らない、先ごろ亡くなられたキャスターの
多事争論みたいな、色々と丁寧に触れてはいるんだが
結局何?ということもしばしばおきるようです。

そこで論を進めるにはどうしても明晰性が求められる
ことになります。

定義を大切に、論理展開を誤らず、可能な限り視野を
広くしておく、などなど。

逆にいうとそういうチミツな表現を必要とする
マダルッコシイ世界なのです。


私は日本的論理が好みです。

相似、連想、類推、飛躍、逆転などを華麗に使いこなし
ている論理には気持ちが高揚しますね。

禅問答などもそう。

ただし私がフォローできるのは極くわずか。
自分のアタマが情けない。。。


西洋式が正しさにおいて勝る、でしょうか?

理屈はどうとでもなるのです。

理論物理学だって、結局実験の裏づけを得て
どの理論が正しいか初めて分る、のですよ。

べたべた話を続けることが正しいと思い込む
のはマジメな先生によくあることです。

大学の先生で何を言ってるんだかゴチャゴチャと
という方がおられましたね。
「分らんのは君らの頭が悪いからだ」

たしかに私のアタマが悪いのですが、とはいえ
論理って何のためにあるんでしたっけ?

相手に伝える、納得させるためのものじゃない?

分らない、分りにくい、長ったらしい、形式的
正確さだけがトリエの論はやはり苦手ですねえ。

正しいかどうかの保証すらないのだから。

日本式論理が遠慮することはありません。


ところで昨日はあえて舌足らずな、ちょっと和式の
論の展開をしてみました。

塾の先生が良い仕事をするためには
「出来のよい臨床医の仕事に学べ」
というツモリでした。

文章として不成功でしたかね?


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