普通の町に珍妙な建築

2013-06-18 17:24:05 | 塾あれこれ
芸術的建築家の中には住みにくい家を造って
平気な顔をしている先生が多いようです。

屁理屈はいくらでもついてきますから
普通の町並に突然一軒だけ珍妙際まる物を建て
辺りの住人が苦い思いをしても
「芸術が分からん朴念仁」ととぼけます。

有名な建築家になれば勝ち。

どれほど眉を顰める人が多くいても
「美は我にあり」として平然。

TVでくだんの物件だけ映すと「将来の建築はかくや」
すこしでもカメラが横を向くと笑っちゃうような光景が
広がっています。
「それ、ヘンやろ」

どうやら才能の第一に(無神経の顔ができること)が
新奇な建築家やアーティストに求められているようです。
普通じゃ、売れませんからね。

そんなヤカラに乗せられる素人も情けないですが。


大阪の「新梅田シティ」の庭の横に
かの安藤大先生が壁を造るって問題も、どうですか。

大先生は「オレのセンスに文句あっか」でしょうが
有名になったら何をやってもよいのかね。

造園家の側が訴えているそうですね。
うん、キレますよね。
たとえ難しい訴訟でも言うべきは言わないと。

大文化人になりあがった安藤大先生ですから
厳しい戦いになるかな。

貧乏人の暮らす一角に珍妙な作品を発表して以来
器用に新奇な作品を発表されているようです。

尾道の千光寺山頂の美術館、
なんですかねありゃ、わざと廻りづらい美術館って。
戸惑う人のために、広くない館内に案内板があります。
欠陥建築かなあ?
戸惑う方がセンスがないということか。

高梁・成羽美術館
浅い水に囲まれた建物・・・平凡だろ。

設計料、おいくらかなあ。


安藤大先生の喋っておられるのを見聞きしますと
じつに浅薄。

塾は諸悪の根源、くらいに言います。

知識のソースが新聞程度なんですね。
固定観念いっぱいで情けない。

彼が現代日本を代表する文化人ですから
この国も寂しい。

『八重の桜』二本松

2013-06-18 10:26:40 | 塾あれこれ
維新期の大きな戦闘に比べると二本松は
さほどではないかもしれませんが
人の命を考えると今回の『八重の桜』も重い話でした。

作中に小道具としてダルマが出てきますね。
たぶん実話ではなくて創作だろうと思うけれど
泣かせる話です。
脚本としてはミエミエすぎとも思うので、或は実話かな?

世界中で子供たちが戦闘に加わります。

「正義」から「そそのかされ」まで、
いや「無理やり」もありますね。

子供の気持ちは分かるけれども良いことではない、
ま、現代人・西欧風の感想になりますが。
(いくつから大人、も難しい話です)

元服していれば戦争をするのがよいのか、
昔の話だから仕方がないのか・・・


印象的なダルマを見ていてふいに思い浮かんだこと。
いえ、戦争じゃなくて、ただのダルマ話。

『月曜から夜更かし』でもやっていましたが
ダルマはかなり時代遅れの感じがしますね。
(達磨関係者の皆さん、すみません)

選挙事務所にはなぜか鎮座しておられますが。

私が子供の頃には少なくなっていました。
普通の家にダルマなんていません。

そのころ爺さんがダルマを買って祖母に叱られた、
かなりきつくね。

ごく貧しい生活をし、長男(父)は頼れず。
以前も書きましたが、祖父は戦前、青果問屋の旦那。
問屋の組合をつくるのに尽力をしたそうです。

出来あがってみると、組織から外され
ただ人の好さを利用されただけだったようです。
自分の問屋は傾き、そこへ戦争でしょ、
多分、商才が無かった(仏の幸兵衛さん)は、なす術を
しらず没落、シベリアから体を壊して帰還した長男は
頼りなく、二男は政治がらみで、これまた生活力なし。

夕食時にときおり祖父のグチが始まると
アニメみたいに♪が~ん!と
真っ暗になったものです。
本当に光量が減りますよ。

そして何を思ったか幸兵衛さん、仕事をすると言い始め
60は超えていたのに、棒天振をする、と。

祖母は「ふうが悪いから、どうか」

それでも天秤棒の前後に荷を積んで(たしか木綿)
売り歩いたが、売れません。当たり前です。

笑い話になりそうですが、現実だと・・暗~い。

今考えると昔の顔見知りを訪ね歩いたのでしょう。
祖母が嫌がるはずです。
時には三原あたりまで。きっと汽車にも乗らず
国道を歩いた。
昭和30年代でもボテフリは珍しい姿です。

ご近所は「ど、どしちゃったん・・」

ある日、ボテフリの商品の代わりにダルマを持って
帰ってきました。
三原はダルマの産地、知り合いに生産者がいたのでしょう。

「こうてつかあさい」
「いやあ、うちもこう見えて苦しいんよ」
「そこをひとつ」
・・・
「じゃダルマどうな、これと換えよう」

人が好いので押し切られた。


何年か、白目のまま、ダルマが棚の上にありました。
運も呼びません。

祖母のイジなんでしょうね。


小六のとき祖母が亡くなり祖父の元気がなくなりました。
もともと笑顔のない爺さんで私は苦手でしたね。

晩年はボケて家中のものを(終いに金まで)
ばらまいて歩いた・・

とある明治の男の話です。