『鴨、京都へ行く』

2013-06-07 14:38:11 | 見る
軽~いドラマも悪くないですね。

旅館のサービスで、客の痴呆が治りかけるとか
相変わらず「そんな・・」というコテコテですけれど
「そんなドラマなんだ」と思えば腹も
立たなくなってきました。

今週はいつもより脚本が練られてあり
(もしくは、話を詰め込んであり)
なおかつ演出も落ち着いていました。

「自分が知らなかった、亡き親の心を、いま知る」
というのには弱い私でした。
何も知らないまま親に迷惑をかけ通しでしたから。


今回、初めて旅館らしい食卓になっており
(初回からこれくらいは用意して欲しかったね)
「ワタシ的には」合格点でした。

京都の高級老舗旅館に行ったことがないので
イメージだけの話になりますが
本当はもっと重厚な料理ではないでしょうか。

器なども超立派なね、美術館クラスが出るのでは
ないかしらん。
民放TVドラマでは仕方がないのでしょうけれど。

他にも部屋の造りとか・・

しかしね、二百年の伝統ある豆腐の味が変わって
老舗旅館の板前が気づかないか?
『上羽や』のイタさんが手抜きで気付かないにしろ
噂にもならない(京)じゃあ、情けない。

ま、お軽いドラマだから良いか。

なぜか見続けるドラマです。

森永キャラメルの帯

2013-06-07 10:12:49 | 塾あれこれ
子供のころ、キャラメルは上等なお菓子の一つでした。

少し前に幼い時の記憶について書きました。

小さなころの記憶というものは残らない人が
多いそうですが、私はなぜかあります。多少ね。
その代わりに今の記憶がアヤシー。

もっとも、親などの大人から後日刷りこまれたものを
さも「自分の記憶」と錯覚している場合がありそうです。

もう誰も生きていないので私としては「言い得」かなあ。


森永キャラメル、
今では想像ができないほど、輝くお菓子でしたね。

実は明治キャラメルの方が好きでした。
口当たりがよくって品があった。

でも、もちろん森永も大好きでした。

その森永キャラメルは箱に帯が付いていました。

真ん中縦方向にね、5mm幅くらいだったかな。
この帯を除いて箱を開けたのです。

確かね、帯を破かないでそっと箱から外し
中を食べる、なんてこともしていました。
もちろん一粒食べては帯を元へ戻すのです。

ある時、その帯がなくなって箱に印刷されたのが
販売されたのです。
軽いショックでしたね。

「帯がよかったのにぃ~」


年表で(お手軽にネットで)調べると
帯がなくなったのが昭和27年と書いてあります。

ならば私は3才か4才。

あの鮮明な記憶は3歳児のものだったんだ。


グリコのキャラメルは森永・明治と比べると落ちました。
お値段も安かったのではなかったかな。

森永などは直方体に角ばった粒でしたが
グリコは丸い粒でした。(ラグビーボール型)

それが箱の中にごろごろと入っているのです。
紙などで包んではいませんでした。
いまアーモンドチョコが箱に入っているのと似ています。

ただし箱を開ける方向が違います。
他のキラメルと同じ処(今もそう)
つまりチョコの箱より少しだけ取り出しにくい。

一粒ずつを紙に包むようになったのはいつだろう?
森永も昔は包んでいなかったように記憶していますが
これは怪しい。

グリコのおまけはいつから始まったのか。
飴玉と一緒に箱の中に入っていたのがオマケだけ別に、
上に小さな箱がついたのを覚えています。

まずそちらを開けてオマケを確認しましたね。


こんな話は1才上のイトコが生きていれば
確認しやすいのですがねえ。

日本家屋の薄暗い部屋で、しかしそこだけに灯りが
差しているような、そんな画が頭に残っています。

チョコレートよりキャラメルだったな。
小学生も3、4年までは。