もうブログの量が増えてきましたし
記憶もあやふやなので、既に書いたことを
二度三度また書くなんてことをしてませんか?
ちょいとアナクロな話ですが
古い教育観で恐縮です。
父母が結婚してまだ何年かのころ
姉を強く叱っていた母に向かって祖母が
「井上ではそんなしつけはしません。
大きな声を出して叱らないように」と
言ったそうです。
母と祖母は「嫁姑問題」の典型のような関係で
たびたびバトルがあったようですが
後年私に上記の話をし「偉いひとだった」
決して良いこととは言えないのですが
孫の私にも「井上は瘦せても枯れても士族」と
侍の家系であることを植え付けていました。
たぶん喰いつめ侍の後裔なのでしょう。
脇差が一本残っています。
元禄の新刀で良いものではありません。
母によると「幸兵衛さんの時代に買ったのでは?」
なんてクールな話をしていました。
本当かもしれません。
しかし意識としての侍は教育方針の柱になっていた
ようです。
「わーわーきゃーきゃーするな」
体罰を受けたこともありません。
戦争に行った父はとてつもなく怖い人でしたが
手はあげませんでした。
○
後年気付いたことがあります。
小学生のころ祖父母と暮らした時期がありました。
昔はカブト虫やクワガタも多くいましたね。
空けていた窓などから飛び込んでくるほど。
カブト虫は力が強いですがクワガタはさほど。
捕まえて箱に閉じ込めても逃げ出せません。
丈夫な紙の箱に入れ、空気穴をいくつもあけ
綿に水をしめらせて入れゴムバンド(輪ゴム)を
しっかりとかけて学校に出かけました。
楽しみに帰ってくると、あら不思議、
ゴムは掛かっているのにクワガタはいません。
何度かこういうことがあって、「不思議だな、
隙間からどうやって逃げ出すのだろう」と思い
いつのまにかそういうことは忘れました。
○
大人になって気付きましたね。
きっと祖母が逃がしたのです。
虫が逃げ出せるわけない「装備」でしたから。
孫に「生き物は大切にしろ」とか
「そんなことはしてはいけない」と強く言う
なんてことはしないのです。
西洋式の、理屈を話してきかせる、のではない
いかにも東洋式の接し方ですね。
東西どちらが良い悪い、ではなく
今の日本に欠けているものが当時はまだあった、
これだけは言えると思います。
黙って、いつか伝わるように。
(待つというエネルギーはすごい筈です)
そのほうが却って論理的な人間に育つのでは?
近頃の若い人を見てそう思います。
今は○×思考の延長で、ツイッター思考
すぐれて反射的ではありますが
腰を落ちつけて、なんてことはとても少ない。
記憶もあやふやなので、既に書いたことを
二度三度また書くなんてことをしてませんか?
ちょいとアナクロな話ですが
古い教育観で恐縮です。
父母が結婚してまだ何年かのころ
姉を強く叱っていた母に向かって祖母が
「井上ではそんなしつけはしません。
大きな声を出して叱らないように」と
言ったそうです。
母と祖母は「嫁姑問題」の典型のような関係で
たびたびバトルがあったようですが
後年私に上記の話をし「偉いひとだった」
決して良いこととは言えないのですが
孫の私にも「井上は瘦せても枯れても士族」と
侍の家系であることを植え付けていました。
たぶん喰いつめ侍の後裔なのでしょう。
脇差が一本残っています。
元禄の新刀で良いものではありません。
母によると「幸兵衛さんの時代に買ったのでは?」
なんてクールな話をしていました。
本当かもしれません。
しかし意識としての侍は教育方針の柱になっていた
ようです。
「わーわーきゃーきゃーするな」
体罰を受けたこともありません。
戦争に行った父はとてつもなく怖い人でしたが
手はあげませんでした。
○
後年気付いたことがあります。
小学生のころ祖父母と暮らした時期がありました。
昔はカブト虫やクワガタも多くいましたね。
空けていた窓などから飛び込んでくるほど。
カブト虫は力が強いですがクワガタはさほど。
捕まえて箱に閉じ込めても逃げ出せません。
丈夫な紙の箱に入れ、空気穴をいくつもあけ
綿に水をしめらせて入れゴムバンド(輪ゴム)を
しっかりとかけて学校に出かけました。
楽しみに帰ってくると、あら不思議、
ゴムは掛かっているのにクワガタはいません。
何度かこういうことがあって、「不思議だな、
隙間からどうやって逃げ出すのだろう」と思い
いつのまにかそういうことは忘れました。
○
大人になって気付きましたね。
きっと祖母が逃がしたのです。
虫が逃げ出せるわけない「装備」でしたから。
孫に「生き物は大切にしろ」とか
「そんなことはしてはいけない」と強く言う
なんてことはしないのです。
西洋式の、理屈を話してきかせる、のではない
いかにも東洋式の接し方ですね。
東西どちらが良い悪い、ではなく
今の日本に欠けているものが当時はまだあった、
これだけは言えると思います。
黙って、いつか伝わるように。
(待つというエネルギーはすごい筈です)
そのほうが却って論理的な人間に育つのでは?
近頃の若い人を見てそう思います。
今は○×思考の延長で、ツイッター思考
すぐれて反射的ではありますが
腰を落ちつけて、なんてことはとても少ない。