すぐには出来ない

2013-06-02 15:08:54 | 塾あれこれ
慎重な人間です。
(意識だけは古~い)家庭で育てられた長男ですから
安全運転第一に育ってきました。

30を過ぎ、サラリーマンを辞めて塾業界に入ったのは
いまから思えば「ずいぶんと思いきった」ことでした。

一般の方なら「それもあり」と思われるでしょうが
私にとっては「一世一代」の思い切ったことでした。

以前にも書きましたが、雇ってくれた塾側も
「こりゃ、あかん」と思っていたそうです。
先輩の先生方も事務の方も。

業界ではド素人だし、タイプとしても向かない・・


最初は先輩が付いてレクチャーをし、
しばらくするとクラスを任されますが
その後も沢山の指導の言葉などを頂きました。

聞く側は「当たり前」に思えても、私の実態を察しての
話ですから、ずいぶん後になって、沁みてきます。

「ちょっと教えたからって、出来るもんじゃあない」

まあ、当然の話なんですよね。
でもなぜ先輩がそのときそう言ったのか、がピンと
こない・・アホですねえ。

その言葉の向こうには、「出来るとはどういうことか」
とか「マルになってれば良し、で済まないことも多い」
とか、数えきれない課題があるのですが
そのトバグチにたつべしとの教えでした。

教員として、教わる側の全人生に関わるとの意識を持て
ということなんですよね。
(ナントカ算を教えることを通じて、その子たちの、物を
 考える姿勢、人生での問題解決能力を引き上げるのです)

もちろん、こちらが自意識過剰になって
「あなたの人生引き受けちゃいます、お任せ!」となっても
それはそれで最悪。

そんなご立派な方ですか、っつーの。

多くの場合、教わる側の方が自然に「追い抜いてく」ので
それは教える側が偉かったからとは、到底言えないので。

教員はどちらかに偏ってはいけないようです。
一人一人に向かって違う顔を見せ、いや同じ人間にも
時により場合により出方を変えてゆかねばなりません。


私も難しさに「どうしろと?」と思いましたね。

簡単にいえるような仕事ではない、とだけは言えます。

教育は人類に残された最後の課題かもしれませんね。


それだけに近年のテクニック万能(~メソッドとか)の
風潮には危惧を覚えます。
本当に大丈夫かは、現代社会に向いていそう、などで
確認できることではなく
長い歴史の検証に耐えたことと繋がるかどうか、なのです。