『仰げば尊し』

2009-03-11 22:21:22 | 塾あれこれ
母が亡くなる前年、童謡のコンサートに一緒した
ことがあります。カミサンと三人でした。

私は童謡にはすぐに泣けてくるので苦手なのですが
母が難しそうなコンサートは敬遠をするので
これならば行くと言いそうな演奏会を探したのです。

同年代以上の者ならば誰でも知っている美しく
そして懐かしい歌が流れます。
そうだ、こんな歌があったなあ、でグっときます。
ふいに(麗しかったあの頃)に戻れるのですから。

この演奏会で母が一番強く感動したらしい曲が
『仰げば尊し』でした。
しきりに目頭をぬぐっているのです。

意外でした。
よく耳にする曲じゃないか。。。
いわゆる童謡でもないし。


それから一年たたないうちに母が突然亡くなり
いま少しずつ全体像が見えてくる気がしています。

以前、当ブログに母が短歌を書き残していたと
書きました。
オヤジと離婚まがいの大喧嘩、のような余程感情が
昂ぶったときに書いた様です。

弟が大学に進んだときのものがあります。

『浪人になべてきびしき受験をば独学で得し栄冠の光る』

母はずいぶんと喜んだようです。

私のものなど何も残っていませんからねえ。
ちょっと気が抜けるけれど事実なんです。。

どうということのない歌、というよりも客観的には
「そんなにご自慢ですか」といわれそうな作です。

ただ、私には喜びようの大きさが分る気がします。
母親が子を見る時にはこういう眼差しになるのですね。


何度も書きますが、そして結構多くの家庭がそうで
あったと思いますが、世の中は貧しかった。

そんな中、親が子にしてやれることは学歴をつける
ことで精一杯だったようです。

それで勉強を煩く言ったのに(言ったから?)
全く弟は勉強しなかったのです。
公立高校をかろうじて卒業し就職。
社会に出てから志を変えたようです。
予備校には行かず苦労した受験だったらしいです。

末っ子ですから可愛さもあり、そこで歌ができた
のでしょう。

そののち彼は勉強して愚兄を追い抜きました。
一時期東大の助手をやっていた弟を母がどれほど
自慢にしていたか。

「下の子はいまどうしておられる?」と聞かれる
ことを無上の喜びとしていたフシがあります。

そばにいる私は「たかが助手」と恥ずかしかった
のですが、ヤッカミもあったかもしれません。


母は愛媛県大三島の一番の貧乏村に生まれました。
六人兄弟の三番目、進学には恵まれない立場です。
特に戦前の女の子はよほど出来ないと勉強の道は
開けなかったでしょう。
ふつーの人であった母は中学へは行けず
尋常高等小学校が最終学歴です。

もしかすると母には学歴へのコンプレックスがあった
か、と思います。

還暦を過ぎての小学校の同窓会にわざわざ大三島に
行っていますが、女性は皆、晴れ着の和服を着た写真
が残っています。

母にとっての学校というものはそこしかなかったの
ですから是が非でも出席したかったのでしょう。

『仰げば尊し』が沁みるのは「学校」への思いの反映
ではなかったのか、と今思い至るのです。


我々子供は母の教養のなさ、というより学歴のなさ
をバカにしていた処があります。

時には複雑な思いもよぎったのではないか?

選択が閉じられていた人生
いちどきりの人生なのに。

生意気なことをした、と今反省します。
(この年で気づいても、遅い・・・・)

机に仕舞ってあった母の短歌に微妙な心を見ます。
生きている間は優しさだけの苦労人でしたが。

「人生ってそんなもん。
 それで満足してちょうどよいのですよ」

そんな声が聞こえるのですが
しかし不肖の息子はなかなかその心境に辿り着けません。


写真は(さんしゅう)の花

あっという間に咲いていました。

春になりましたねえ。