「海抜千五百尺の高寒なこの村にも、ポンの往来する
大道は幾筋か通っているとみえる。
どの山あいを越えるのか、途(みち)で遭ったという人も
聞かぬが、今まで一年として来なかった年もなく、
いつの間にかちゃんと来て小屋を掛け、つつましく煙を
あげている。
からやや離れた山の蔭の、樹林を隔てて水の静か
に流れる岸などが、この徒の好んで住む地点である。
あるいは往還から下手の日当たりに、子供まじりの
人声を聞くことがある。・・・」
柳田國男著『ポンの行方』書き出しの一節です。
昭和初期に発表されたものですが、どうです?
名文でしょう?
オオゲサな表現などは一切ありません。
ポンと呼ばれた人達がいた。その人達は・・・?
と引きこまれるじゃないですか。
◎
上記の文は柳田國男が大正九年頃の旅行での聞取りを
エッセイにされたものです。
文春文庫・沖浦和光著『幻の漂白民・サンカ』から
柳田國男の著作を孫引きいたしました。
旧仮名だともっと気分が出るでしょう。
なお、改行は私が勝手に行なっています。
◎
これが名文である理由の一つがリズムです。
漢文の素養を基にし、書き言葉の世界がきちんとして
いた時代には国語のリズムもしっかりしていました。
定型から多少離れても良い調子を保てるのです。
定型詩の世界も同様で、五七五などの世界が安定して
いるから、自由律が可能になります。
山頭火の後に著名な作家が続きませんけれども。
私が知らないだけかなあ?
自由律は難しいですよね。
作歌作句においては字余りですら難しいのです。
いわんや~をや、です。
千年以上前の歌人が字余りなどを自在に使っている
のを知ると感嘆しますね。
それに比べて現代ワカモノ作の字余りは下手です。
字数は余っているのだけれども「字余り」になって
いません。
字が余ったからそうなっている、というだけで歌に
なっていないのです。
難しいと言うこと自体が分からないレベルなのでしょう。
またヂイさんの「近頃の若者は」が始まりましたね。
今日はこの辺で。
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