日曜の夜は眠くて途中からTVのNHKアーカイブス
を見ました。
昭和37年の佃島は私が当時住んでいた広島市内より
田舎の風情が残っていました。
好い町だったようです。
こんなところで育つと人も違うでしょうね。
団塊の世代の子供達を捉えたドキュメンタリーです。
戦後、社会環境は激変し(オリンピック前ですが)
親は多忙で子供の世話まで手が回らず「かぎっ子」が
増え、教育力は低下、子供の健全な成長を危ぶむ声も
強くなっていた時代です。
この状況は現在と大きな違いがありませんね。
社会の様子は物質的なことを中心としてこの数十年で
大きく変わってしまいました。
教育については変わりがありません。
基本的課題が何も解決していないのです。
○
この間、教育に関する学問も進みました。
学問のみならず教育に対する考え方も進歩し、
現場も様々の努力を重ねて来たはずです。
さらに教育法やツールも大きく進歩をしています。
上記の番組が放送され40年以上も経ちます。
その間に文部省の学習指導要領は大きく3度も改訂
されました。
しかし、多くの人達の努力に関わらず解決の糸口も
見えないのが現状です。
社会の変化が速くて改善が追いつかないのかもしれ
ません。
学力などの定義の問題かもしれません。
ある意味では学力は落ちていないともいえます。
測定方法が確立していないのでそもそも比較の仕様
がないことかもしれません。
○
ただ実感としては、落ちている、もしくは改善されて
いないということも事実です。
もちろん実感というものは注意しないといけません。
少なくとも業界では新しい生徒を「力がない」と見る
癖がついている人間が多そうですし。
前の塾では10年20年をかけたデータを取っていま
した。すべて置いて来ましたが、はっきりと下降線が
出ていたのは間違いありません。
(履修範囲による調整はしてあります)
入試問題を解くという意味においては力は下降し続け
ていたことに間違いはないようです。
繰り返しますがこれだけを「学力」と言うものでは
ありません。
また学力だけを教育の問題とするものでもありません。
比較的、現状を語り易く、仕事柄私もナニゴトかは
語れそうなのでそこに中心を置いた話になります。
◎
何十年たっても学力など改善が見られない、という
前提で、もう少し話を進めましょう。
色々、努力をしてきたが上手く行かず、それを踏まえ
た現在の再生会議の提言もあの程度の小手先です。
手詰まりになっていると言えそうですね。
○
スタートを間違えているのだと私は考えます。
「占領軍の謀略」を持ち出すわけではありません。
証明不能なものを持ち出して自説を述べることが
流行りのようですが親学ならぬコメンテーター学が
必要な時代ですね。
話がそれました。
スタートというのは、どう言う社会であるべきかの
コンセンサスができていないことをさします。
価値観が多様になる中で大変に難しい事ながら、時代
の気分に流されることなく次へ進むためには、どうし
ても必要なことです。
もちろん画一的な社会を作ることではありません。
私達は、伝統と縁が薄くなってしまった団塊やそれ
以後の世代にせよ日本文化の中で育ってきました。
先日来のワンパタンになりますが、日本の文化を
見なおし、悪い面は排除しつつも歴史の中に学び
解決法をさぐる、ここから始めたらどうか、と愚考
しているのです。
日々の仕事の中にそれを意識しておかねばなりません
し、また発信もし続けねばなりません。
人気のないブログで何かを言いつづけることは百年
河清を待つ愚者の行為かもしれません。
とはいえ、これくらいからでも始めないと世間様へ
ご恩返しができません。
光陰矢の如し。
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