相変わらず会議会議で死ぬほど忙しいです。
深夜まで忙しいです。
D800の写真は3回処理しないとブログに載せられません・・・
一気に説明しないと訳が判らないST-ONとライヴの件がちょっとずつしか出せなくて地団駄踏んでいます。 (一回で書きたかった!)
今週末デトレフはS3/6を運転する(ÖBB special trainの機関士をする)のですが、私は関西合運に行ってきます。
ブログ的には暗雲垂れ込めています。 ネタ腐りの危機。
・・・・粛々と出します。
二番手 岩本舞子『WAKUWAKUさせて』を歌います。
中1の頃よく歌っていた、似合っていたから「これ歌ってね」の一曲です。
岩本舞子(遠野舞子)がST-ONに現れたのは1986年5月、中学生になったばかり(12歳)です。
おそらく5月5日復活の日の前日、5月4日におはスタマヌカン(おニャン子クラブのTX版)にくっついて侵入したのではないかと想像しています。
(病原体の侵入経路の話か!?)
当時の「おはスタ」は午前7時東京タワー前のスタジオ屋外で始まりました。
其処には地元の子供たちが映っています。
その中に舞子はじめST-ONの一大勢力になる港中の子供たちがはっきり映っているのです。
これが侵入ルートだったのか!と
ST-ON事務局はST-ONのイベントの中に『舞子の情報コーナー』(渋谷の街情報をお知らせするコーナー)を作って強引にレギュラー化、夏には第1回グランドチャンピオンである田中知子とともに3人で少女隊(田中知子!・岩本舞子・星奈々!)をやらせ、星奈々とのコンビ(ナナ&マイ)でチャンピオンになり・・・・
岩本舞子が遠野舞子としてデビューするのは18歳です。
もっと巧く扱ってあげられていたらというのが大きな悔やみです。 (後でまた取り上げます)
http://ameblo.jp/tohno-maiko/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E9%87%8E%E8%88%9E%E5%AD%90
http://www.google.co.jp/search?q=%E9%81%A0%E9%87%8E%E8%88%9E%E5%AD%90+%E7%94%BB%E5%83%8F&hl=ja&prmd=imvnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=siJjUKrRJ6X2mAWY04DQBw&sqi=2&ved=0CCAQsAQ&biw=1140&bih=488
三番手 いまのまい『アンバランスに抱きしめて』を歌います。
88年ですので本日の出演者の中では一番後の登場です。
http://ameblo.jp/maiimano/entry-11321039573.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%84
いまのまいは今でもライブハウス等で懐かしのアイドル曲を歌い繋いでいるので思いもよらぬ曲でもカラオケを持っている・・・そのお蔭で『懐かしのライヴ』が出来たのですから今日の殊勲一番!です。
ST-ONも1988年頃になると出場者が応援する「親衛隊」とも「プロデュースマネージャー」ともつかない人達と一緒に来るパターンが現れてきます。
たしか今野舞(いまのまい)(上から読んでも下から読んでもいまのまい)もそういう一人だったように思います。
ところで彼女が歌っている『アンバランスに抱きしめて』は姫乃樹リカの歌です。
彼女はわざわざそれを選んで歌ったのですが、姫乃樹リカもST-ONの重要な構成員でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB%E4%B9%83%E6%A8%B9%E3%83%AA%E3%82%AB
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%A7%AB%E4%B9%83%E6%A8%B9%E3%83%AA%E3%82%AB&hl=ja&prmd=imvnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=kTNjUNK8POPzmAWZtoHoDA&sqi=2&ved=0CCsQsAQ&biw=1140&bih=488
姫乃樹リカのST-ON初登場は1986年5月11日復活第二回大会に出場してチャンピオンになっています。
名前『姫乃樹リカ』はモモコクラブのモの字も無い当初から姫乃樹リカでエントリーして居り「西村知美とのダブりを避ける」説は間違いだと思います。 所属するピュアコーポレーション代表中牟田さんからは「目立つ名前を考え姫乃樹にした」と聞いていますので間違いないでしょう。
姫乃樹リカは約1年間(中3時)毎週出演して居り、その間に磨かれて行く姿が完璧に残っています。 当初は出場者として勝負し続け、モモコクラブからの要請で出場者としての道をふさがれてからは『名誉グランドチャンピオン』の名を受けてレギュラー出演しています。
1987年1月代々木公園野外音楽堂での第1回姫乃樹リカファンの集いは我らST-ON事務局がすべて運営したほど一心同体だったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%A2%E3%82%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96
現在は結婚してアメリカ在住とのことで当初から交渉も諦めて居ます。
はじめて現役ではない娘がステージに立ちます。
4番手 田中知子『デザイア』を歌います。
今日の出演者の中で3番目に古くから居る子です。 1985年2月(中2時)飛び入りコーナーへの参加が一回目の登場です。
スターダスト時代のST-ON第9回グランドチャンピオンにも輝きました。
復活第一回グランドチャンピオン大会で姫乃樹リカと激闘を演じ勝った歌がこのデザイアです。
決勝の結果
田中知子 88.8ホーン
姫乃樹リカ 88.1ホーン
と言う際どい勝負でした。
彼女は一時はテレビの物まねショーに出演していました。
http://takepro.net/third/a/03/02/nakamuraakina.htm
http://person.naver.jp/1131663
中森明菜が好きでその歌を集中的に歌っていますが、歌唱力では田中知子の方が100倍上手いと思います。
誰の歌を歌っても聞く人の心を揺さぶります。
日本人に必要なのは彼女の歌かも知れないとも思いますが私には実現する方法が有りません。
もう一つ田中知子の面白いところは、衣装を自分で作ってくることです。
(復活8回目のグランドチャンピオン大会、少女隊の衣装はやっぱり傑作だったと私は思っています)
現在彼女は介護の仕事をしています。
テレビの歌真似ショーと言えばこの人「星奈々」です。
5番手 星奈々『ワンウェイジェネレーション』を歌います。
奈々が復活第5回グランドチャンピオンを勝ち取った曲です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%A5%88%E3%80%85_(%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%AD%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88)
http://bemahalo.com/profile.htm
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%98%9F%E5%A5%88%E3%80%85&hl=ja&prmd=imvnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=ZUFjUL_RHsH2mAWe4oHgCQ&sqi=2&ved=0CCcQsAQ&biw=1140&bih=488
星奈々が初めてST-ONのステージを踏んだのは1984年9月30日(第三回)です。 もっとも古い子です。 (今日の観客にはもっと古い子が居ますが)
小学校6年生でした。
グランドチャンピオン時と同じバックアップ隊が後ろで踊っています。
和泉佳保里と伊能貴子です。
アシスタントの和泉佳保里は居なくなったと思ったら着替えていたわけです。 伊能貴子は佳保里が連れてきた日の出女子学園一年時の同級生(名前から見て出席番号隣?)
BU隊(バックアップ隊)の衣装のままアシスタントの位置に戻った和泉佳保里。 高橋剛を紹介します。
高橋剛は2番目に古い子です。 初登場は1985年1月、当初からゲスト、司会として来ています。 初代司会アシスタント保坂尚希が多忙になってきたために招請されたのです。
今日は6番手として『そして僕は途方に暮れる』を歌います。
85年1月、初めてステージで歌った歌なのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%AF%E3%81%97%E3%81%94%E3%81%86
http://amigo.aleaders.jp/e14143.html
たかはしごうは一回だけ出場者として出た事が有ります。
「一回だけ出てみようよ」という私のお願いでやってみたのです。
結果は“拍手全然なし”でした。 プロが出てみた感じ・・・冗談にしか見えなかったのかなと思います。
実は和泉佳保里も同様の事態に陥っていましたが。 (こちらは上手いんじゃなくて綺麗すぎて出場者らしさが無かった)
7番手ポニーテールズ 『時の川を越えて』を歌います。
ポニーテールズは石田いづみ、太田晴恵、内八重友賀の三人だったのですが、高校卒業を機に石田いづみが引退してから太田晴恵、内八重友賀の二人になっています。
先程のたかはしごうは東中学3年5組ですが、この太田晴恵は金八先生に出ていました。
↓?
http://spysee.jp/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%99%B4%E6%81%B5/1894293/
性格の明るい太田晴恵が呼びかけて、内八重友賀、石田いづみを集めて結成されたと感じています。
太田晴恵(当時13歳)は岩本舞子の港中同級生で大きなメガネが可愛かった!
太田晴恵が呼ぶ「うちゃ」が内部で浸透し「内八重友賀さん」から「うちゃ」に変わっていったのです。
実に可愛らしいニックネームだと思います。
実力者揃いの今日の出演者の中でも結構目立つ歌唱力を持つのがこの太田晴恵です。
しかし現役プロを差し置いてのソロは「遠慮」になってしまい。 残念です。
ポニーテールズがガールズクラブ(田中知子、和泉佳保里、星奈々)とストリートキッズ(当時中2の少年ダンサー3人組)を撃破する第8回グランドチャンピオン大会は見応えが有りました。
そう、彼女たちは第8回グランドチャンピオンなのです。
深夜まで忙しいです。
D800の写真は3回処理しないとブログに載せられません・・・
一気に説明しないと訳が判らないST-ONとライヴの件がちょっとずつしか出せなくて地団駄踏んでいます。 (一回で書きたかった!)
今週末デトレフはS3/6を運転する(ÖBB special trainの機関士をする)のですが、私は関西合運に行ってきます。
ブログ的には暗雲垂れ込めています。 ネタ腐りの危機。
・・・・粛々と出します。
二番手 岩本舞子『WAKUWAKUさせて』を歌います。
中1の頃よく歌っていた、似合っていたから「これ歌ってね」の一曲です。
岩本舞子(遠野舞子)がST-ONに現れたのは1986年5月、中学生になったばかり(12歳)です。
おそらく5月5日復活の日の前日、5月4日におはスタマヌカン(おニャン子クラブのTX版)にくっついて侵入したのではないかと想像しています。
(病原体の侵入経路の話か!?)
当時の「おはスタ」は午前7時東京タワー前のスタジオ屋外で始まりました。
其処には地元の子供たちが映っています。
その中に舞子はじめST-ONの一大勢力になる港中の子供たちがはっきり映っているのです。
これが侵入ルートだったのか!と
ST-ON事務局はST-ONのイベントの中に『舞子の情報コーナー』(渋谷の街情報をお知らせするコーナー)を作って強引にレギュラー化、夏には第1回グランドチャンピオンである田中知子とともに3人で少女隊(田中知子!・岩本舞子・星奈々!)をやらせ、星奈々とのコンビ(ナナ&マイ)でチャンピオンになり・・・・
岩本舞子が遠野舞子としてデビューするのは18歳です。
もっと巧く扱ってあげられていたらというのが大きな悔やみです。 (後でまた取り上げます)
http://ameblo.jp/tohno-maiko/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E9%87%8E%E8%88%9E%E5%AD%90
http://www.google.co.jp/search?q=%E9%81%A0%E9%87%8E%E8%88%9E%E5%AD%90+%E7%94%BB%E5%83%8F&hl=ja&prmd=imvnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=siJjUKrRJ6X2mAWY04DQBw&sqi=2&ved=0CCAQsAQ&biw=1140&bih=488
三番手 いまのまい『アンバランスに抱きしめて』を歌います。
88年ですので本日の出演者の中では一番後の登場です。
http://ameblo.jp/maiimano/entry-11321039573.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%84
いまのまいは今でもライブハウス等で懐かしのアイドル曲を歌い繋いでいるので思いもよらぬ曲でもカラオケを持っている・・・そのお蔭で『懐かしのライヴ』が出来たのですから今日の殊勲一番!です。
ST-ONも1988年頃になると出場者が応援する「親衛隊」とも「プロデュースマネージャー」ともつかない人達と一緒に来るパターンが現れてきます。
たしか今野舞(いまのまい)(上から読んでも下から読んでもいまのまい)もそういう一人だったように思います。
ところで彼女が歌っている『アンバランスに抱きしめて』は姫乃樹リカの歌です。
彼女はわざわざそれを選んで歌ったのですが、姫乃樹リカもST-ONの重要な構成員でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB%E4%B9%83%E6%A8%B9%E3%83%AA%E3%82%AB
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%A7%AB%E4%B9%83%E6%A8%B9%E3%83%AA%E3%82%AB&hl=ja&prmd=imvnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=kTNjUNK8POPzmAWZtoHoDA&sqi=2&ved=0CCsQsAQ&biw=1140&bih=488
姫乃樹リカのST-ON初登場は1986年5月11日復活第二回大会に出場してチャンピオンになっています。
名前『姫乃樹リカ』はモモコクラブのモの字も無い当初から姫乃樹リカでエントリーして居り「西村知美とのダブりを避ける」説は間違いだと思います。 所属するピュアコーポレーション代表中牟田さんからは「目立つ名前を考え姫乃樹にした」と聞いていますので間違いないでしょう。
姫乃樹リカは約1年間(中3時)毎週出演して居り、その間に磨かれて行く姿が完璧に残っています。 当初は出場者として勝負し続け、モモコクラブからの要請で出場者としての道をふさがれてからは『名誉グランドチャンピオン』の名を受けてレギュラー出演しています。
1987年1月代々木公園野外音楽堂での第1回姫乃樹リカファンの集いは我らST-ON事務局がすべて運営したほど一心同体だったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%A2%E3%82%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96
現在は結婚してアメリカ在住とのことで当初から交渉も諦めて居ます。
はじめて現役ではない娘がステージに立ちます。
4番手 田中知子『デザイア』を歌います。
今日の出演者の中で3番目に古くから居る子です。 1985年2月(中2時)飛び入りコーナーへの参加が一回目の登場です。
スターダスト時代のST-ON第9回グランドチャンピオンにも輝きました。
復活第一回グランドチャンピオン大会で姫乃樹リカと激闘を演じ勝った歌がこのデザイアです。
決勝の結果
田中知子 88.8ホーン
姫乃樹リカ 88.1ホーン
と言う際どい勝負でした。
彼女は一時はテレビの物まねショーに出演していました。
http://takepro.net/third/a/03/02/nakamuraakina.htm
http://person.naver.jp/1131663
中森明菜が好きでその歌を集中的に歌っていますが、歌唱力では田中知子の方が100倍上手いと思います。
誰の歌を歌っても聞く人の心を揺さぶります。
日本人に必要なのは彼女の歌かも知れないとも思いますが私には実現する方法が有りません。
もう一つ田中知子の面白いところは、衣装を自分で作ってくることです。
(復活8回目のグランドチャンピオン大会、少女隊の衣装はやっぱり傑作だったと私は思っています)
現在彼女は介護の仕事をしています。
テレビの歌真似ショーと言えばこの人「星奈々」です。
5番手 星奈々『ワンウェイジェネレーション』を歌います。
奈々が復活第5回グランドチャンピオンを勝ち取った曲です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%A5%88%E3%80%85_(%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%AD%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88)
http://bemahalo.com/profile.htm
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%98%9F%E5%A5%88%E3%80%85&hl=ja&prmd=imvnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=ZUFjUL_RHsH2mAWe4oHgCQ&sqi=2&ved=0CCcQsAQ&biw=1140&bih=488
星奈々が初めてST-ONのステージを踏んだのは1984年9月30日(第三回)です。 もっとも古い子です。 (今日の観客にはもっと古い子が居ますが)
小学校6年生でした。
グランドチャンピオン時と同じバックアップ隊が後ろで踊っています。
和泉佳保里と伊能貴子です。
アシスタントの和泉佳保里は居なくなったと思ったら着替えていたわけです。 伊能貴子は佳保里が連れてきた日の出女子学園一年時の同級生(名前から見て出席番号隣?)
BU隊(バックアップ隊)の衣装のままアシスタントの位置に戻った和泉佳保里。 高橋剛を紹介します。
高橋剛は2番目に古い子です。 初登場は1985年1月、当初からゲスト、司会として来ています。 初代司会アシスタント保坂尚希が多忙になってきたために招請されたのです。
今日は6番手として『そして僕は途方に暮れる』を歌います。
85年1月、初めてステージで歌った歌なのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%AF%E3%81%97%E3%81%94%E3%81%86
http://amigo.aleaders.jp/e14143.html
たかはしごうは一回だけ出場者として出た事が有ります。
「一回だけ出てみようよ」という私のお願いでやってみたのです。
結果は“拍手全然なし”でした。 プロが出てみた感じ・・・冗談にしか見えなかったのかなと思います。
実は和泉佳保里も同様の事態に陥っていましたが。 (こちらは上手いんじゃなくて綺麗すぎて出場者らしさが無かった)
7番手ポニーテールズ 『時の川を越えて』を歌います。
ポニーテールズは石田いづみ、太田晴恵、内八重友賀の三人だったのですが、高校卒業を機に石田いづみが引退してから太田晴恵、内八重友賀の二人になっています。
先程のたかはしごうは東中学3年5組ですが、この太田晴恵は金八先生に出ていました。
↓?
http://spysee.jp/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%99%B4%E6%81%B5/1894293/
性格の明るい太田晴恵が呼びかけて、内八重友賀、石田いづみを集めて結成されたと感じています。
太田晴恵(当時13歳)は岩本舞子の港中同級生で大きなメガネが可愛かった!
太田晴恵が呼ぶ「うちゃ」が内部で浸透し「内八重友賀さん」から「うちゃ」に変わっていったのです。
実に可愛らしいニックネームだと思います。
実力者揃いの今日の出演者の中でも結構目立つ歌唱力を持つのがこの太田晴恵です。
しかし現役プロを差し置いてのソロは「遠慮」になってしまい。 残念です。
ポニーテールズがガールズクラブ(田中知子、和泉佳保里、星奈々)とストリートキッズ(当時中2の少年ダンサー3人組)を撃破する第8回グランドチャンピオン大会は見応えが有りました。
そう、彼女たちは第8回グランドチャンピオンなのです。