漫々亭

2011-02-11 | 喰いだおれ
大宮は漫々亭に行って来ました。

ネットで見てびっくり、かなり有名なモノなのですね。

http://luchu.com/manman/


大宮駅からすぐですが、中国東北地方かもしれないと言う気分になります。


恐るべき高温多湿な店内です。 まるで四川省芭石鉄道かなと・・・


「栓抜き」が実になじめる雰囲気です。


餃子とお奨めの一品(カレー味のもつ煮込みだったかな・・・)


老酒です。


ラー油です。

大井町の永楽そば店のものとそっくりかな・・・


牛タンさし ルイベ状態で出てきましたが物凄く美味しかったです。


ネギ味噌とニンニク炒めです。

食後は少々臭うかも知れませんが、我家は寝静まっているからOKです。


おじさんの単機運用だったのが、気が付くと重連になっていました。


満足しました。

「中国鉄」としては中国へ行った様な気分にもなれます。

(「これこそが日本だ」というものがこれだとしたら日本も中国も殆ど同じと言うことです)


最近私の回りでは大きな動きが多数渦巻いていますが、毎日毎日宴会が続くことと、「それ」以外で猛烈に忙しいのでなかなかブログが書けません。

模型工作も猛烈にやっていますがなかなかブログ向けではないつまらない作業ばかりです。

せいぜい頑張ります!




慶應義塾蹴球部四年生慰労会

2011-02-10 | ラグビー

去年に続き今年も慶應義塾体育会蹴球部(ラグビー部)四年生慰労会を開くことが出来ました。

今年は早慶戦で早稲田に勝ち、ジュニア選手権で優勝するなど素晴しい1年だったと思います。

慰労会も大変盛り上がり楽しい会となりました。


今年の早慶戦、前半耐える時間が長かったものの3-3で終え、後半開始直前の円陣です。


体格差を跳ね返したスクラム。


試合終盤まで正面からぶつかり合いました。


慶應義塾10-8 早稲田

慶應らしいロースコアの極致のような試合でした。


巨漢プロップを二組揃え、巨漢外人2人にFW戦で圧倒された大学選手権準々決勝帝京大学戦。


村田毅のトライで一矢報いましたが最後まで展開ラグビーに持ち込むことは出来ませんでした。

この写真からも体格の違いが判ります。

慶應義塾 7-38帝京大学(帝京大学は大学選手権優勝、現在も日本選手権で勝ち残っています)


スタンドから惜しみない拍手が続きました。


ジュニアチームキャプテン上田元樹さんからジュニア選手権優勝の報告がありました。

ジュニア選手権
準決勝(11月28日帝京百草)
慶應義塾38-26帝京大学

決勝(12月12日秩父宮)
慶應義塾19-17東海大学

ジュニア選手権「カテゴリー1」(一部に相当する)はリーグ戦順位で
①明治大 ②帝京大 ③慶應義塾 ④東海大 ⑤早稲田 ⑥関東学院
となっていました。
対抗戦グループ、リーグ戦グループと別れているわけではありません。

ジュニアチームでも体格で劣勢ながら際どい勝負を勝ち抜いて優勝(初優勝)したのです。

今年も素晴しい活躍に感謝!!

トップリーグに挑戦するメンバー、大学院へ進むメンバーなど進路は様々ですが、彼らの進む道に栄光あれ!!

日本の未来はまだまだ大丈夫だと言う気持ちにもなれた晩でした。






なかなかの忙しさ

2011-02-09 | 喰いだおれ
(本日の夕食です)


私の天敵、蝦です。


飛びました。

私は蝦、海老と蟹が苦手です。 幸いにしてこの蝦は私の分ではありません。

近来稀に見る忙しさの為ブログ滞ってすみません。

今日はお蔭さまで久々に書き込みます。

明日も早い時間に大宮ですぅ




渋谷道玄坂ビルが稼働し始めました

2011-02-06 | 鉄道模型ではない仕事
井門と言えば渋谷インテリア井門と言うぐらい「うち」の看板だった井門道玄坂ビルが少しずつ稼働し始めました。


1984-06-24 ビル正面の大段幕以外は昭和47年9月の創業以来外観が変わっていなかった頃の姿です。

もっといえば昭和44年大丸百貨店(ライフアップ大丸)渋谷店から外観は変わっていなかったかと思います。


1984-12-03 STAGE IMON が出来た状態です。

カメラが「バケペン」(PENTAX6×7)なので綺麗に写っています。

1Fでジュエリー井門渋谷店営業中の写真が見つからないのが残念です。

そのうち発見したらもう少し詳しく歴史を振り返ってみようと思います。


セガエンタープライズが使って居た時代の姿です。

ビル全体は「Ⅰ’m ON」、ゲームセンターの名前は渋谷GIGOでした。


セガが撤退してフロアー毎に賃貸する必要に迫られて入口付近にエレベーター2基を取付け、併せて耐震補強工事を行っている最近の姿です。


囲いが取れた状態。


そして、遂に一部稼働し始めました。


上階の居酒屋が営業開始になりました。

2010年8月のひと月の休業で営業が続いているパンダレストラン(旧中国料理井門)ともども渋谷での宴会の節は是非ご利用下さい。





木造家屋取り壊し

2011-02-03 | 鉄道模型ではない仕事

2011-01-17 09:40 まだ始まっていません。


2011-01-18 09:37 養生が始まり、重機が到着しています。


2011-01-18 13:00 始まりそうです。


2011-01-18 13:01 こちらからの眺めです。


2011-01-18 14:03 始まって一時間でもう此処まで来てしまいました。

水を掛けながらの作業です。


2011-01-18 15:48 その1時間45分後


2011-01-18 20:54 その日の晩です。

自分で壊した家の中に入って寝る重機、なんだか恐ろしいです。


2011-01-19 09:38 取り壊し二日目


2011-01-19 09:40 こういう車が付けられています。


2011-01-20 09:46 3日目は付く車が違ってきました。


2011-01-20 20:51 三日間で此処まで来ました。


2011-01-21 09:46 今日の戦闘開始。


2011-01-21 18:21 残材片付けの方が大変と言うことですね。


2011-01-24 09:40 土台部分に掛かります。


2011-01-24 12:44 二種類の車は交互に現われます。 小さなクレーン車が加わりました。


2011-01-24 13:37 養生が無くなり見晴らしが良くなりました。


2011-01-24 13:39 


2011-01-25 09:38 車もそろい踏み。


2011-01-25 12:52


2011-01-25 12:54


2011-01-25 12:54


2011-01-25 13:46


2011-01-26 09:40


2011-01-27 09:47


2011-01-28 09:40 遂に片付いたようです。


2011-02-01 14:28 見晴らしは随分良くなりました。

この路地(歩道、車道の区別がない道を指す言葉だそうです)は「二項道路」です。

建築は道路中心線から2m離れなければなりません。

細い路地を全部(消防車が通れる)4m道路にするために作られた法律なのだそうです。

木造家屋は「それ以前」の建物だったので路地を圧迫して、この部分がずいぶん細かったのですが、取り壊されることによって随分走り易い道になるはずです。

しかし、日本の法律は「ザル」ですから建築以外のもので道路占拠されてしまい「正直者は馬鹿を見る」構造になっています。

「土地の所有者は、建築の際道路中心線から2m後退させなければならない」

ではなく

「土地の所有者は、建築の際道路中心線から2mまでの土地を道路として提供しなくてはならない」

と言う風にするべきなのです。 (正しくはなんと書いてあるか知りません)

今からでも遅くない! もし道路行政に関わる方が見ていたら日本の将来のために直ぐに動くべきです。