勢いに乗ってD51ドカドカやってしまおうかと思います。
おっと
D511008となると涙がちょちょ切れて仕舞う人も居るかもしれません。
「峠下」と言っても良いのですがやはり「常紋」こそ彼が主役だったところではないでしょうか。
スキャナー8800Fを使って初めてスキャンした記念すべき一枚です。
元写真はキャビネ判プリントです。
撮影時期は1975年3月初め頃かなと思います。
私は少々「へそ曲がり」ですから皆が行く撮影地に行きたくないのです。
信号場から三角山へ行く途中の斜面に向かって無謀にも単独で登攀に掛かり、結局木が邪魔で視界が開けることもなく列車の時間が来たけれど
(ブラストも聞こえて来た)そのままでは撮影もままならないので折角上った山をお尻で滑り降りて誰も居ないこの位置で写真を撮ったのです。
ネガ
(行方はまだ不明)→カラープリントですがバケペンなのでまあまあ綺麗です。
台枠はオリーブ色、動輪は派手目の茶色です。
フェニックスには何の責任もありません。 私の希望で凄い色の取り合わせなのです。
この機関車も塗装が綺麗です。
しかも薄すぎていないのでテンダー台車や従台車を塗り重ねる必要はありません。
ナンバープレートはちょっと不満な点があったので剥がして貼り直すことにします。
テンダーのデッキ上はこうやって「レッドブラウン」をちょんと付けて溶剤で延ばします。
マスキング終了、これから第一ステージ「黒」、第二ステージ「汚れ色」を吹きます。
「汚れ色」は最近流行の「黄かん色」+黒だけを使いましたが、吹いた後のビンはこんな感じです。
げげっ、だいじょうぶかいな。
第二ステージも吹き終わったものひと揃いです。
テンダー台車、左右で軸箱蓋の取付が違います。 例によってジャケット+普通ビス。
従台車もそうですが「模型も狭軌」である事のありがたみはこの立体感実現にあります。
ナンバープレート、上2つは数字を自然に配置してあります。 下2つはスペースが限られているキャブに取り付けるために文字を詰めて造られたナンバープレートを模型化したモノです。
一番下の一枚は「ヤスって整える」前です。
一番下もヤスって整えたナンバープレートです。
北見の所属札を付けます。 実際は黒い札差しに白文字の区名札が入っているのですが・・・それはこれからの宿題です。
テンダーから組み立てて石炭を先に積みます。
手前のテンダー台車にはまだブレーキ装置がビス止めされていません。
ぱっぱぱっぱと仕上げてしまいました。
何となく締まって見えるのはナンバープレートをヤスって仕上げたせいじゃないでしょうか。
動輪は派手な茶色の上からリターダーシンナーで溶かしたいつもの「半汚れ色」を筆塗りしてあります。
台枠はオリーブ色のままです。 全く問題なしと思います。
D511008のテンダー上端は私には実は通常の戦時型より高い様に思えます。
すみません、画像を選ぶのは時間の無駄と見てどんどん載せてしまいました。
この様にワイシャツの背に入っている白いボール紙をレフ板に使って居るのです。
この様な写っている指は通常はカットして仕舞うわけです。
それよりも問題なのは、家庭で撮ろうとすると引きがとれない苦しみです。
発電器回り。
回転式火の粉止めの上の網を上手に薄く塗る必要があるので第一ステージ「黒」という仕事があるのです。
以前紹介しましたが、マッハのプライマーを筆塗りしてハリケーンブロアーで煙突内に吹き飛ばすのが重要なポイントです。
IMONの戦時型D51はカプラーポケットの表現が「有り」なのでそのままIMONカプラーを付けても充分OKです。
この戦時型丸出しのデフが良い具合なのかもしれません。
やっぱり岩見沢のD51はゴミかもしれません。
常紋で見ると同じ北海道タイプのD51という感じがしません。
遠軽を発車して安国に向かってダッシュするD511008
(スキャン2枚目です!)
(夕方だったと思います。常紋方向へ向かう足は一切無かったのでした)
あの辺りをうろうろしていると時々雪に阻まれて列車全て運休。 何時走るか判らない、ラッセルが出るかも といった事態にすぐなってしまいます。
私は湧網線や名寄本線の方が「本チャン」だったのですが、そんなとき辿り着くのはこの遠軽です。
遠軽こそは私にとって一番思い出がいっぱい詰まった線路の結節点です。
やっぱり岩見沢のD51はゴミです。 失礼致しました。