石家庄 大郭村

2010-09-29 | 海外蒸機

北京西站です。 写真左は同行を依頼しておいた中国青年旅行社の宗さんです。 三脚を持って貰っています。


この列車に乗ります。

北京西8:10発T79次武昌行き(石家庄10:54)だったんじゃないかと思います。


電源車です。

バックマンから電源車だけ発売されていないようなので作ろうかという考えもありました。


客車部分は二階建てです。


眠い乗り心地でした!寝てしまったようですね。


石家庄に到着。 站前の様子です。 曇っていないのですが黄砂は晴れないという感じです。

日本も殆ど常に黄砂の影響下にあります。

欧米へ行くと黄砂がないとどういう色彩の景色になるか思い知らされますよね。

ハワイでも「透明な空気でモノがどう見えるか」にびっくりします。


站前です。 怖いからカメラを仕舞いなさいと言いたくなります。


タクシーに乗って大郭村機務段へ行きます。

この写真を見ると拘束された日本人のことがしのばれます。

私はベルリンの壁崩壊前の東欧に5度ほど撮影に行っています。

東独経験者同志の話として「シェパードを連れた東独の警官を見慣れた目には中国の警官は怖いと思えない」とよく話に出ますが、実は100年遅れで登場した帝国主義国「中国」の方が遙かに怖い事がはっきりしてきています。

「中国リスク」とよく言いますが、それでも平気で中国に投資してきた会社はその判断の甘さを責められるべきでしょう。 日本社会からの退場もやむなしかもしれません。


機関車は全て休んでいます。 (6×7ポジからスキャン)

火の入ったカマの中には3255も6843も居ません。


6843は火を落としていました。 廃車か・・・・・(L判プリントからスキャン)


こちらは35mmネガからスキャンです。


L判プリントからスキャンです。


35mmネガからスキャンです。


L判プリントからスキャンです。


35mmネガからスキャンです。


L判プリントからスキャンです。


35mmネガからスキャンです。 ドングリの背比べでしょうか・・・

(大きなサイズで質の良いプリントからスキャンするのが一番なのかもしれません)


3255“土佐犬の横綱”は完全な廃車体になっていました。 (6×7ポジからスキャン)

35mm判と6×7では、判っていた以上に画質桁違いですね。


[3255]のプレートの3の文字は裏返して逆に貼り付けられているようですね。

耳デフ(=ハイデフ)の取付位置が理解しやすい角度です。

蒸汽機関車のデフレクターは独逸の発明ですが、その目的は機関士による信号視認性確保です。

日本は独逸のワグナー式をすぐに真似しました。(真似の早さは驚異です)

ウィッテ式も「門デフ」として真似ましたが、実は独逸ウィッテ式デフをよく見ていなかったんじゃないかと思われる節があります。

ウィッテ式はワグナー式を置換える「位置」に取り付けられているのではなく、遙かにボイラーに近い位置に取り付けられているのです。
(とは言え人民ゼロイチこと東独の01の長工式のようなデフは「日本の門デフ」の様な位置にあるようですが)

さてこの耳デフは、かつて上海方面に多く見られたとも聞きます。

このデフの取付位置は独逸ウィッテ式より更にボイラーに近いですね。
本線走行時の効果については、無いよりは明らかに良いが、どの方式が決定的に優れているということが無かったんじゃなかと思います。

日本と中国に於いては新しい切り取りデフは大きなデフの中に混在しているからです。

独逸に於いては整備性だけの理由で貨物用機は全てウィッテ式に換ってしまいました。
人がデフの外側を通るしかあり得ないからです。

耳デフはそのような面を重視して考えられている様に思います。


「厳管理第一流」の金属文字は赤で塗られていました。

「厳管理第一流」は黒竜江省・綏化(ソイホワ)機務段のスローガンです。


こんな姿になっていたとは言え再会を果たすことが出来たのは大感激です。


宗さんがシャッターを切った満足の二人です。


そして機務段の一角には蒸汽機関車解体の生々しい跡が広がっていました。

機関車、廃車体撮影に対しては文句を言わなかった機務段の服務員ですが、これの撮影をしていると「撮ってはいけない」と言ってきました。


昼食を食べた食堂の近く、国鉄本線でしょうかEHクラスの重連が走って居ました。