C61、今を時めくC61

2011-06-28 | 鉄道模型
近頃日本で明るい話題と言えば“C61”でしょう。

IMONカプラーへの交換を機にIMONのC61を弄りながら再整備致しました。


これはC6120です。


私のC6120は原宿店レイアウト上でデモ機として活躍していました。

折角復活するナンバーですから少しは大事にするべく回収、整備します。 デモ機は交替です。

IMONのC61は実のところ所詮C6120なのです。

乗工社破綻時、取引先維持のために急遽予定ない商品のための発注を行いました。 それがC61です。
テンダー台車(←これを履いたC59を乗工社は開発していた)や、ドーム、車輪類やバルブギヤ、多種多数のロストワックスパーツなどを一気に発注、設計は後回しでした。

設計する為に実機を見たい!となったとき、東日本に在る唯一のC61は伊勢崎市華蔵寺公園に置いてあるC6120だったのです。

何度も訪問して、これを測り、細部を調べて設計が進みました。

特定ナンバーのひとつは必ずC6120になることは決まっていたのです。



問題は残りのナンバーでした。

梅小路のC612(これも調べ易い)は決まりです。

さて「突発的緊急発注」だったので150両分しか部品を発注していません。

約500両で考えたD51やC11やC57のように多種は作れません。

「番号を絞り込む」事をテーマにしていたこともあり、写真が多数残っていることと、いずれC60を作ったときに遊ぶことを考えて煙突デフ付だったC6118、日本最後の現役C61となったC6118を選びました。

(C612、C6120東北バージョンは煙突デフ無しだったから煙突デフ付も作らなくては!と思ったのです)

九州のC61(実は僅か6両だけの存在)は今回は見送りになり、東北のC61(全33両中27両)の中でも九州の土を踏んだうえに「長生き」で「俺が一番だった!」と喧嘩を始めそうな3両が選ばれた訳です。


斜め下から見るとモーター本体が完全に見えています。 IMONのC61の特徴です。

実は普通に見てもモーター本体が見えているんです。

第3動輪の上に見えているボイラー下部らしきものは、ボイラー(上回りに属するモノ)ではなくモーターの筐体(下回りに属するモノ)なのです。

D51やC57はこの構造には出来ませんでした。 残念!

分解した状態が後で出てきますのでお楽しみに。 (←大して面白くはないです)


C6120の機関車とテンダー妻面


先台車を見てびっくり、物凄い綿埃です。 原宿店レイアウト上の綿埃です。


これだけ出てきました。


第二先輪は丸形ウェッブ付スポーク、戦前型C59の車輪を使って居ます。

C6115が先台車を焼いてしまい、急遽(郡山工場入場中だった→)C6120の先台車が召し上げられ、C59かC62の廃車発生品先台車に廃車発生品車輪を組み合わせて出場してきたC6120だからこの姿なのです。

先台車取付ステーの段付きビスがIMON最新の「真鍮挽物ジャケット+鉄ネジ」に化けているのはC6120に相応しい感じがします。


C6120 [宮] テンダーの石炭はレジンモールドの上に石炭を盛ってあります。


C6120 [宮] IMONカプラーに変わり、架線注意も加えられました。

C6120 [宮] 
走る!働く!事に重点が置かれたC61、機関車部重量380gですが平地でブラス客車15両牽引はストレス無くこなします。


C6118 [宮]


C6118 [宮]
架線注意とIMONカプラー化だけ実施しました。

宮崎機関区は
①副灯の場合など外せるモノならシールドビームを外す
②後部前灯など必要な箇所はLP-42に交換する
という原形復原化改造を熱心に行って居ましたので最後まで生き残ったC6118はもっともすっきりさせられてしまったC61かもしれません。

C6118 [宮] これも購入時からモールド上に石炭積み増しをしてあります。


C6118の空気作用管はハンドレールの上を通っています。 


C6120の空気作用管はハンドレールの下です。


C612の空気作用管もハンドレールの下です。

乗工社から受け継いだ「空気作用管の造り」ですが、燐青銅線が0.2mmになって繊細さがぐんと上がりました。


C612 [宮] これも石炭は盛り増し済みですね。


C612 [宮] 梅小路へ異動して仕舞ったので宮崎の原形復原化は不充分で現役を終わっています。


C612 [宮] C61全機さらりと紹介して仕舞う予定だったのですが果たせず明日に続きます。