世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
まあ人は誰でも腐されるよりは誉められるほうが嬉しいですよねえ。ですけどなかなかその誉めるってのも難しいことがあって、ある人がですねえその御馳走になって、とてもスープがおいしかったんで「おいしいスープでした」ってこう言ったら、その方の奥さんがですね、「スープですかあ??」って。どうもそのスープはね、缶入りのものをあっためただけだったらしいんですね。他のものを誉めずにそれを誉めたもんですから・・・なかなか誉めるのも難しいなあっていうのがあるんですけど。
あのう、『生きること愛すること』(※講談社現代新書)っていう本を書いたエバレットという人が「心の大きい人だけが他人を誉めることが出来る。小心で心に愛のない人は他人を競争の対象としかみないので、相手を誉めるのは嫉妬深すぎ、自意識が強すぎるのである。」って。ですから誉めるっていうのもですねえ、やっぱり心の大きさといいましょうか、そういうものの表れということでしょうから、誉めてあげるっていうことこれも大事なことかなあというふうに思う訳ですね。
そしてその中で言われていることに、「子どもにはビタミンよりも誉めることが必要だ。誉められた子は明るく育つが、誉めることが足りないと劣等感のもとになる。子どもには叱ることは殆ど役に立たない。」というふうにあってですねえ、まあその良かれかしと思って叱ることもあるでしょうけれども、できればやっぱり誉めてあげることによって励ましてあげたほうが良く育つことのようですよね。
しかしそれにしてもですね、私は究極的に神様から誉められる人生を送れたらなあというふうにこう思うんですね。
聖書の中に、そのイエス・キリストが言われた例え話の中で、「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから」(マタイの福音書 25章21、23節)というそのことばがありましてね、で、決して大きなことをしたからとか、成功したからとかというようなことではなくって、「あなたは、わずかな物に忠実だったから」「よくやった」というふうに言われていることなんですね。
その意味で私たちは、もっと大きなことだったら張り合いをもってやるのにこんなちっぽけな隠れたようなことやってらんない、と思うようなことがあるかもわかりませんけれども、そうではなくって、「小さな」(ルカの福音書 19章17節「ほんの小さな事にも忠実」)「わずかな」というふうに見えることに対して「忠実である」ということが神様の目から御覧になると「よくやった」と言われることになる、っていうことを思いますよね。
今日という一日を私たちはどういうようなことに携わるか、どういう人と接するか、そういう中でもわずかな小さなことに忠実でありたいなと、そう思います。
( PBA制作「世の光」2008.7.7放送でのお話しより)
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