♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書-96 イエスのそばに / 大嶋重徳

2022年10月18日 | Weblog

2022/5/17放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。
 ルカ福音書を順番に読んでいます。5章の続きではツァラアトという重い皮膚病にかかった人が出てきます。この病気は社会的に穢れた病だとされる差別を受ける病気でした。人々の多くが住む居住区から隔離され、街の中に入る際には、誰もが自分に触れることがないように「私は穢れている」と言いながらしか街中を歩くことが出来ない病気でした。どれほどの孤独と苦しみがこの人にあっただろうかと思います。

 私も小学生の頃にいじめを受けていました。ある日突然です。「大嶋菌がうつる」と言われる。私が誰かの机に触れると、手で払われてフッフッと息を吐かれ、「触んな」と言われる。あまりのショックに声を失いました。ただ苦笑いしか出来ずにその場を去りました。いじめはその後も随分と長く続きました。自分の存在そのものを否定されるこの時間は永遠に続くような絶望を感じました。うまく呼吸できないような、ずっと水の中にいるようなそんな気持ちになりました。家までの4kmもある帰り道はいつも一人でした。小学生ながらに、人生とは残酷だと思いました。親にも誰にもこのことは言えませんでした。一人でいつも本を読み、親に買ってもらった「少年少女世界文学全集」は何度も何度も読み続けました。一人で家に帰る時は、ひたすら空想していました。空想の設定は「来週、俺は引っ越しをする。そこでの新しい教室での挨拶をどうしようか」という設定でした。新しい人生がどこかにあるはずだと求めていたのです。

 ツァラアトにかかった彼はイエス様の噂を聞いてイエス様を見つけた時、どれほど嬉しかったでしょうか。彼はひれ伏してお願いします。そして彼は言います。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」 

 今の生活を抜け出したいと思ったでしょう。私も早くいじめられる状況から抜け出したいと思いました。いつになったらこのいじめが終わるのだろうかと思っていました。その中で教会学校が唯一の救いでした。学校とは違う人間関係がそこにあったからです。自分を大切に受け入れてくれる教会学校の先生たちがいました。

 教会はあなたに新しい居場所を与えてくれます。すべての人間関係が行き詰まったように思えたとしても、イエス様のそばにはあなたの居場所があるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2022.5.17放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

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