新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

大汐会

2007年06月16日 14時15分00秒 | 身辺雑記

 午後の2時から、「銀座ラフイナート」で「大汐会」が開かれた。この会は、昭和43~44年頃、千代田区大手町の職場で一緒に仕事をしていたグループの集まりである。当時の私は、グループ責任者の任にあった。
 綺麗に言えば「よく遊び、よく仕事をした」時代であったが、露悪的に言えば、「身を捨てて仕事もしたが、身分不相応に金を使ってよく遊んだ」時代でもあった。
 東京オリンピックを成功させた当時の日本は、各分野での更なる発展・拡充を図るため、ひたすら突っ走っていた。私たちは、電気通信事業の分野に従事していて、若いながらも、「国のため」の意識を強く持って頑張った時代であった。
 そんな時代の当時の仲間が、「大汐会」の名前で集まり始め、今年で「第34回」を数える。仲間たちのすべては次なる会社に移籍したが、ほとんどの者はそこもリタイアの年齢に達していた。
 出席予定は19名。うちの1名はどんな思い違いをしたのか、山形県の実家へ帰っていたようで、出席は18名だった。
 この会のメンバーであったKY君が、5月のゴールデン明けに胃ガンで亡くなっていたので、今日は「追悼会」でもあった。
 幹事が「追悼文」を読み上げた後、酒の好きだった故人に盃を献げた。「追悼文」は軽くもなく重過ぎもせず、在りし日の故人を偲ぶに相応しいさわやかな内容だった。思わず拍手が上がった。「追悼文」に拍手って良かったのかなあ、と違和感を感じたが、つまり、拍手したいほどの内容だったのだ。その後、仲間たち一人一人が、故人を偲びつつが近況報告を行った。和やかな時間が流れていった。
 やがて、酔うほどに大声も上がったし、幹事の制止も聞かなくなって行った。しかし一様に、「会えてよかったなあ」と思っている様子が伺われた。年を追う毎に体調が変化し、また、家族の問題だって増えて来ているに違いない。そんなことの全てをあからさまには出来ない。しかし、「喋って、笑って、肩を叩き合う」ことで、若かりし時代に戻れれば、それで十分ではないか。その上、今抱えている心の負担が少しでも軽くなれば、何よりのこと。
 2時から5時までの間、楽しさ凝縮の時間が過ぎていった。
 今日もまた、飲み過ぎたようだ。
 名幹事のK君とY君には、心から感謝する。


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思い違い

2007年06月14日 20時06分00秒 | 身辺雑記

 関東地方は今日から「梅雨入り」と発表された。例年より6日遅いとのこと。それでいて、梅雨明けは例年より早いらしい。「当たるも八卦」より確度は高いのだろうが、予想が当たれば、梅雨の期間はかなり短くなり、水不足が心配となってくる。テレビでは、今から節水を呼びかけている。
 この季節、私には消しがたい記憶がある。しかも長い間、思い違いのまま過ごしていたようなのだ。
 太平洋戦争が敗戦となって幕を閉じたのは、今から62年ほど前の昭和20年8月。その頃の私は、国民学校の5年生で、日本が敗色濃厚であることも知らず、意気軒昂たる軍国少年であった。
 近隣の町や村は、焼夷弾攻撃や機銃掃射を受け、多くの被害を被っていたが、私が住んでいた町はまだ無傷であった。しかし、「警戒警報」や「空襲警報」の発令は日常的であり、昼間の学校にいる時間帯に発令されれば、直ちに下校することになっていた。私の家は学校の隣りなので問題はなかったが、小1時間以上もかかる地域の生徒も、同じように帰ることになっていた。アメリカ海軍の艦載機が、近隣の町や村を襲って機銃掃射を繰り返していたその頃、本当に子供たちを帰していたのだろうか。記憶は曖昧だ。
 梅雨のさなかの夜もまだ浅い時分、空襲警報が発令され、私たちは近くの防空壕に逃げ込んだ。しかし閃光や爆発音の状況から、「これは空爆ではなく、艦砲射撃だ!」という誰かの断定的な発言があったので、すぐに防空壕からはい出して山のトンネルに逃げ込んだ。翌日、日立市が艦砲射撃に遭ったことを聞いた。翌夜からの私たちは、疑うこともせずに、「空襲警報即トンネル」の行動パターンとなった。そして幾日か後、町の中心部に焼夷弾が投下され、2名が死亡し、90戸以上が焼失した。町がほぼ空っぽだったから、2名の死亡で済んだのだ。少なくとも私は、そのように思っていた。
 経過を
言えばざっとそんなものなのだが、我が町の空襲を7月10日と思い違いをしていたため、「艦砲射撃を恐れたトンネル生活」、「町が空っぽだったので2名の死亡」、と論理立てしていたことと整合がとれず、長い間悩んでいた。記録によれば、「日立の艦砲射撃」は7月17日となっており、我が町の空襲が前になってしまう。
 改めて調べたところ、我が町の空襲は7月19日であった。7月10日は、思い違いであった。
 思い違いの理由は二つ。一つは、「艦砲射撃を恐れたトンネル生活」が、結構長く続いていたと思っていたこと。2日間だったとは思っていなかった。
 二つめは、稲が植えられていた田んぼに多くの不発弾が落ちていたのだが、稲の生育状況から、勝手に6月下旬のイメージを描いてしまったことだ。
 こんなことをくどくどと書く必要もないのだが、幾人かの人たちに間違った話をしていたので、お詫びの言葉に代えて、言い訳をした次第。
 
 

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二人の王子に期待

2007年06月13日 17時00分38秒 | 社会・世相

 「ハンカチ王子」に「はにかみ王子」が加わり、巷は「二人の王子」で湧いている。
 ハンカチ王子は、大学1年生(19歳)の斉藤裕樹。昨年夏の甲子園で優勝投手となって以来、野球フアンに止まらず、広範囲の人々を魅了。暑い甲子園のマウンドで、ズボンのポケットから取り出した青いハンドタオルで汗をぬぐう仕草が、多くの老若男女の胸をキュンとさせた。ピンチに追い込まれても、心の動揺を甘いマスクの裏側に隠しきっていたひたむきさが、可愛らしく頼もしく、そして痛々しく見る者を感動させた。春の東京六大学野球では、1年生でありながらマウンドに上がり、4勝をマーク。忘れられていた大学野球に、人々の目を向けさせたことも大きい成果と言えよう。
 はにかみ王子は、高校1年生(15歳)の石川遼。5月のプロゴルフツアーで史上最年少で優勝し、なんともあどけないは笑顔を見せたことから、世の命名となったものである。その後幾つかの大会に出場したが、上位入賞とはなっていない。アマチユアゴルフ選手権では異例のギャラリー動員数だったことも、大きな話題となった。
 このような経緯から、二人の王子が誕生した。どちらも逸材であることは間違いない。今後の成長に大きな期待を抱きながら、ほどの良い声援を送り続けて行きたい。
 逸材ではあっても、二人はまだまだ若い。フアンや観客やギャラリーは、彼らの5年先や10年先を思いながら、節度ある声援を送るべきだ。それが大人としての責務だ。特にマスコミは、限度をわきまえた取材活動に努めて欲しい。突きつけられたマイクの前で、大向こう受けを意識したような受け答えを見せたとしたら、それはまだ彼らの責任ではない。マスコミの責任であり、両親をはじめとする家族、監督、コーチなどの責任だ。

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民主主義のコスト

2007年06月11日 19時06分28秒 | 政治・経済

 年金問題が国会論戦の的となっている。野党は、5000万件の不明問題を、政府・与党の落ち度と決めつけ、躍起になって追及している。おそらく野党は、社会保険庁に対し、矢継ぎ早やに資料要求を繰り出しては新事実を掘り起こし、質問のネタを探して内閣の醜態をあからさまにしようとしているに違いない。社会保険庁は、今回の失態で浮き足立ってしまい、組織統制が乱れている。どの党からどんな資料要求が来ているか、把握仕切れずにその日暮らしに陥っているのではないか。
 一方の政府・与党は、身をかわす暇もなく新事実を突きつけられ、勘所を押さえた対策案を作れずに、バタバタ慌てふためいていて、眼が虚ろだ。
 野党にしてみれば、参院選の肝腎なこの時期、思わぬ大物を釣り上げそうなので、ここをせんどと責め立ている。与野党逆転のチャンスだとばかりに、はしゃぎ捲って攻めている。底の浅い某議員は、「だったら政権を渡してください!」などと、タイミング悪いセリフを口走っていた。品格がない。
 ひたすら沈静化を図ろうとしている政府・与党と、望外のチャンス到来とばかりにはしゃいでいる野党では、実の入った議論にはならない。「臭いものに蓋」の政府・与党と「揚げ足取り」の野党。これが国会の姿だ。彼らは、「誰のために議論しているのか」という根っこの目的を見失っている。選挙に勝つために攻めて、選挙に勝つために守っている。
 民主主義は多数決。国会で多数を占めなければ、どんな良策も実現しない。だから躍起になるのは分かるが、大事なことは、「国民のためになるのは、どんな方策か」でなければなるまい。時間を浪費しているとしか思えない。これが民主主義の宿命なのだろうか。民主主義はコストがかかる。
 国民の望みは、政局より政策なのにねえ。


 

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コムスン問題

2007年06月09日 15時15分00秒 | 社会・世相

 厚生労働省は6月6日、訪問介護最大手のコムスンに対し、全国に展開する約2000事業所のうち約1600事業所について、介護事業所としての指定を更新しないと決定し、都道府県に通知した。
 ヘルパー数水増しなどの虚偽申請によって、不正に事業所指定を取得していたことが、今回の処分となったものである。
 ところが驚いたことに、コムスンの親会社であるグッドウイル・グループは、コムスンの全事業を別の子会社に譲渡しようとした。事業を譲渡してしまえば、処分逃れが出来るとのワル知恵を絞ったのだ。
 世間はそれを許さなかった。法律上は適法でも、道義的には許せるものではない。日本の安心を支える介護事業ではないか。瞬く間に大反論が巻上がった。
 腰の重い厚生労働省も、さすがに腰を上げた。6月7日、コムスンに対し、事業譲渡を凍結するように行政指導した。法律的には適法なグッドウイル・グループの行為を、行政指導が制止しようとしたのである。
 我が国は法治国家だ。ザル法も法。その法律を道義の尺度でねじ曲げて、行政指導をしようとしている。今回の措置を私は支持する。しかしながら、法律を行政指導によってねじ曲げることに変わりなく、他に悪用されるリスクは残る。法治国家ではなく、裁量国家になってしまう。
 もともと法律は、「性善説」によって出来ている傾向があるように思う。ところが世の中には、ワル知恵発達者がウヨウヨしている。やはり、「人を見たら泥棒と思え」という用心深さは必要だ。ワル知恵の固まりのような議員や官僚が、法律を作る時だけ善人になっているのも妙な話。

国民の安全や安心を支えるべき「年金制度」や「介護事業」が、国民を不安に陥れている。
「年金制度」は、少子・高齢化や無駄遣いによる財源の不安に加え、今頃になって管理の杜撰さが露見した。安倍首相は1年以内にメドをつけると表明しており、自民党の選挙公約にも入れそうな雰囲気だ。いい加減な管理のツケは、根っこが深い。不具合はこれからもどんどん発覚しそうだ。どのように収束出来るのか、極めて不透明。是非とも明解な解決を求めたい。
 一方、介護事業は、業者の不誠実な事業展開のあり方が指摘された。無理を承知で無理をし、嘘をつきながら事業拡大を図ろうという魂胆だったのだろう。サービスグレードを二の次として、目先のシェアー拡大や採算性の追求に眼を奪われていた。株価対策も念頭にあったに違いない。このような経営者による介護事業に、私は大いなる恐怖を感じる。小細工を止めて、福祉事業からの撤退を求めたい。
 

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