今年の2月に亡くなった哲学者池田晶子さんの著書に、「哲学的にものを考える傾向のある人間にとって、金と女とは、実は欲望の対象にはなり得ない」と書いてあった。俗物の私は「へえーっ……?」となってしまう。「考える人間が真実に欲求するのは、まさしくその「真実」」であって、「哲学者の欲望とは、「知ることへの愛」であると述べている。つまり、知ることへの愛が「プラトン的恋愛」であり、世俗的な性愛をこえていると言っている。
チンプンカンな話だが、知ることへの欲望を追及していく限り、金や女への欲望は湧いてこないのだそうだ。「考えることとこの世的欲望とは、両立しない」とまで言い切っていて、たじろがない。
「哲学者は、考えることに全エネルギーを注ぎ込む」ので、「金欲」や「女欲」は昇華してしまうのだという。
みんながみんな「真実とはなにか」と考え出したら、物欲も性欲もなくなり、真の平和が訪れるとでも言うのか。男も女も、食欲も忘れて、「我何のために生きるか」を考え続け、進歩も繁栄も、ひいては進化もしなくなる。
やはり俗物は、それなりに役立っていると言えそうだ。