一週間ほど前に撮った春の小川です。
雪柳と連翹が満開でした。
政治の話にしても、会社経営の話にしても、よく人材不足の声を聞きます。
「麻生太郎さんが辞めたら、あとはいないじゃあないか!」
話はそんな風に展開します。
そうなのです。どこの世界でも、どんな渡世でも、人材不足で嘆いています。
気がついてみたら、育てていないからでした。
政治家はいい見本です。
小選挙区制になったせいか、ほかにも理由があるのか知りませんが、自民党の派閥は弱くなりました。
きれい事で言えば、切磋琢磨の場が少なくなったのです。
その上悪いことに、マスコミが叩けば喝采が沸き起こります。
新聞が売れ、テレビの視聴率が高くなります。
出れば叩きます。出なければ踏んづけます。
これでは人は育たない。
どんな社会でも、育てなければ人は育ちません。
人を育てるには、金と時間が必要です。
有権者意識の課題でもあります。経営者意識の課題でもあります。
「ノウハウは盗んで自分のものにしろ!」
そのようにハッパをかける時代ではなくなって久しいのです。
そこらあたりを、もう一度考えるべきかもしれません。
別館として、写真俳句ブログ「いのちの囁き」を開いております。
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一方、「ノウハウ、技術、は盗むもの」、人としての心がけも含めて、この点は全面的に支持します。学ぶ、教えられるのではなく、盗むという超積極性が重要だと思います。この点こそが個人の持って生まれた資質、能力ではないでしょうか?
人を育てるという事は容易ではなく、私は自分の子でさえも十分育てられなかったと思って居ます。ましてや他人など、とても育てられません。
誰がつけたか、可愛い花に似ず、失礼な名前が多いこと!
同類相憐れむ~
爺さん婆さんの派閥らしき塊~
囲みのなかで気勢をあげる風潮がありますね。
後輩を育てる広い心が無いと思います。
>ノウハウは盗んで自分のものにしろ!
ですか う~~ん
難しい
私はしらないことが多くていつも恥をかいて覚えていってます
せっかく覚えたものでもすぐに忘れてドジを踏みます
めげることも多いけど何とかボソボソと進みます
7千億赤字での交代劇も人材不足を感じた、リーダー目指す人同士の競争で活気が有った、昔を思う。
今の厳しい現実にも、ぜひそこだけのゆとりは残してほしいものです。
今のぎしぎししたゆとりのない時代がこのまま続くのでしょうか。
次世代がかわいそう過ぎます。
「育てる」に対し、「育てられる」となるので、若者の矜持が許さないのでしょうか。
それとも、単なる過信?
教わるのが嫌いな癖に、「そんなこと教わっていませんでした」とも言うのですね。
「盗むもの」とは、習得する側の心構えとして大切だと、私も思います。
ただ、「勝手に盗め」では上手くはいかないように思い始めています。
かく言う私も、子供を上手く育てたかと問われると、うつむくしかありません。
本名は薺、別名がぺんペン草。
薺の実が三味線の撥ににていることから、「ぺんペン草」となったという説があります。
ただ、「ペンペン草も生えない・・」という言われかたをしているので、印象が悪いのでしょうね。
派閥らしき塊とは愉快な命名です。
迷惑な一面がありますね。
「盗め」は昔のこと。
今の時代は、もっと積極的・計画的に育成しないと育ちません。
今の若者には、「盗む」ような気力はないのです。