過日、ある写真家の撮影ツアーに参加した。
日差しが暖かい日だった。
「面白いと思うことが肝腎なのです。面白いと感じたものがあったら、それを撮ってみて下さい」
被写体を面白く撮る技術を会得しようと思っていた。それは勘違いだった。面白いと思う被写体を探すことが大事だった。
私が面白いと思っても、ほかの人にとっては下らない被写体かもしれない。どんなものなら、一般的に面白いと感じてもらえるか、それを勉強したかったのだ。
だが、写真家の考えは違っていた。
「自分で面白いと感じないものを、他人様が面白いと感じてはくれません」 と言うのだ。
そこが花とは違うようだ。
一般論として、「綺麗な桜」は「綺麗」と感じてもらえる。その後は表現力の問題だ。
ところが街のスナップは「珍しい」ものはあっても、「面白い」ものは発見しなければならないというわけだ。つまり、撮影者の発見能力ないしは感性次第となる。
面白いと思った被写体を発見してから、はじめて表現力の出番なのだろう。
撮影者が面白いと思わない被写体を、技術でひねくり廻しても、面白い作品にはならない。
その考え方になんとなく「納得」しだが、面白いものが街中に転がってはいなかった。
今日の作品が面白いかどうか、私にはまったく自信がない。手垢がついた被写体ばかりだったように思う。
上の写真は、池で泳ぐ鴨。
面白くもなかったが、いかにものんびりしていたのでパチリ。
1羽が潜ろうとして首を突っ込んだところ。
餌にありつけたのかどうか、定かではない。
上は灯籠の行列。来歴がありそうだが、聞いても忘れてしまった。
若い男性が、資料を手にしながら、訊ねてもいない私に、しきりに説明をしてくれていた。
歴史ガイドの練習をしていたのだろうか。
妙なモニュメント。中央に写っているのが私。
これは面白かった。カメラを腰付近に構え、球形を撮影すると私の顔が撮れた。
幾度もやっている内に、なかなかの写真が出来上がった。
もちろんずっと近寄って撮ったので、顔ははっきり撮れていた。
しかし、それはアップできない。
いかに品のない「ほろ酔い気分」でも、私の顔をさらすのは気がひける。
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