私は信心深くはない。
しかし、「オレは無信仰!」と言って、凄む勇気はない。罰が当たりそうで恐ろしい。
そんな私だが、神仏に対する畏れは、人並みに持っているつもりだ。
祝い事は神さまに託し、弔事はお寺の厄介になっている。いい加減と言えばかなりいい加減だが、周囲を見ても、そんな人たちは多い。気にもせずに生活してきてしまった。これからも、そのスタイルは変わらないと思う。
神仏をないがしろにしているわけではない。そんなことは、断じてない。
神さまと言っても八百万、ご神体もさまざまだ。拘ったことはなかった。
弔事は菩提寺となるので、宗派は決まっている。仮に宗派が違っても、「元々はお釈迦様じゃないか」で済ましてしまう。融通無碍というヤツだ。
結婚式は神前だった。息子や娘も、同じように神前結婚。
そんな私だが、わが家の仏壇に対しては、毎朝しっかりお勤めをしているつもりだ。
阿弥陀如来さまに、お願いごとは一つだけ。内容は言わないが、我が身のことではない。我が身を捨ててまでも、叶えてほしい願い事だ。
併せて、五つの誓いをしているが、ここでは言わない。カミさんにも言っていない。謂わば自戒の言葉とでも言おうか。
毎朝誓っているせいか、少しは変わってきた。変わってきたのではないかと思っている。ひょっとして、欲目かもしれないが。
別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いています。
よろしかったら、どうぞお出で下さいませ。
こちらへ → http://hiyodori2.shashin-haiku.jp/
ランキングに参加しております。
↓ ↓