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kan-haruの日記

風景・風物詩 池上松涛園 西郷隆盛・勝海舟の江戸城開場会見の名園 その2

2007年09月17日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2007

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小堀遠州名園の名山
庭園の坂道を登っていくと、「松月亭」からの道と合流して高度が増してきて、森林がうっすらとした深山の山登りの赴きで、枯山水の滝もあり廻りが見渡せません。山道は、右にカーブを切り低木となり見晴らしが良くなると、庭園の最も高い所の前方に家が見えてくるという、小堀遠州ならではの素晴らしい名山の情景を設計した大庭園です。

 石灯籠の奥に松月亭の床几が覗く

小堀遠州の茶室を偲ぶ
小堀遠州は、1579年(天正7年)近江国(滋賀県)小堀村に生まれ、優れた茶道家であり、遠州流の創始者でもあります。遠州流は、江戸時代初期の大名で、茶人として有名な小堀遠州を流祖とする武家茶道の代表的な流儀で、大名茶道とも呼ばれ400年の歴史をもち、格式のある茶道として今日まで受け継がれています。
小堀遠州は、庭園に4ヶ所の茶室を設けましたが、戦災で全て消失してしまいました。茶道家の小堀遠州が建てた茶室の位置場所は作られた時のままであり、今は無い格式高い茶室の面影が偲ばれます。

・茶室 松月亭
深山の山道を登ってきましたので、松月亭には寄りませんでしたが、松涛園の茶室の一つで、庭の西の小高い見晴らしの良い場所の「あずまや」で、茶会では立礼席として使用され、床几などを配して60名の席が作れます。

  浄庵(拡大)            (拡大)                (拡大) 

・茶室 浄庵
浄庵は庭園の茶室では一番高いところにあり、西郷隆盛・勝海舟が会見した「あずまや」のあった跡に建てたもので、平成4年4月に完成したものです。
国賓などを接遇できる茶室は、法華思想である「水」にちなみ、「浄庵」と命名されました。

         浄庵(拡大)                (拡大)

松涛園の石碑、石灯籠群
松涛園の要所には、多くの石灯籠や石碑などが庭に風格をそなえて見られます。

・橋本雅邦の筆塚
浄庵の高台から東に進むと石塀に囲まれた、橋本雅邦(がほう)が使用した画筆を収めた見事な九層の高い「雅邦の筆塚」にでます。筆塚は、狩野派の由緒が深い本門寺に雅邦の門人が1922年(大正11年)に建立したものです。
橋本雅邦は、1835年(天保六年)に武蔵国(埼玉県)川越藩の御用絵師、狩野一門の橋本養邦の長男として江戸木挽町で生まれ、七歳のころから父に絵の手ほどきを受け、狩野勝川院雅信の門弟となりました。

 雅邦の筆塚(拡大)                            (拡大)

1884年にフェノロサの知遇を得、以後岡倉天心らと日本画革新の運動を推進し、東京美術学校教授となり、日本美術院を興し天心とともに、横山大観・菱田春草・下村観山・川合玉堂ら多くの逸材を育てました。画風は、和漢の古画を広く学び、穏健で格調の高い作品が多く、1908年(明治41年)東京・本郷竜岡町の自宅で、七十四歳で没しました。

・西郷隆盛と勝海舟会見の碑
筆塚の高台からの池上東方の遠望を眺めながら、直線に下る4段階の石段を1階降りると、池泉に平行してる坂道があり、そこを進むと西郷隆盛と勝海舟会見の碑があります。
西郷隆盛と勝海舟会見の松涛園の説明板を見ると、石碑は西郷隆盛の甥にあたる西郷従徳の揮毫で1941年(昭和16年)に建てられたもので、本門寺には倒幕軍の本陣が置かれていた。1868年(慶應4年)3月の倒幕軍の江戸城攻撃の前に主席参謀の西郷と幕府軍の勝が、現在の浄庵のところにあった「あずまや」で会見し、江戸城無血開場の交渉を行ったとあります。

 会見の碑(拡大)         (拡大)                 (拡大)

しかし、勝海舟に関する文書などでは、1868年(明治元年)3月13日、14日に、幕府軍勝海舟と倒幕軍西郷隆盛は、現在の田町に所在した江戸薩摩藩邸で会談を重ね、その結果4月11日、江戸城は無血開城により新政府軍に引き渡されたとの記述も見られ、種々の説があります。

・其角の句碑
西郷・勝会見の碑のつづらおりを進むと、其角の碑があります。十四、五歳で芭蕉に入門し、芭蕉門下十哲の首位として活躍した、建立の経緯が不祥な榎本(宝井)其角の碑を右に見て石段を降りると池泉の傍です。

・茶室 鈍庵

        鈍庵              (拡大)             (拡大)

池泉に沿って進むと、やきもの師の鈍阿が邸内に建てた建築材が全て栗材の四畳半板敷きの茶室が左に見え、自らの名にちなんで付けた茶室の「鈍庵」で、平成2年に寄贈されました。

        根庵                                   (拡大)

大野鈍阿(1885-1995)は、岐阜県に生まれ品川に出て、28歳の時益田鈍翁の大邸宅碧雲台に誘いを受け、碧雲台の一隅に住まいを与えられました。鈍翁の名器を手本に技量を磨き、鈍翁の号の一字をとり鈍阿の名で、鈍翁のお庭焼きのやきもの師となりました。

      根庵(拡大)            (拡大)              (拡大)  

・茶室 根庵

      根庵(拡大)            (拡大)
 
茶室鈍庵から進むと先に八畳間の茶室二間の「根庵」があります。大野鈍阿の住まいであった建物を「根庵」と名ずけ、「鈍庵」とともに裏千家から寄贈されました。

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