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臭みの強い世界大衆音楽入門書、ある意味1960年代ロック的

2014-09-17 19:18:50 | 読書ノート
中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書, 岩波書店, 1999.

  敢えて誤解を狙ったタイトルだと思うが、世界的に影響力のあった英米の大衆音楽(特にロック)ではなく、20世紀に世界各地で発生した民族音楽的要素のある大衆音楽についてそのルーツと魅力を探った小著である。米国ももちろん扱われているが、カリブ海諸国、ブラジルとアルゼンチン、インドネシア、アフリカ、イスラム諸国を巡る全体の一部にすぎない。著者は音楽誌『ミュージックマガジン』の元編集長で、1980年代にワールドミュージックをプッシュしたことで知られる。2011年に亡くなっている。

  著者は癖のある思考の持ち主で、そのあたりを割り引いて読むことが必要である。基本、西欧の芸術音楽が嫌い、米国の商業主義も嫌いというスタンスで、では何を大衆的音楽として扱っているかというと、貧しい一般民衆の日常と連続性のある音楽だという。ん、それって大衆音楽以前の民族音楽じゃない?と疑問に思うところだが、いちおうレコードに録音されて商業的に流通するという隠れた条件も必要なようだ。しかし一方で、資本主義に取り込まれてはいけないという。つまり、完全に商業化されて世界的に流通する前段階の、エスニックな限界を持つ、洗練されていない大衆音楽が特に評価されているようなのだ。この点を理解していれば、上に挙げた諸地域の大衆音楽の成立がわかって面白いと評価できる内容である。

  ただ、このスタンスでの議論の限界は明らかだろう。特に貧しくない、ある程度教育を受けた近代都市住民向けの大衆音楽を、単なる商業主義で切り捨てるというのは一方的である。そうした層にとっては、例えば著者が持ち上げる泥臭いオーティス・レディングより、「飼い慣らされた」と形容される都会的なモータウンの方に魅力を感じる場合が多いと思われる。そして音楽的革新はそうした商業主義的大衆音楽にもまたあったわけで、影響力から言えばそこでの新しい音楽的実験を馬鹿にすることはできないはずである。戦後民主主義の世代の人なので、「民衆、民衆」とやたら持ち上げたがるのは音楽の魅力の問題ではなくもはや政治的スタンスなのだろう。
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