波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

灼熱の駿府城

2024-08-03 01:30:11 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

6月最後の日曜日は、雨に悩まされながら散策を強行したのですけど、その1週間後はうって変わって快晴となりました。 いや、晴れを通り越して炎天下になるという予報も出ていましたよ そのような状況になる前の早朝に………

私はを散歩に連れ出しました。 4時台ということもあって、まだ厳しい日差しはないのですけど、なぜか霧でモヤっています。 私が朝早くから行動するということは、これから2つの可能性があります。 1つ目は、波と狛を連れて遠出をするというパターン。 2つ目は、彼女らを家に置いて私が1人だけで出かける流れ。 果たして、今回は………

波、狛、ゴメンナサイ この日は静岡市まで野球の試合を観に行くので、私だけが出ていきます。 その選択肢に則り、列車に乗って私が最初に降り立ったところは………

静岡市の西の入口にある、用宗(もちむね)駅でした。 実は、この駅からどこかに向かうというワケではなく、この駅舎が目当てだったのですよ

用宗駅舎は昭和11年(1936年)に建設されました。 昭和初期から味のある姿は変わらず、ずっとこの地域の住人の往来を見守ってきました。 しかし、老朽化のために近いうちに解体されることになりました。 その記事が新聞に載っていたので、せめて写真や記憶に残しておきたいと思って、私はこちらの駅で途中下車しました。 用宗駅舎を外から眺めるのはこの日が最初で最後になりそうですけど、しっかりと脳裏に焼き付けておきました。 さらに私は列車を乗り継いでいき、今度は2つ先の静岡駅で降りました。 その駅前には………

以前にも波狛日記で触れたことがあるのですけど、竹千代君(ぎみ)今川義元公の銅像があります 竹千代君は徳川家康公の幼少期の姿で、そんな彼のことをナナメ後ろから甲冑姿の今川義元公が見守っています。

さらにその近くには、老年期の徳川家康公の銅像もあるのですよ それらを眺めたら、今回の日記のタイトルにもなっている駿府城に向かいます。 ここから歩いて10分程で………

巨大なプラモデルに行き当たりましたよ 駿府城の三の丸のお堀端にあるこちらのモノは、徳川家康公が着用していた金陀美具足をプラモにしたオブジェ(金陀美具足プラモニュメント)にございます。 静岡市はタミヤバンダイが所在しているプラモデルの街でもあるのですよ。 さらにその先には………

二の丸の東南に巽(たつみ)櫓と東御門が聳えています。 巽櫓は平成元年(1989年)に、東御門は平成8年(1996年)に、いずれも木造で創建時の姿に復元されました。 そうしたら、200円の入場料を払って、いざその内部へ

東御門の櫓門多聞櫓の部分は展示施設となっていて、駿府城に関する資料などが並べられています。 それらの中には………

駿府城の全体の姿を再現した模型もあるのですよ 天守は江戸時代初期に失われて土台だけとなっているのですけど、三重のお堀に囲まれていて、たくさんの櫓や門、塀を有する立派なお城でした。

また、駿府城の初代のものとなる天正期の天守に使用されたと推測される金箔瓦も展示されていました。 その天守は規模や煌びやかさで、豊臣秀吉公大坂城と張り合っていたと思われます。

そうしているうちに、私は巽櫓の内部に突入していきました。 その1階には、畳敷きの部屋があるのですよ。 さらに、2階には………

徳川家康公が竹千代の頃に、臨済寺で手習いを受けた「竹千代手習いの間」が再現されています。 そうしたら、これからは外を歩きます。

屋外は朝から暑いです。 駿府城の本丸跡の中央あたりには、徳川家康公の銅像があります。 こちらは「大御所」と呼ばれていた老年期のもので、鷹狩りの時の姿を再現していますね。 さらにその北西側には………

天守台の下部が掘り出された状態で、公開されています。 駿府城の天守台は西辺が約68m、北辺が約61mもあって、他のお城と比べても大きさ(広さ)が日本一ということに この上に慶長12年(1607年)に2代目となる天守が建てられたのですけど、数ヶ月後に失火によって焼失。 直ちに再建に取り掛かり、翌年に3代目天守が完成しました。 この天守は天守台いっぱいに建てられてなかったこともあって「日本一の天守台」説には賛否両論あるのですけど、その天守台は地下1階を有する穴蔵構造となっているのですよね。 もしかしたら2代目天守は、天守台いっぱいに及ぶとんでもない大きさだったのかも知れません。

しかし3代目天守も、寛永12年(1635年)に焼失。 以降は再建されず、天守台だけが残っていました。 その天守台は、明治29年(1896年)に歩兵第34聯隊を誘致するために破壊され、本丸を囲む水堀もろとも埋め立てられてしまいました。
それから100年以上の時を経てから掘り出され、その際には天正期の大天守台小天守台も出土しました。 しかし、今後の整備計画がまとまらないからなのでしょうか?発掘されてから8年にもなるのに、それからほとんど手がつけられていません。

それはさておき、駿府城にはもう1つ復元された建物があるのですよ それは、二の丸の西南隅にある坤(ひつじさる)櫓のことであります。

こちらは平成26年(2014年)に木造で復元。 外観は2層なのですけど、内部は3階となっています。 もちろん、その内部も見学しますよ ちなみに入場料は100円となります。

坤櫓は昔と同じ木材や工法によって復元されたのですけど、1階の床の一部は礎石や土台の構造を見学できるように、強化ガラスが入れられています。 さらにそこから天井を見上げると………

2階と3階の床が外されていて、建物の屋根裏まで見通すことができます。 坤櫓は階段も昔の構造に則って、急な角度で造られました。 それが消防法などに引っ掛かったみたいで、見学者は上れないことになっています。 それならば、せめて2階と3階の様子を撮った写真を飾るか、無人カメラで観させてもらいたいです。
あ、坤櫓にはそれ以外にも見学者を喜ばせる仕掛けがあるのですよ せっかくなので、体験してきます。 タイマー撮影モードにセットされたスマホカメラの先には………

歯朶具足に身を包んだ私の姿が 実はこれは顔を突っ込むだけの撮影装置で、お手軽に甲冑の疑似着用体験をすることができます。 坤櫓を見学し終えた私はまだ時間に余裕があったので、近くの静岡県庁の展望ロビーに上ることにしました。 県庁別館の21階にあるその施設は休日も開放されていて、入場無料。 その北東側には………

うっすらとではあるのですけど、富士山が見えますね。 ちなみに手前にある大きな建物は、静岡市民文化会館にございます。

西北側には、静岡浅間神社が見えるのですけど……… 立派な楼閣の拝殿は修理中で、素屋根に覆われています。 さらに、展望ロビーの真下には………

駿府城巽櫓と東御門が見えます。 それらの建物の位置関係から、防御力の高さを感じることができるでしょ? ついでのつもりで久しぶりに現在は駿府城公園となっている駿府城跡に寄っていったら、ついつい夢中になってしまいました。
私はこれから近くの新静岡駅から静岡鉄道に乗って県営草薙球場に向かうのですけど、まだ時間的には早いです。 その球場がある静岡市駿河区は、この日は全国で最高気温となる40℃を記録することに。 そのような炎天下の中で、長時間球場にいたら大変なことになる恐れが 実際にはどのように過ごし、また私がどんな試合を観たのかは、次回の日記でお知らせします。


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 「坤櫓の最上階から梁の間をぬってバンジージャンプ!」なんて、とんでもないことを妄想された方は、こちらに投票してやってください。


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