こんばんは、白黒茶々です。
すでにタイトルに書いてしまいましたけど、そうなんです 甲子園で選抜高校野球大会を観戦したあと、私はそのお城に行くために京都駅から奈良線に乗り換え(ここでは各駅停車の列車に乗らないといけませんよ)………
桃山駅で下車しました。 こちらには、今から16年ほど前に箔母さんと一緒に来て以来となりますけど、駅の構えは当時とほとんど変わっていません。それだけではなく、時間帯によって無人駅になるところも、そのときのままですよ。
駅をあとにした私は、伏見桃山城に向かいました。 閑静な住宅地を突っ切るようにして続いている坂道を歩いていったら………
お城の案内……… みたいなものがありました。 金のひょうたんの馬印は、太閤こと豊臣秀吉を象徴するものです。しかし錆び付いた柱が、栄枯盛衰の様子を表しているように思えます。 こちらのお城は他とはひと味もふた味も違うのですけど、まずは伏見城について説明いたします。
まもなくしてお城というか、戦国時代村のような駐車場のゲートが見えてきました。 それはとりあえず置いておいて、伏見城は今から400年以上も前の文禄元年(1592年)に、豊臣秀吉の隠居所として風光明媚なこちらの地に築かれました。しかし、それから数年後の慶長大地震でお城は崩壊。それでもすぐに築き直されました。 そして慶長3年(1598年)に、秀吉はこちらのお城で没しました。
さらに、ちょっと怪しいお城の門みたいなものが見えてきましたけど、説明を続けますね。 秀吉没後の伏見城には、徳川家康が入りました。しかし、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いの前哨戦で、家康の重臣の鳥居元忠が守るそのお城は、石田三成軍に攻められ、落城。その際に元忠は自害し、お城は焼失してしまったのですけど、まもなくして家康によって再建されました。その後、二代将軍秀忠がお江とともにこのお城に住んだりもしましたけど、元和9年(1623年)に三代将軍家光の将軍宣下の式を最後にして、廃城にすることに。建物は全国各地のお城や寺社に転用され、石垣も淀城や大坂城(徳川時代の方)を築くのに使われました。ちなみに皇居(旧江戸城)の二重橋の上に見える二層の伏見櫓は、このときに伏見城から移されたと云われています。
さらに伏見城の跡地の山一帯に桃が植えられたことから、「桃山」と呼ばれるようになりました。 そのかつての伏見城の一角の御花畠のあたりには………
「伏見桃山城」と呼ばれる模擬天守と模擬小天守が建っているのですよ
この地には、昭和39年(1964年)に近鉄グループによって伏見桃山キャッスルランドという遊園地が開設され、その目玉としてこのお城も建造されました。
材質や形状、それに立地場所も史実とは異なるのですけど、一つの企業だけでこんなに立派なお城を建ててしまうなんて、たいしたことです。
ただし、お城を見学したかったら、遊園地の入場料(800円)を払わなければならなかったのですけど。
関西方面にお住まいの方のなかには、小さい頃に伏見桃山キャッスルランドに行ったことがあるという人もいるかも知れません。実は私も、今から16年前に箔母さんと一緒にそのキャッスルランドを体感したのですよ
迫力が抑え目のジェットコースター、腹を押さえつけて宙返りをし、逆さ伏見桃山城を見ることのできる、ぐるぐるスペースシャトル、いろんな意味で涙が止まらないお化け屋敷、………などなど。しかし、USJの出現やレジャーの多様化などによって経営は悪化し、平成15年(2003年)に閉園してしまいました。 遊園地の施設と一緒に伏見桃山城も取り壊されることになっていたのですけど、地元民の強い要望によってお城だけは残されることになりました。
「開けて~ 」 ドンドンドン
ただし、耐震性に問題があるということから、内部には入れずその入り口は固く閉ざされています。
かつては歴史資料が展示されていて、黄金の茶室のレプリカなんかもあって、エレベーターも付いていたのに。 その最上階からは、キャッスルランドの全景や洛南の風景を臨むことができました。
ちなみに夢の跡となったキャッスルランドの跡地は、現在は運動公園となっています。またそちらでは、トイプードルにチワワ、ゴールデンレトリバー、………と、たくさんの種類のワンコを見かけました。 現在は、愛犬家の散歩コースにもなっているみたいですね。
あと、この伏見桃山城をバックにして、お約束の記念撮影をしておきましょう 今回は単独でのお城めぐりなので、カメラを三脚に乗せて、タイマーをセットして………
しまった そのタイマーの時間を間違えて、私が特定の位地に着く前に写されてしまった。 それでも、「旅のハプニングは楽しい要素」とも云われている(?)ので、こちらのほうを残しておきます。 いや、私のダッシュ写真のほうが、お約束になっているのかも………
せっかくなので、伏見城の主要部だったところにも行っておきます。 そこに至る道は厳正な地となっていることもあって、ワンコを連れて入ることはできないみたいです。
その途中に、伏見城に使われていたと思われる石が集められていました。
さらに、宮内庁が管理している厳かで立派な参道が続いているのですよ。 その道を、ひたすら歩いていったその先には………
伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ)がありました。ちなみにこちらは、明治天皇の御陵であります。伏見城の本丸跡からその南側の四ノ丸跡のあたりに位置するのですけど、かつて城域だったところはほとんど宮内庁の管轄となっているので、私たち一般人は踏みいることはできません。
それでも、山の麓から続いている石段の上からは視界が開けていて、宇治方面を一望することができるのですよ。
さらに、伏見桃山陵から東のほうに続いている急な坂道を降りていくと………
明治天皇の妃の昭憲皇太后の御陵となる、伏見桃山東陵(ふしみももやまのひがしのみささぎ)があります。こちらは伏見城の名護屋丸跡の南のあたりに位置していて、規模は伏見桃山陵よりひとまわり小さいです。
伏見城の様子については以上なのですけど、せっかくなので桃山駅から程近いところにある、こちらの御香宮神社のほうにも寄っていきましょう。 こちらの立派な表門は、伏見城の大手門(お城の正門)を移したものと伝えられています。 屋根の両端に鯱ほこが乗っている薬医門形式のこの建物は、国の重要文化財に指定されています。 そんな云われのある門をくぐって、まっすぐに延びる参道を進んでいくと………
拝殿に行き着きます。こちらの建物は、かつては伏見城の御殿の車寄せ(玄関)だったそうです。じっくり見ると、蟇股 (かえるまた)や彫刻などの装飾が施されていて、かなり豪華な造りとなっております。
あとは、京都駅で買ってきたオムカレー弁当を食べながら、帰るだけです。 それだけでナンなので、小岩井牛乳もオマケに付けておきましょう
豊太閤の夢のあとの伏見城は、宮内庁管轄の明治天皇と皇后の御陵の敷地となり、子供(童心に帰った私と箔母さんも含む)の夢のあとの伏見桃山キャッスルランドは、伏見桃山城の模擬天守を残すのみとなりました。伏見城の全体像をつかむには、かなりの想像力が必要となりますけど、地図を見ただけでも、かつてはかなりの規模だったことがわかります。さらに実際にその地を歩いてみると、イヤというほどその大きさを感じますよ。それでも、すっかり洛南のシンボルとなった模擬天守の建物は、新幹線の南側の車窓からも見えるので、京都を通過するついでのある方は、ぜひ一度探してみてくださいませ。
「涙が止まらないお化け屋敷」が気になって仕方ないという方は、こちらに投票してやってください。
すでにタイトルに書いてしまいましたけど、そうなんです 甲子園で選抜高校野球大会を観戦したあと、私はそのお城に行くために京都駅から奈良線に乗り換え(ここでは各駅停車の列車に乗らないといけませんよ)………
桃山駅で下車しました。 こちらには、今から16年ほど前に箔母さんと一緒に来て以来となりますけど、駅の構えは当時とほとんど変わっていません。それだけではなく、時間帯によって無人駅になるところも、そのときのままですよ。
駅をあとにした私は、伏見桃山城に向かいました。 閑静な住宅地を突っ切るようにして続いている坂道を歩いていったら………
お城の案内……… みたいなものがありました。 金のひょうたんの馬印は、太閤こと豊臣秀吉を象徴するものです。しかし錆び付いた柱が、栄枯盛衰の様子を表しているように思えます。 こちらのお城は他とはひと味もふた味も違うのですけど、まずは伏見城について説明いたします。
まもなくしてお城というか、戦国時代村のような駐車場のゲートが見えてきました。 それはとりあえず置いておいて、伏見城は今から400年以上も前の文禄元年(1592年)に、豊臣秀吉の隠居所として風光明媚なこちらの地に築かれました。しかし、それから数年後の慶長大地震でお城は崩壊。それでもすぐに築き直されました。 そして慶長3年(1598年)に、秀吉はこちらのお城で没しました。
さらに、ちょっと怪しいお城の門みたいなものが見えてきましたけど、説明を続けますね。 秀吉没後の伏見城には、徳川家康が入りました。しかし、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いの前哨戦で、家康の重臣の鳥居元忠が守るそのお城は、石田三成軍に攻められ、落城。その際に元忠は自害し、お城は焼失してしまったのですけど、まもなくして家康によって再建されました。その後、二代将軍秀忠がお江とともにこのお城に住んだりもしましたけど、元和9年(1623年)に三代将軍家光の将軍宣下の式を最後にして、廃城にすることに。建物は全国各地のお城や寺社に転用され、石垣も淀城や大坂城(徳川時代の方)を築くのに使われました。ちなみに皇居(旧江戸城)の二重橋の上に見える二層の伏見櫓は、このときに伏見城から移されたと云われています。
さらに伏見城の跡地の山一帯に桃が植えられたことから、「桃山」と呼ばれるようになりました。 そのかつての伏見城の一角の御花畠のあたりには………
「伏見桃山城」と呼ばれる模擬天守と模擬小天守が建っているのですよ
この地には、昭和39年(1964年)に近鉄グループによって伏見桃山キャッスルランドという遊園地が開設され、その目玉としてこのお城も建造されました。
材質や形状、それに立地場所も史実とは異なるのですけど、一つの企業だけでこんなに立派なお城を建ててしまうなんて、たいしたことです。
ただし、お城を見学したかったら、遊園地の入場料(800円)を払わなければならなかったのですけど。
関西方面にお住まいの方のなかには、小さい頃に伏見桃山キャッスルランドに行ったことがあるという人もいるかも知れません。実は私も、今から16年前に箔母さんと一緒にそのキャッスルランドを体感したのですよ
迫力が抑え目のジェットコースター、腹を押さえつけて宙返りをし、逆さ伏見桃山城を見ることのできる、ぐるぐるスペースシャトル、いろんな意味で涙が止まらないお化け屋敷、………などなど。しかし、USJの出現やレジャーの多様化などによって経営は悪化し、平成15年(2003年)に閉園してしまいました。 遊園地の施設と一緒に伏見桃山城も取り壊されることになっていたのですけど、地元民の強い要望によってお城だけは残されることになりました。
「開けて~ 」 ドンドンドン
ただし、耐震性に問題があるということから、内部には入れずその入り口は固く閉ざされています。
かつては歴史資料が展示されていて、黄金の茶室のレプリカなんかもあって、エレベーターも付いていたのに。 その最上階からは、キャッスルランドの全景や洛南の風景を臨むことができました。
ちなみに夢の跡となったキャッスルランドの跡地は、現在は運動公園となっています。またそちらでは、トイプードルにチワワ、ゴールデンレトリバー、………と、たくさんの種類のワンコを見かけました。 現在は、愛犬家の散歩コースにもなっているみたいですね。
あと、この伏見桃山城をバックにして、お約束の記念撮影をしておきましょう 今回は単独でのお城めぐりなので、カメラを三脚に乗せて、タイマーをセットして………
しまった そのタイマーの時間を間違えて、私が特定の位地に着く前に写されてしまった。 それでも、「旅のハプニングは楽しい要素」とも云われている(?)ので、こちらのほうを残しておきます。 いや、私のダッシュ写真のほうが、お約束になっているのかも………
せっかくなので、伏見城の主要部だったところにも行っておきます。 そこに至る道は厳正な地となっていることもあって、ワンコを連れて入ることはできないみたいです。
その途中に、伏見城に使われていたと思われる石が集められていました。
さらに、宮内庁が管理している厳かで立派な参道が続いているのですよ。 その道を、ひたすら歩いていったその先には………
伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ)がありました。ちなみにこちらは、明治天皇の御陵であります。伏見城の本丸跡からその南側の四ノ丸跡のあたりに位置するのですけど、かつて城域だったところはほとんど宮内庁の管轄となっているので、私たち一般人は踏みいることはできません。
それでも、山の麓から続いている石段の上からは視界が開けていて、宇治方面を一望することができるのですよ。
さらに、伏見桃山陵から東のほうに続いている急な坂道を降りていくと………
明治天皇の妃の昭憲皇太后の御陵となる、伏見桃山東陵(ふしみももやまのひがしのみささぎ)があります。こちらは伏見城の名護屋丸跡の南のあたりに位置していて、規模は伏見桃山陵よりひとまわり小さいです。
伏見城の様子については以上なのですけど、せっかくなので桃山駅から程近いところにある、こちらの御香宮神社のほうにも寄っていきましょう。 こちらの立派な表門は、伏見城の大手門(お城の正門)を移したものと伝えられています。 屋根の両端に鯱ほこが乗っている薬医門形式のこの建物は、国の重要文化財に指定されています。 そんな云われのある門をくぐって、まっすぐに延びる参道を進んでいくと………
拝殿に行き着きます。こちらの建物は、かつては伏見城の御殿の車寄せ(玄関)だったそうです。じっくり見ると、蟇股 (かえるまた)や彫刻などの装飾が施されていて、かなり豪華な造りとなっております。
あとは、京都駅で買ってきたオムカレー弁当を食べながら、帰るだけです。 それだけでナンなので、小岩井牛乳もオマケに付けておきましょう
豊太閤の夢のあとの伏見城は、宮内庁管轄の明治天皇と皇后の御陵の敷地となり、子供(童心に帰った私と箔母さんも含む)の夢のあとの伏見桃山キャッスルランドは、伏見桃山城の模擬天守を残すのみとなりました。伏見城の全体像をつかむには、かなりの想像力が必要となりますけど、地図を見ただけでも、かつてはかなりの規模だったことがわかります。さらに実際にその地を歩いてみると、イヤというほどその大きさを感じますよ。それでも、すっかり洛南のシンボルとなった模擬天守の建物は、新幹線の南側の車窓からも見えるので、京都を通過するついでのある方は、ぜひ一度探してみてくださいませ。
「涙が止まらないお化け屋敷」が気になって仕方ないという方は、こちらに投票してやってください。
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