波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

漆黒の洞穴といわく付きのトンネル、あと廃校もっ

2023-10-25 01:19:13 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記のラストで予告した通り、今回は真っ暗な鍾乳洞と古くて怪しいトンネルの様子を体験レポートします。 を連れて、静岡県との県境に近い愛知県側の豊橋市嵩山(すせ)町方面を訪れていた私たちは、今度はその山側に続く自然道に入っていきました。

「あれっ、このような石段って上っていったかな?」この先に目的の穴があるのですけど、10年以上も前に行って以来なので、そこまでのアクセスも忘れていました。 それでも、こちらはわかりやすい案内板があったので、間違いはないハズです。 それから間もなくして………

目指していた洞穴にたどり着きましたよ こちらは嵩山蛇穴(すせじゃあな)という石灰岩系の岩山にできた鍾乳洞で………

その洞内からは1万年ほど前の縄文時代草創期の土器や獣の骨などが出土し、火を焚いた跡も見つかりました。 それらのことから、その時代のヒトの住まいの跡と推定され、国の史跡に指定されました。

案内板には、洞穴の全体図とその住民だった縄文人の想像図が描かれているのですけど、その顔にソックリな芸能人がいたりするのですよね。 どなたか思い当たる方はいらっしゃるでしょうか?

こちらは観光鍾乳洞ではないのですけど、内部を自由に見学することができます。 しかし、内部は光が一切入らない漆黒の闇となっていて、足場が不安定なうえに水浸し&泥まみれになることは必至 なので、波と狛は入口だけで引き返させて、車の中で待機していてもらいました。 私は長靴に履き替えて、懐中電灯を片手に再び嵩山蛇穴に至る石段を上っていきました。

ハアハア……… 前フリが長くなってしまいましたけど、いよいよ皆さまを洞穴の内部にご案内いたします。 気になるその様子は………

う~む……… 懐中電灯+モバイルライトを使っても、暗過ぎてうまく写りませんね。 こうなったら、他の方法でやってみます。

一緒に持ってきたデジタルカメラでストロボを焚いたら、なんとか撮ることができました。 わっ、オーブ と思われた方がいらっしゃるかも知れませんけど、洞内は湿気が多くてやや蒸し暑かったので、浮遊物に見えるものの正体は水滴である。 ………ということにしておきましょう。

そうしたら、どんどん奥まで入っていきましょう

案内図にもあったように、2手に分かれているところもありました。 このような場合、どちらから行っても同じところに繋がっているのですよね。 そして、最深部に近いところには現在の洞穴の住民がたくさん寝ていたのですけど、ここから先はニガテな方は閲覧注意です。 その生物は哺乳類ではあっても夜行性で、鳥とは違う動きで飛ぶことができます。 しかも、昼は暗いところで逆さにぶら下がって寝ていて、吸血鬼のお供といえば、もうおわかりですよね?

そうです!嵩山蛇穴に巣くう現在の住民というのは、コウモリのことだったのです。 そんな彼らの安眠の場所に、いきなり侵入してきて寝姿を写真に撮ってしまい、失礼しました この洞穴は明治時代に落盤があって、長さは70m程になっているのですけど、それ以前はもっと長かったそうです。 それでも、真っ暗で先が読みにくかったので、実際の距離よりは長く感じました。 コウモリが好きで地底探険にハマっている方がいましたら、是非嵩山蛇穴に潜ってみてくださいませ

嵩山蛇穴をあとにした私は、再び波&狛と一緒に車に乗っていき、今度は山の上に続いている細くて曲がりくねった道を進んでいきました。 この先には、ポツンと一軒家………

………ではなく、旧本坂トンネルと呼ばれる古い構造物があるのですよ

そのトンネルの出入口の上には「道隧坂本」と刻まれています。 こちらは大正4年(1915年)に造られ、愛知県と静岡県を結ぶ道として長年使われてきました。 しかし、昭和53年(1978年)に現在の本坂トンネルが開通して以後は、通りにくいこともあって、交通量が激減。 現在は心霊スポットとして、知られています。

それでも、私たちにとっては雨の日でも散歩ができる全天候型の場所なので、過去にも何回か訪れています。 そうしたら、車から降りて反対側まで歩いていきましょう その内部はレンガ張りなのですけど、愛知県側は鋼鈑で覆われ、さらに無数の落書きがされておられる。

先ほど触れた通りで、旧本坂トンネルには怖いウワサがあります。 夜に通ると、赤ん坊を抱いた女性の幽霊が立っているとか、老婆の幽霊が追いかけてくるとか。 さらには、トンネルの天井から逆さ吊りで立っている女性の幽霊が見える、………など。 最後の話はドリフのコントにもあったような気がするのですけど、このトンネルができる前は山の上を通る険しい峠道しかなくて、そこで山賊などに襲われて命を落とした女性の霊魂がこのあたりを彷徨っているとも、云われています。

トンネルの真ん中あたりに県境を示す「懸界」の表示があるハズですけど、保存状態が悪いというか、欠けているほうを撮ってしまい、さらに暗くてわかりづらいときたもんだ

静岡県側は本来のレンガの壁があらわになっていました。 ゴールまであと少しです

トンネルを出てすぐのところには、現在地を示す表示版が立てられていました。ここからは静岡県浜松市北区三ヶ日町となります。 しかしここで終わりではなく、愛知県側に車を置いてきてしまいましたし、今来た道を引き返さなければなりません。 その反対側には………

「愛知県豊橋市」の表示が。 戻ってきてやれやれというところですけど、今度は車に乗ってさらにトンネルを通らなければならないのですよ。 しかも、先述の「懸界」のあたりでクラクションを3回鳴らすと、幽霊が出てくるというウワサが 私はモノ好きなのですけど、次に寄るところがあるのに面倒くさいことになったらイヤなので、今回は検証は見送ることにしました。
そんな旧本坂トンネルから狭くて曲がりくねった坂を降りていき、現在の本坂トンネルにも繋がっている国道362号を東に向かっていくと………

この日最後の目的地となる、三ヶ日町立西小学校日比沢分校跡に行き着きます。 こちらには平成22年(2010年)頃までかつての木造校舎が残っていたのですけど………

現在は取り壊され、砂利が敷かれた広場となっています。

日比沢分校は、明治31年(1898年)に西浜名村立西浜名尋常高等小学校日比澤分教場として開設されました。 先述の校舎は、昭和25年(1950年)に建造。 2年生までの通学の便宜を図って活用されてきたのですけど、昭和44年(1969年)に閉校してしまいました。 それでも、その敷地の片隅には………

二宮金次郎の像が残っています。 台座からしてかなり古そうですね。

それもそのハズ その台座の裏には、昭和12年(1937年)4月に石田二郎という方によって寄付されたことが刻まれていました。 当初の像は戦時中に金属供出で失われ、その後今日見られる石像(コンクリート像?)が立てられました。

その台座の表側には「時は金なり」と、ありました。 しかも、戦前の像を寄付したのと同じ人の名目で。 現在の金次郎さんも、彼が建立したのでしょうか?

以前に訪れた時にあったその近くの古木は、枯死のために切り倒されたのでしょうか? 瑞々しさを失った切り株だけが残っていました。 日比沢分校の遺構は入口の鉄柱やフェンス以外には、この二宮金次郎像だけとなってしまいました。 それでも、学校やそこに通っていた児童の姿を長年見続けてきた証人となるので、ずっと残しておいてもらいたいです。 なので今後、金次郎さんには「夜に目線が合うと追いかけてくる、しかも無表情で」のようなウワサが立ったりしないことを願っています。



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