波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

保養地にいってらっしゃい(興津・熱海編)

2016-09-14 00:36:29 | 旅行記
こんばんは、白黒茶々です。
先月はお盆休みの大半をたつぴとの二人旅に割き、その翌日から通常通りの仕事が入ったりして、忙しくも充実した日々を過ごしました。 その次の休みとなる日曜日は、箔や波と一緒にお出掛けしたりして、我ながらちょっと大変でした。そうしているうちに、月が改まって家族旅行やワンコイベントなどが予定されている9月に突入してしまいました。



そんなある日のこと、緑(りょく)ちゃが二枚のチケットを手(前足)に、私に保養に行くことを勧めてきました。 たぶん、きっと。 そのチケットをよく見てみたら……… って、実は私が仕込んだのですけどね。 とにかく、ご説明いたします。1枚は1回ぶんだけ余っている、青春18きっぷ。これがあれば、JRの在来線なら期限となる9月10日までだったら1日乗りまくることができるのですよ。 もう1枚は、伊東マリンタウン内にあるシーサイドスパの入場券ですね。 伊東といえば、やはり温泉ですよ。そのチケットは、前回のDOG!フェスタの大抽選会で、私が当てたものです。 ちょっとお疲れ気味の私に、癒しの旅を用意してくれるなんて……… ううっ。
わかりました。今回はお暇(いとま)をいたただいて、温泉巡りをさせていただきます。



………とはいっても、自宅のある静岡県の最西端から、在来線を使って県の最東端となる伊東市を目指すというのですから、いつもより早く支度をして、家を出なければなりません。 そういうことなので、箔と波はここまでです。朝の散歩とご飯が済んだら、箔母さんとたつぴは家にいるのですけど、いい子でお留守番していてください。 ただし、私の留守中は映画「ペット」のようなことはしないでくださいね。



この日は台風の影響で大雨が降るという予報があったのですけど、駅に付いた頃にちょっと雨が降っただけで、晴れを通り越して炎天下となりました。 伊東までは3時間半ほどかかるのですけど、私はその途中の………



静岡駅から東に4つ目となる、興津というところで降りていきました。 実は、こちらには以前から行ってみたいと思っていたところがあるのですよ ただし、前もって断っておきますけど、お城ではありません。
興津駅から西に戻るかたちで歩くこと13分。そうしたら………



私の目の前に清見寺が現れました。 こちらのお寺は奈良時代から続く名刹で、徳川家康(竹千代)は今川氏の人質時代に、寺の住職の太原雪斎に師事し、勉強したと云われています。 江戸時代には徳川氏の庇護を受け 、さらに東海道の目の前にあることから、ここで朝鮮通信使や琉球使の接待も行われました。
しかし、東海道本線がその真ん前を通ることになり、放浪の画家として有名な山下清氏はその眺めにガッカリしたそうです。 という清見寺からほど近いところに………



今回の最初の目的地となる、興津坐漁荘(ざぎょそう)があります。 「入場無料」というのが、嬉しいですね。 こちらの邸宅は、西園寺公望(きんもち)公が大正8年(1919年)に建てた別荘です。



大滝秀治さん?いや、ちょっと似ていますけど、西園寺公望公です。公望公は明治から昭和初期にかけて活躍した政治家で、総理大臣や諸々の大臣の職に就き、最後の元老(重要施策について、天皇の諮問に応える強力な発言権を持つ重臣の呼び名)でもありました。



公望公は70歳のときに政治の一線から退き、風光明媚な清見潟を臨む興津清見寺のこの地に、別荘というよりはむしろ隠居所としてこの邸宅を建てました。



玄関にも、趣がありますね。その頭上には「坐漁荘」の扁額が。この名前は中国の故事によるもので、眼前の海岸で釣糸を垂らして、のんびり過ごすという意図も含まれています。



1階の居間と床の間は純和風で、こちらも落ち着きますね。



その縁側には、庭を眺めてくつろぐ輩の姿が。言うまでもなく、これは私です。
公望公はこの邸宅で静かな老後を送るつもりでいたのですけど、実際には政府の要人が相談やご機嫌伺いに訪れる「坐漁荘詣で」が後を絶たちませんでした。



居間と床の間の隣には、暖炉を備えた洋風の応接室があり、さらにその部屋の庭に面した南側には、テラスが設けられています。 その椅子に居座っているのは、政府の要人?いや、またしても私です。 せっかくなので、邸内の他の部屋も覗かせていただきます



大正時代なので、厠というよりは便所といったほうがいいのでしょうか?ひょっとしたら、すでにトイレットという洒落た呼び名だったかも。いずれにしても、現在は使用禁止となっております。



こちらの上湯殿は、天井に竹材、壁に木材、床に石材が使われていて、湯船はたぶん檜造り。このような環境で、鼻唄を歌いながらゆっくりお湯に浸かりたいですね。



台所も、昔の趣であります。 流しには水道が通っているのですけど、煉瓦で覆われたコンロには、丸くて大きな穴が。この中に木炭や練炭を入れて、煮炊きしていたのでしょうか?そうしたら、いよいよ2階に参りますよ



階段を上がり、鶯張りの廊下を渡っていったら、お庭を臨む広縁を備えた、二間続きの和室に行き着きました。 こちらはとても開放的で………



かつてはすぐ目の前まで砂浜と海岸が迫っていて、保養地と呼ぶにふさわしい景観が広がっていました。



しかし、そのあたりは戦後になってから埋め立てられ、海岸はかなり遠くなってしまいました。



公望公は昭和15年(1940年)にこの家で亡くなりました。享年90歳。それから間もなくして国葬が執り行われ、彼は東京世田谷の西園寺家墓地に葬られました。
公望公が没してから30年後くらい経ったら、坐漁荘の建物は傷みが激しくなり、当局はその扱いに悩みました。 そこで、愛知県犬山市の博物館明治村が手を挙げたのです。建物はその園内に移築・修理され、現在は国の登録有形文化財として公開されています。

一方の興津の坐漁荘跡地は、それ以降は公園となっていたのですけど、平成16年(2004年)にかつてこの地にあったものをできるだけ忠実に復元しました。 私がこの日見学したのが、その建物であります。これは坐漁荘のコピーと言ってはナンですけど、とにかく坐漁荘は現在、この世に2つ存在していることになります。それを踏まえた上でじっくり観察してみると、いずれの坐漁荘でも、竹の欄間の精密な造作など、到るところで優れた職人技を見つけることができますよ。

私はお城以外にも昔の邸宅の類が好きで、興津坐漁荘のことは以前から気になっていました。実際に見に行ったら期待以上でした。それに加えて、お金持ちの友達の別荘に招待され、好き勝手に邸内を探険した子供のような気分を味わうこともできました。
ただ、駅からちょっと離れているのが大変なのですけど。私はまた15分ほどかけて興津駅まで歩いていき、そこから再び列車に乗っていきました。 そして、次に降りたところは………



スピッツクラブ展覧会などで関東方面に行く際の中継地となっていて、私がよく立ち寄る熱海にございます。現在こちらでは駅ビルが建設中で、外側はほぼ出来上がっていました。



熱海といえば、やっぱり温泉ですよ 駅前には、以前より大きく開放的となった足湯があり、今回は時間的にも余裕があるので………



さっそく浸からせていただきます はぁ~、極楽極楽。 足湯で身も心も温まったら………

今度は、伊東線を走る下田方面に向かう列車に乗っていきますよ。 外観は撮っていないのですけど、私が乗り込んだのは幕末に開港した下田にちなんだ黒船電車で、車体は黒を基調としております。また、海側の座席は常に外を向いているのですよ。その車窓から見える東伊豆の海岸がきれいですね。
………と、せっかくいいところなのですけど、寄り道でかなりページ数を割いてしまったので、癒しの旅の本命の登場は次回に持ち越しとさせていただきます。 目的地に着く前の中途半端なところで終わってしまって申し訳ないのですけど、懲りずに次回も付き合っていただけたら、嬉しいです。


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コメント (2)
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