突然ですが、みなさんにライバルはいますか? 今回のテーマなので質問させていただきました。
下写真は野球部の練習を終え塾に向かうために車内で着替える愛息10郎。この送迎はいつもは妻の役割ですが、この日は会社の会議(5年後を見据えない無駄な予算編成のオンパレードだったなぁ)が、ありがたいことに早めに終わったので8郎が緊急代理しました。今、最大のライバルと言えば、息子ですね。ライバルとしてこんなに楽しくやりがいのある相手は世界中探してもいませんからね。
※ ライバルとは広辞苑によると「競争相手、好敵手」だそうです。ただの敵ではなく、いい意味での勝負相手、ということになります。歴史で言えば武田信玄と上杉謙信、スポーツ界で言えば野茂英雄と清原和博でしょうか(古)。砕けて言えば「塩を送りたくなる勝負相手」ということですね。
塾や部活も無縁だった8郎の人生50年史において、ライバルと言える人はほとんどいなかったのですが、勉強という意味であえて思い出すと、同年生2人だけが記憶の彼方から蘇ってきます。
1人は幼馴染のS君です。小学校2年のころテストで競っていたからです。当時から8郎はスパルタ父に勉強を強制されていましたのでテストはいつも100点でした。100点以外許されなかったのです。一方ですでに塾に通っていたS君も毎回100点でした。父が8郎の友達で名前を憶えているのはS君だけです。8郎とS君はテストが始まると開始10分以内で解答し先生に提出するのを1秒でも早くと競っていました。女性の先生が微笑みながら「あんたたち2人はこれからも競争してお互いを高めていきなさいよ」と諭された記憶が蘇ります。とはいえ、8郎の家庭はこの年に親が離婚。転校となり地獄の生活が始まることになります。数年後に父のもとに戻されたときには、父が無職になっており、変わらず家計は困窮だったことから、中学、高校と進学も部活動の道もあきらめざるを得ませんでした。
一方のS君は先生の期待通りに県内私立進学高から東京のW大学(いわゆる「私大の雄」)に現役進学し、その後沖縄の高学歴層が集う行政機関に働いています。出世コースに乗ったり、政変で左遷?されたりとエリート公務員らしく激変の人生を送っているようです。たまに草野球で会います(先日1年ぶりに会ったら頭髪が真っ白になっていました。それくらい厳しい権力闘争にもまれているのだと8郎は理解しました)。飲み会では野球の話にしかなりませんが、今度またゆっくり話したいですね。8郎もS君から「お前がライバルでよかった」と言われるような人生を歩いていきたいと思います(全く思ってなかった、というオチもあるかもしれませんが。笑)。
もう1人は、名前すら憶えていないですが(そんなライバルいる?)、中学1年のときに別のクラスにいた女の子です。顔もほとんど覚えていません。記憶の断片をかき集めると色白メガネのぽっちゃりした子で、本土からの転勤族の娘さんでした。中学に入るとスパルタ親父に勉強のみの人生を強要されていた8郎。当時1学年に600人近くいたマンモス校のN中で席次は悪いときで5番で、あとは2番か3番でした。スパルタ父から「なんでお前は1番が取れない。アホタレ」と言われ、「こいつ殺してやろうかな」と言う思いを逆に押し殺し、「1番を取ってから殴り殺してやる」と気を切り替えフルスロットルで勉強しました。参考書を買ったり塾に通う金はなく、教科書だけの孤独な闘いでした。
教科書に載っているところはすべて理解、暗記し(そのつもりでした)、「分からないところがあるはずがない。俺以外に1番は考えられない」と自信満々で試験に臨みました。「分かっていたのに単純ミスしてしまった」という失点はあったものの500点満点中497点。後日、廊下に貼られる席次表の1番目に自分が載っているのを確認したら学校を早退し、アホオヤジを殴り殺すつもりでした(それが姉妹のためだとも思っていたので)。
しかし、発表当日、廊下の席次表を見上げると8郎の前に1人女の子の名前が載っているではありませんか。8郎は2番だったのです。診断士試験で何度も苦渋を味わってきた8郎ですが、あのときの衝撃は今も忘れることができません。「8郎、お前また2番か!でーじすごい」とうらやむ友人の声など上の空でした。「また1番になれなかったのか」という衝撃より、「497点以上に得点したやつがいたのか!」という衝撃の方が大きかったです。立ちすくむという体験も人生初でした。その時はじめてその子の存在を知り、友達つてに「ナイチャーでガリ勉。根暗どー」(超失礼)という情報が入ってきたのです。
その子はもちろん県内でもトップレベルの進学塾に通っており、独学8郎とは明らかなハンディキャップがありました。転勤族なので親も高学歴だったのでしょう。
でもハンディどうのこうのではなく、8郎はこの子のことを心底「すごい」と思いました(ガリ勉、根暗カンケーねぇ!)。たとえ予備校通いで8郎よりアドバンテージがあったとしても、8郎がたどりつけなかった498点以上を得点したのです。それを取るだけの努力をしてきたのです。1番になると信じ切っていたのに2番だった男の純粋なリスペクトなのですから、失礼ですが3番以下に分かるはずもありません。席次表から生まれ交錯する感情世界には、まさに8郎とその女の子2人だけの世界線が引かれていたのです(あえてヒゲダン風に言います)。
ま、その転勤族の女の子からすれば「沖縄ってホント学力が低い」としか思ってなかったかもですけど。1番になれなかった8郎的には、生まれて初めて心に芽生えた〝他者に対するリスペクト〟という感情のおかげで、帰宅後にアホオヤジを殴り殺すことはありませんでした。
女の子は今どうしているのかな。もちろん同じ50歳。りっぱなおばちゃんです(おばちゃんは差別語では決してない!と思います。麻生氏の言い方は悪いけど)。勉学を活かしてエリート職で頑張っているのか、意外にも専業主婦になっているのか、どちらにしろ健康でいい人生を歩んでいてくれたらいいな、と考えたりもします。
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前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
中小企業診断士1次試験に6度目の挑戦をしているおじさん8郎。なんだかんだ言ってもモチベの中だるみはしょっちゅうやってきます。理由を考えたところ、要因はいろいろあるのですが、やはり〝ライバル不在〟が大きいと確信しました(強敵13歳の存在はここでは考えません)。競う相手がいないのでさぼってしまうのです。ただでさえ独学の身。目に見えるライバルなんて周りを見渡しても見つかるはずがありません。
しかし、偶然にも見つけたのです!
どこにいたかって? はい、ネット越しに見つけました(爆)。昨年に始めて診断士試験を受けて全体不合格ではあったものの4科目合格している50代女性の勉強記録チャンネルです。
この方です。
動画をすべて閲覧したわけではないので、この女性がどういう方なのか正確に把握していませんが、大まかにいうと①年齢は50代(おそらく8郎よりは年上)、②職業は簿記の講師、③高卒ながら、「税理士簿記論」「簿記1級」「FP1級」「行政書士」などの難関国家資格を取得している(高卒を馬鹿にしているわけではありません。資格試験においては絶対的に不利なので逆にリスペクトしているのです)、④子どももいて仕事・家事と並行して勉強している、という方です。
性別は違えど、50代、仕事・家事との三刀流、独学という3点で似たような境遇にいると考えました。所有資格ではこの女性が圧倒的に上ですが、診断士試験に関しては8郎が5回経験のアドバンテージがあるので、そこはイーブンだと捉えます(5回の経験があるのに向こうが優位と言うのはさすがにかっちょ悪いですし)。
動画を拝聴すると、毎朝5時に起きて勉強したり、休日に11時間勉強したりと合格に向けた努力を感じることができます(5時起きは一度試みたものの断念しました。8郎の体質に合いません)。
そういう意味で、環境はほぼ互角、と言う設定で勝負したいと思います。動画を拝聴し、自分をもっと焦らせたいと思います。
昨年8月の試験から半年間の努力の成果を確認する動画も面白かったのでリンクしておきます。
半年の勉強の成果がこうなりました。50代の資格取得朝勉ルーティン
この女性が昨年の1次試験を受けた結果も大変参考になるので、個人的な備忘録として動画から転記させていただきます。★が科目合格。
◆経済 60点★
◆財務 64点★(簿記講師なので当確)
◆経営 57点
◆運営 41点
◆法務 64点★(行政書士と宅建士保有なので民法で優位)
◆情報 36点
◆中小 70点★(単純な暗記科目。日経新聞愛読者なら有利)
計392点
なぜ、全くの赤の他人であるこの方の得点結果を載せたかというと、独学8郎的に大変参考になったからです。まず「財務会計」が合格ラインは超えているものの70点に届いていないということです。そうです、税理士の簿記論、簿記1級など資格的には簿記をほぼマスターした肩書の方さえ、64点がやっとなのです(怖)。「財務」も年々難しくなっているのを改めて痛感しました。過去に合格しているとはいえ、ゾンビ復活科目として受験する今年、得意科目だと過信せずに気を引き締めなければなりません。
また「運営管理」が41点と足切りギリギリということ。予備校講師とは言え、工場の生産工程とは無縁の職場の人間にとってこの科目が鬼門👹だということを教えてくれました。俺だけが苦しんでいるんじゃないんだ!と。
以上書いてくると、なんだかこの方に親しみがわいてきた次第です。リスペクトを込めた上で、勝手ながらライバルとさせていただき、遠い沖縄の地で勝手ながら切磋琢磨させていただこうと思います。
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さて、ライバルというキーワードでネット検索していたら、ライバルに関する名言集サイトに寄り道してしまいました。昭和のスポーツ選手の名言を3つご紹介して、今回の記事を終わらせていただきます。
100回バットを振ったヤツに勝ちたければ、101回バットを振る以外に道はない(落合博満)
どうやったらライバルとの競争に勝てるか、1日24時間の使い方の問題だ(野村克也)
自分が苦しい時は、ライバルもまた苦しいのです(瀬古利彦)
以上、忘れかけていた闘争心を思い起こさせてくれる昭和のスポ根名言でした。いずれもリスペクトに値するライバルの存在感があってからこそ生まれた言葉ですね。
お会いしたこともない、またこれからも対面する機会はほぼゼロ%だろうというこの女性Youtuberさんに負けじと、1日1時間を大切に過ごしたいと思います。ライバルは今この時間も無駄にはしていない、という緊張感を持ちたいので、今日はこれにて。