沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

命のつながり

2015年05月22日 | 家族、親戚

 5月20日、父方の祖父がなくなりました。94歳でした。死因は、同居していた父によると風呂場での転倒による溺死ということです。そして今日家族葬をすませてきました。

 

 幼いころ、離婚した両親の元をいったりきたりさせられた8郎と姉妹は、祖父との交流がほとんどありませんでした。思い出も特にありません。これは祖父だけでなく親戚のほとんどがそうです。そういう意味では父を今でも恨んでいます。棺の中の遺体と対面したときも火葬のときも涙は出てきませんでした。7年前の祖母のときとは大きな違いでしたね。

 

 ただ、やはりなんだか胸を揺さぶるものがありました。それはやはり、血がつながっているということでしょうか。父とはうりふたつの祖父ですが、8郎とはほとんど似ていません(悲しいことにハゲ遺伝子はちゃっかり相続しました)。それでも、8郎にとって息子10郎に続く自分のルーツを考えると、切っても切れない人だったわけです。

 

 あくまでも昔父から聞いた話です。祖父は泡盛用の酒樽つくりを営む家で育ったようです。祖父の父(8郎にとってのひい爺さん)はものすごい大酒飲みで、当時沖縄に走っていた鉄道の線路上で寝て、危うくひき殺されそうになったりするなどいくつも迷惑話を残しているようです。そんなひい爺さんを見て育ったためか、祖父はほとんど酒を飲みませんでした。第2次世界大戦前に祖母と結婚し(親が決めたと祖母は言ってました)、すぐに海軍に召集され戦争に派遣されました。日本軍の上司に毎日殴られるなどつらい思いをしたと、かつて本人の口から聞いたことがあります。鉄の暴風と呼ばれた沖縄戦時中に祖母が8郎の父を生みました。

 

 戦後は、祖母が中心となった商店を営みながら、祖父は保険会社の営業マンなどし、父と父の弟の二人を育てました。ただ、父によると、あまりいい思いではないそうです。台風襲来のときに、母子を部屋に残して自分だけ玄関に避難したとか、弟ばかりをかわいがったとか。憎しみしかきいたことがありません(ここでは書けないみっともない話ばかり)。祖母も相当苦しんだようです。

 

 8郎きょうだいも、壁一枚へだてて同居していた時期もありますが、祖父はほとんど口を聞いてくれませんでした。幼いころ8郎が室内の壁に伝わるアリをライターで焼き殺していたら(子供って残酷!)、祖父がすっ飛んできためちゃくちゃ怒られた記憶は鮮明ですが(笑)。また、父により母方のもとへ強制移住させられた8郎きょうだいが夏休みに泊りがけで遊びに来ても、ほとんど無視していました。父と何十年も憎しみあっていたので孫すらもかわいく思えなかったのでしょう。祖母は泣きながら抱きしめてくれましたがね。祖父が8郎に積極的に話しかけてきたのは8郎が国立大学に入ったころからです。8郎が社会人となってからも、会社にまで来て父の文句をいうのには本当に閉口しましたよ。

 

 ここに書くだけでも、気の小さい人間だったというのがすぐ分かりますね(苦笑)。故人を偲ぼうにも、いい思い出がないのだから仕方ありません。そういう意味ではかわいそうな人だと思います。ただ、彼は彼なりに、一生懸命に生き、誰にもわかってもらえない苦しみを抱えていたのだろうとは思います。でも、周りに愛情を注げなかったのだから、周りも理解してあげられませんでした。

 

 ありがとう、おじいちゃん、といえる心境ではとてもありませんが、自分のルーツとして、祖父の人生をしっかり胸に刻んでおこうと思います。彼がいなかったら、8郎も、そして10郎もいなかったわけですから。

 

 おじいちゃん。生きている間はへどが出るくらい家族げんかをしたんだから、天国ではおばあちゃんと仲良くね。そして、自分のルーツのつながりである息子や孫、ひ孫たちのこれからの人生を見守っていてください。

 

 94年の激動の人生、おつかれさまでした。

 

 

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 さて、その8郎も先日、めでたく42歳となりました。毎年恒例、家族3人で祝いました。主役をおしのけローソクを消す5歳の王子です。

 そして誕生日当日は、久方ぶりに8郎の好きなサムズへ。豊見城のバイザシーです。カメハメハ大王がお出迎え。

  サムズは室内の雰囲気も8郎は好きです。冒険ロマンチックですよね。

 10郎のお子様メニューについてきたジュースはどくろに入っていました。真っ赤なジュースだったというのもあって妻は気味悪がっていましたが、この遊び心、いいですね。

 一応主役の8郎はふんぱつして4000円ほどのメニュー。フィレステーキに大きなエビフライ、魚フライもありました。もちろん満腹ですっ。お味はというとB級かなぁ。でも雰囲気を楽しめるレストランだからよしとしましょう。

 振り向けばあっというまの42年間でした。こうやって気付けば50になっているのでしょうね。仕事も宅建ももっともっと頑張らなければっ。頑張れるうちに頑張って、後悔することはないでしょうから。

 

 最後に、またしても潮干狩りをしてきたので写真でご報告です。

 貝、見つけたど~。

 小さなタカセガイでした。これって条例で捕獲が禁止されているんですね。もちろんリリースしましたが。

 さ、週末は宅建頑張るぞ。42歳の尻を叩きます! 


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