沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

グローブをはめる時

2018年04月15日 | 学童野球

 いきなりですが、メジャーリーグに渡った大谷翔平選手、すごいですね! 永遠の草野球少年44歳8郎も「ここまでできるのか」と驚きを持って見ております。8郎の永遠のスター野茂英雄のトルネード旋風を上回るインパクトをベースボールの母国に与えているのかもしれません。まぁ、まだまだこれからだとは思いますが、球界の重鎮ノムさんや張本オヤジの苦言にも臆することなく二刀流を貫き、そして成果を残している彼は褒めるしかありませんね。昭和世代8郎も二刀流には懐疑的でしたし、今でもピッチャーひと筋がいいのではとは思うものの、これが新時代の野球なんだと思い直されたりもしています。400勝、4千本安打より、2千本打って200勝も挙げることが大きな価値を持つということでしょうね。8郎も前世代がつくりあげた古いライフスタイルから脱却する気持ちを持たなければと、若き23歳の背中から学びました。実は大谷に感謝していることがもう一つあるのですが、それは後ほどお伝えします。

  さて、小学2年生になった愛息10郎。まだまだかわいいもんです。父8郎の足の甲に乗り、一緒に歩くという数年来のふれあいはまだ続けています。甘やかしすぎかな、と思いますが、そのうち離れていく寂しさを考えると、好きなようにさせています。いまだに、抱っこやおんぶをせがんでくるし、卒業したはずの「とーとーの物語」も週一ペースで続けています(笑)最近彼の一番のアイドル三浦大知になりきったダンスバトル大会物語を要求してきます。睡魔に襲われながら筋書たてるのが超めんどいっす! でも「聞きたい」という愛息の要求を断り切れない親ばかです。

 親離れより子離れが難しいとも聞きますが、自分もそうなるのでは、と心配な今日このごろです そういう意味で一人っ子は大変だっ。

 

 さて、遅まきながら本題です。先日、子育てしてきた8年弱でベスト3に入ると言っていいほどうれしい発言を、愛息の口から聞くことができました。この一言です!

 

 「お父さん、俺、部活は野球に決めたよ」

  

 これまでサッカーをやると言い続けてきた10郎の180度変わった発言に驚きました。

 野球に興味を示してほしい父は、サッカーの試合を見るたびに「ほら、サッカーは外国人のためのスポーツで日本人には向いていないんだよ」「あんなにヘディングしていると頭悪くなるよ」などなど、サッカーファンが聞いたら激怒しそうな(笑)マイナス要素をさんざん植え付けてきました。さらにハリルホジッチ監督の解任騒動や大相撲の暴行問題まで持ち出して「相撲もサッカーもしょうもないなぁ。やっぱ野球だな」などと、清原騒動や八百長事件を忘れたかの如くプロ野球を礼賛しました。それでも、父に似て意固地の愛息は「俺、サッカーするって決めたんだよ」と我を張っていたのです(実は丸刈りにするのが嫌なだけでは?とも見抜いていましたが)。

 そんな折、野球の聖地にわたって大活躍する大谷のニュースがこれでもかと流れはじめました。父は「かっこいねー」「あの球、早いね」「すごいホームランだ」と徹底的にほめ続けたのです。知らんパーしていた10郎ですが、「オオタニサ~ン!」と叫ぶメジャーリーグの実況中継を耳にするにつれ、次第に自分で紙ボールをつくり、父に投げつけるようになったのです(暗示成功!)。

 とはいえ、野球人気は低迷しています。新聞によると、全国の野球少年の数はサッカー少年の数より7万人も低いようです。愛息の興味がそこに向かうことはほぼ絶望的だと思っていました。それならそれで、本人が決めたことをさせてあげようと心に決めていました。

 そんな中での「俺、野球やる」発言。父は本当にうれしかったです。これまでに妻や妻方の父の暗示(守備位置を紙に書いてわかりやすく説明)も功を奏したようですが、なんといっても、大谷の姿をかっこいいと思ったのが決断の理由だったはずです。20歳も年下のオオタニサンに感謝です。

 もちろんプロ野球選手になってほしいなどとは思っていません。純粋に、野球というスポーツで、団結力、そしてここぞというときには、それまで自分が積み重ねてきた努力しか頼れないんだという自立心を学んでほしいのです。

 冒頭の写真のとおり、早速メイクマンでグローブを二つ買いました!(8郎も数年前に紛失していたので)。

 

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 数年後の10郎へ。お父さんのグローブに対する思いをここに書いておきます。

 お父さんは小学校4年のときに、友達を追うように、少年野球チームに入りました。でも、当時お父さんの家は母子家庭、母親が連れ込んだチンピラとの共生生活。水道光熱費や給食費も滞納する悲惨な生活でした。そんな中でも野球をかっこいいと思うだけの少年の心はありました。

 でも現実は残酷でした。

 グローブは人からもらって用意できたものの、使い古しでボロボロ。速い球を受けるとものすごい激痛が走りました。からかい半分で8郎のグラブを使った先輩に「これ手袋か。お前よくこんなのでやってるな」と笑われた悔しさを今も忘れません。

 さらにユニフォームやスパイクなど買うお金など当然ありません。つまり公式戦に出場することも不可能なのです。自分より明らかに下手なやつらがピカピカのユニフォームを着てレギュラーに選ばれるのを悔しく思っていました。でも8郎は地道に練習を続け、自分でもうまくなっていく実感はありました。上級生より遠くへボールを飛ばすようになり、野球って楽しいと心から思いました。そんな折、A老監督が「上がなくて悪いが。これを使いなさい」とユニフォームの下(練習用ズボン)をくれたのです。練習着がなく普段着のまま練習に参加する少年を哀れんだのでしょう。その後、グローブも貸してくれた記憶があります。当時グローブはまだ高価で、チームといえども予備はない時代でした。

 そんな折、別居状態だった父がふと練習を見にグラウンドまでやってきました。今思えば、「野球を頑張っている息子」を見にきたのではなくて、捨てた子供たちの生活状態と元妻とチンピラの関係など情報を探りに来ただけでしょう。それでも当時の8郎としてはうれしかったです。するとA老監督が父のところに歩み寄るのが見えました。二人でなにか話していました。遠目に見た父のしかめっ面を今でも覚えています。それから1カ月後、父に呼ばれ、ユニフォームを手渡されました。ライトブルーのユニフォームを手にしたときの時の感動は今も忘れません(本当はグローブもスパイクも必要だと言いたかったのですが高圧的な父には言えませんでした)。おそらくA老監督が一言伝えたのだと幼き8郎は直感で分かりました。

 その後、公式戦で初めてレギュラーに選ばれました。しかも先発ピッチャーです(4年生だったのでおそらく2軍試合)。得意なのは打撃だったので意外でしたが、心踊りました(スパイクは持っていなかったのになぜ出場できたのか今でも不思議です)。家族に伝えたものの、母と父はもちろん来ず、姉妹が遊びがてら見に来てくれました。たかだか数十人の観衆でしたが、人生初の舞台に緊張感と高揚感に包まれました。結果はというと、実戦で初めて牽制球にルールがあることを知るなど、さんざん(笑)。ストライクも思うように入らず、試合も大敗した記憶があります。でも8郎の中ではキラキラ光る思い出です。モーションに入るとき、会場の目線を一身に浴びるピッチャーのだいご味を思う存分味わえたのですから。そして今になって気づくのです。それこそA老監督のさい配目的だったのだろうと。

 その後、8郎と野球の関係は突然終わりを告げました。家庭環境がどん底に陥ったからです。借金取りが毎夜のようにアパートの扉をたたき怒号を上げるようになりました。8郎らは兄妹3人で、電気水道も止められた暗い室内で泣きながら震えながら過ごしていました。そのころから、野球の記憶はブツっと切れています。それから2,3年後に母元を離れ、父との新生活を始めることになるのですが、父は野球に時間を割くことを許してくれませんでした。つまり、A老監督の一言がなければ、父はあの時もユニフォームを買ってあげようなんて気はそもそもなかったということでしょう。

 A老監督のお名前も忘れてしまいました。風貌的には、当時甲子園で春夏連覇していた池田高校の名監督・故蔦文也監督に似ていたのを覚えています。いつかお礼をしたいと思っていたのですが、できないまま。年齢的にももう亡くなられている可能性が高いです。この場を借りて感謝を伝えたいです。勝利至上主義のスパルタ監督であれば、8郎はチーム内で居場所すら確保できず、辞めていたでしょう。でもA老監督は勝利より子供の教育を優先していたはずです。夕方の外野守備練習では、暗い部屋での生活で視力が急激に落ちつつありフライが見えなくなっていた8郎のために、必ずゴロを打ってくれました。フライなんか取れなくてもいい、練習に参加しなさい、そういうメッセージだと受け止めました。当時はそういう教育者がまだいました。1年にも満たないお付き合いでしたが、A老監督に対する感謝の念は尽きません。

 あれから30数年経ちました。今でも草野球などで左手にグローブをはめる時、心にこみあげるのは、少年時代の苦しい思い出とA老監督に対する敬意です。 

 

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 長々と、ああだこうだと書いてきましたが、10郎。簡単に言うと、グローブを大切にしろ、ということだ(笑)。

 10郎は「俺はキャッチャーもやって三刀流やるよ」とのたまっています。その心意気やよしとしておきましょう(キャッチボールで身をよけながらボールを受けているくせにです。笑)。

 なんだかんだいいながら、いつの日か、10郎が8郎の母校N高の野球部で4番(守備はどこでもいいっす)を打つ姿を夢みている父心をお笑いください。

 今日はこれにて。