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沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

ウークイが「始まり」

2008年08月14日 | どぅしぐわぁ

 更新間隔がどんどん開いてきているような…いや間違いなく開いてきている今日このごろです(笑)。

 なので猛烈な睡魔と闘いながら、意地をかけてパッと更新いたします(かっちょいいー)。

 今日(14日)は旧盆の中日(ナカヌヒー)。そして夏の甲子園で浦添商業がベスト8入りを決め、熱気にわいた沖縄です。そんな中、ハチローは伊江島に業務出張しておりました。二年ぶりかと。もちろん島の美しい景色を撮影するひまなどありませんでしたが…。下写真は帰りのフェリーから撮影(泣)。タッチューが寂しげですね。さらば伊江島、また来るぜ。

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  下写真は妻に土産で買った伊江島カリー(レトルト)と名物伊江ソーダ伊江島カリーには伊江島牛となぜかシブイ(冬瓜)が入っているのだとか…。正直シブイは入れてほしくなかった、と感じるのはハチローだけではないはず。まぁ食べてみないと分かりませんが。そしてソーダのほうは、正確には買ったわけでなく土産店の方からサービスで頂きました(笑)。あまり売れてないのだろう、と勘ぐってしまう35歳庶民派サラリーマンです。素直になれっ。

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 夜は妻と一緒に、国頭村へ旧盆名物道ジュネーを見学に(下写真)。道ジュネーとは、お盆の夜に青年団が各集落をエイサー太鼓を披露しながら練り歩く行事で、夏の風物の一つです。普段は物静かな集落の夜が、まるでお祭りのように賑やかになりました。道沿いでは老若男女が手拍子をしていました。

 地域の住民が一体となって盛り上がる。祭りっていいですね。ネットの世界では作れませんっ。

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 さて、明日(15日)は旧盆のメインイベントウークイ(お送り)。文字通り、旧盆にあの世から戻ってきたご先祖様を再びあの世にお送りする日です。ハチローも那覇の実家に帰省します。そして都合があえば、どぅしぐわぁたぁとも飲むつもりです。ハチローにとっては、顔も見たことのないご先祖さまや会話したことのない親せきより、同じ時間を共有した彼らと飲んでたほうが有意義ですからねー。

 ヤスーンもとっくに帰省しているでしょう。例年通り、一杯飲むぞ。

 そしてやんばる異動後、初の三連休となるこの週末(喜)。緊急業務の可能性はいつでもありますが、有意義に過ごせたらいいなぁ。

 旧盆は終わりを迎えますが、同時にハチローの三連休が始まるのです! 

 みなさんも、よい週末を。


花火が彩るやんばるナイト

2008年07月20日 | どぅしぐわぁ

Photo_5  久々の2連休でまったりとしているハチローです。抱えている業務の懸念事項はまだ二、三ありますが、これまでの四ヶ月に比べたら多少落ち着いてきた感あり…。後半戦に向けてそろそろ気持ちを休めておかなければ…と、勝手に気持ちを切り替えております。右写真は国頭村辺戸名の「波止場食堂」カツ丼(600円)。辺戸岬ドームに行くダイバーらの間で「頭ほどのカツ丼がある」と都市伝説ならぬ村伝説となっている食堂です。噂どおりの巨大ぶり。ダイビング後ならともかく、とくに体も動かしていない今日このごろ、完食ならず!

 本島最北端の村まで足を運んだ際の思い出として(笑)、オススメです。

 さて、やんばるに異動して早四ヶ月半。これまでUPできなかっったハチローのやんばるナイト(@名護市みどり街)をご紹介します。

 金曜の深夜1時半、ネットサーフィンをしていたハチローの携帯が鳴りました。同年代のTS氏からでした。「飲みにこない?」とのこと。先ほど仕事が終わり、一人飲みぐさぁしているとのこと。もう一度言います。深夜1時半ですよ! 二十代の花金時代ならありえた話ですが…。まぁ、いつもお世話になっている人なので、ハチローも向かいましたよ。さすがに妻も呆れ顔です(当然でしょう)。それから店を二件変え、結局朝の九時まで…。もう一度言います、朝の九時ですよ! ショットバーのドアの隙間から夏の日差しが入り込んできていましたよ(泣)。このTS氏、驚いたことに「よし、P君も呼ぼう」と言い出しました。P君とは、TS氏の相方といえる存在です。TS氏いわく「今日は本土から知り合いのきれいどころが遊びに来ているので名護を案内しています」と返答があったきり、電話を取らなくなっているのだとか(そりゃ当然だ)。「案内はもう終わっているだろう」とTS氏(そりゃそうだが!まだ呼ぶ?)。もう寝てるからやめとこう、といいかけたハチローの胸に悪ハチが現れました。「やつが来たら、わしは帰れるばい」…。あえて止めはしませんでした。数回かけたあげくやっと携帯を取ったP君。「今から来る」との返事(来るんかい!)。そして20分後に現れました! その時の写真です。

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 まるでゴシップ週刊誌のスクープ写真ですね。我ながら、その瞬間をよく押さえたものだ(笑)と思う一枚です。引きつった笑顔のP君(左)に、「遅いよぉ~」とつかみかかるTS氏。そして、そのTS氏の左腕を押さえる店の女性の腕(まぁまぁ落ち着いて、と言わんばかり)。いろんなことが詰まっていますなぁ…。それにしても怪しげな雑誌を持っていますね(笑)。

 飲んでいるとき、話題のつきないとっても楽しい二人ではありますが…。

 ひとのよいP君をいけにえにしてハチローは店を脱出! アルコールで充血した目に、夏の太陽が飛び込んできました(笑)。そして、その店が妻の実家に非常に近いという衝撃的事実に気がつき、見送る女性の手を振り切り、タクシーに飛び乗ったハチローです(汗)。帰宅後、午後1時半まで爆睡したのは言うまでもありません…。そしてあの二人が何時まで飲んだのか、まだ聞いていません。

 こんな生活、やめよう! (笑)

 話を健全な方向に…。

 下写真は19日に妻と見に行った「恩納(うんな)祭り」花火です。ちょうど満月も出ていて、最高のロケーションでした。場所は秘密。ただ会社から無断で借りた三脚の首の部分が不調で、タテの構図に転換することができず(ヨコで撮ったものをタテにトリミングしただけです。泣)。海面に写った花火を入れることができませんでした。同じ構図ですいません。でも本島にきれいな花火でした。時間が短かったけども。妻もミューで一生懸命撮影に挑戦していましたよ。

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 レリーズもデビュー戦合格です。買ったかいがあったなぁ(でも、なくても撮れたような気もしないでもない…)

 さて今日までのんびりし、明日からまた頑張るぞう! 


本当に大切な瞬間

2008年04月30日 | どぅしぐわぁ

 伊是名島から何とか生きて帰ってきたハチローです。ふぅー。なかなかしんどかったですわい。今回はさすがに「時間が空いたらダイブを…」という考えは浮かびませんでした(笑)。業務結果はまぁまぁというところかな。反省点は多々ありますが。

 同日行われたヤスーンの散骨。残念ながら行けなかったハチローですが、Tら~、亀さんから、「無事終了」とのメールをもらいました。みんな、おつかされさん。みんなに見送られ、ヤスーンも喜んでいるだろう。

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 上写真は、伊是名島の水田風景アマサギ二羽(夏羽)が、面白いように反対側を向いていました。ケンカ中のカップルなのでしょうか(笑)。

 さて、ハチロー、ついに購入しました。何かというと、一年間迷いに迷った代物です。それは、UFL-1PTSA-01、そしてPWC-01です。…と横文字の品番ばかり並べても分からないですよね(笑)。

 はっきり言えば、相棒ミューのハウジング仕様の際に取り付けるストロボワイドコンバーターレンズなのです! 

 思い起こせば昨年の五月、自らの誕生日プレゼントにと自ら選択し、妻に稟議を立て(必須)、購入したミュー770SW。この1年間、期待通りの活躍をしてきましたが、やはり水中撮影においては、物足りない部分が多々ありで…。もちろん画角と光源の二点です。今回のアイテム増設により、かなり克服できるだろうと。おヒマな方は、昨年の記事をご参考に!

 ⇒「雨にも負けない小型兵器」07年5月17日記事

 合計6万円ちょい。物価高騰が家計に響く今日この頃ですが、決心しました。手元に届くのはGW明けになりそうです。

 購入を決意した理由は…。

 やはりヤスーンに教えてもらったことが一番大きいんです。ヤスーンに教えてもらったこと、そPhoto_2れは「本当に大切な瞬間は二度と来ない」ということです。けっしてヤスーンが口にして言ったことではありません。ただ、ヤスーンとの素晴らしい時間を過ごした過去、そしてヤスーンが突然いなくなった今、本当に心の底から感じるのです。前回の記事でお伝えしたように、沖展にあるような芸術作品は、何度も撮り直しがきくでしょう。逆に何度も取り直して、完成度を高めていくのかもしれません。「あ、これが足りないから入れよう」「光が不足しているから後日撮り直しだ」とか。しかし「本当に大切な瞬間」というのはそれとはまったく別の話かと。※右写真は伊是名島にある荒廃した展望台から撮影。

 本当に大切な瞬間というのは、訪れた瞬間、もう二度と来ない過去になってしまうもののはずです。そしてそれが真実なのかと。そしてその瞬間を逃さずに捉えたのが、写真なのだと…。構図、シャッター速度、絞り値、色彩、レンズの選択うんぬん、いい写真の条件はいろいろあるでしょうが、それは二の次、三の次ではないでしょうか。

 大切なその瞬間、その場にいて、シャッターを押す。

 簡単なようでとても難しい、撮影者にとって、永遠の課題でしょう。でも最低条件を守ることはできます。その場にいることと、そしてその時カメラを持っている、ということです。

Photo_4   もっとダイバー・ヤスーンを撮りたかった…と今更後悔しても遅いのです。会社から借りたD200という名機でヤスーンを何枚か撮りましたが、すべて引き気味。水中で見せるヤスーンの笑顔というのは撮っていません。この手軽なミューがあれば、撮れたかもしれません。

 話が長くなりましたが(笑)、少ない懐から購入を決意したのは、そういう理由です。最高のバディ、ヤスーンはもういませんが、これから訪れるシャッターチャンスのために、たとえ初心者向けの器材であっても、ハチローは持っていたいのです。最低限の準備を。

 水中では、いつもヤスーンが横にいると信じ、いろんなSCENEを撮っていきたいものです。

 ところで今日の話題と全く関係ありませんが、ビジュアル的に寂しいので、左上写真をUPしました。もう言うまでもありますまい。ハチローが一番好きなそば屋のそば&じゅうしぃセットです。ヤンバル赴任後、当店に自宅から30分でいけることに喜び倍増です。

 最後に、どんなものを購入したか、興味のある方はご参考に(あまりいないと思いますが…)。また別途購入のステップアアップリングなるものが、適合するかどうかも不安。 

 ⇒月刊ダイバー07年10月号「UFL-1特集」

 ※ただし、このストロボの取り付け位置では、恐らくタテの構図が厳しいかと(光が横から当たることになるので。笑)。水中ではタテの構図をよく選択するのですが。もうヨコで撮って、タテにトリミングするという、荒業に出るしかありませんな! 


一つの区切り

2008年04月06日 | どぅしぐわぁ

 昨日(5日)は、ヤスーンの四十九日でした。ハチローも2連休を取り、那覇に向かいました。実家に泊まるのも何なので、市内の格安ビジネスホテル(一泊五千円弱)を予約。生まれ育った街でのホテル宿泊に、不思議な感じもしましたが(笑)。清潔でいいホテルでした(下写真)。観光客や自転車競技の選手らがチラホラ見えました。

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 午後5時すぎ、待ち合わせていたポン先生ミズエと一緒にヤスーン宅へ。ご両親、ご姉弟、ご親戚らが迎えてくれました(お姉さんに初対面)。改めてみると、お母さん、弟さんにはヤスーンの面影が強くありましたね。ミズエも通りすがる弟さんを見て「ヤスーンかと思った」とビックリしていました。席は、ご両親が明るい話題を引き出そうとしてくれたので、和やかな雰囲気に包まれました。重々しくなく、そして言葉は変ですが、どことなくほっとした四十九日でした。何でかなぁ。その場にヤスーンも同席していることを、みんな感じていたのかもしれませんね。写真の中のヤスーンに「これから飲みにいくので一緒に行こう」と心で伝え、ハチローらはヤスーン宅を出ました。

 向かったのは、Tら~がセッティングした那覇新都心の「九兵衛」(ここでTら~Photo_2亀さんと合流)。彼らは前日も二人で来たということ(笑)。ほぼ全席カウンターのつくりですが、新鮮な魚介類とおいしい串焼きが評判だとか。さすが酒通、いや食通のTら~オススメだけあって、確かにいい店でした。ところで、客層はほとんどヤマトンチュ。恐らく新都心にお住まいになる転勤族、リタイア移住族など、住居は沖縄でも、所得は本土並みといういわゆるプチ富裕層かと…。近辺に乱立する高給マンションから徒歩で来ているのでしょうね。うらやますぃぃぃ。「新都心は沖縄じゃない」といわれますが、確かにそう感じますな。悪いことではないでしょうが、寂しいことですね。

 まぁ、入りやすい店なので、今回のように待ち合わせ的1次会には最適かと。Tら~、ありがとう!

※日本酒を試し飲みしたハチロー、そこからちょっと胃の具合がおかしなことに(笑)。やはりまんちゃ~(混ぜる)飲みは控えようっと。

 2次会は道反対のカラオケ屋へと。つい三ヶ月前、ヤスーンと盛り上がった店です。ここで仕事を終えた森ドゥも参戦。下写真は尾崎豊の「卒業」を熱唱するTら~。あの感情移入ぶりは、34歳、いまだ卒業単位を取得するつもりがないのでしょうね(笑)。

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 盛り上がったところで、3次会へと。これまた徒歩でアクセスできる「RADIO」というポン先生熱望の大人向け隠れ家的BARです。※ここで、Tら~。携帯で誰かと会話するふりをして逃亡。最近見られなかった“悪癖”が再発しました(悲)。おいこら、ヤスーンが悲しんでいるぞ。

 下写真は、その隠れ家的ムードを写した一枚です。雰囲気に呑まれたのか、意外に大人の会話(笑)で盛り上がった記憶があります。そういうのもいいね。 Photo_4

 中央の席に、ヤスーンがいたように思えたのはハチローだけでしょうか。

 それにしてもこうやって見ると、写真右の亀さん、セレブ的貫禄が出てきたなぁ。ん、太っただけかなぁ…。さすがに92㌔(あ、ばらしてしまった)は、ピーナツつまんでる場合じゃないよぉ、やばいよやばいよ!(リアクション大王風)

 大人の会話をしたい方は、ご参考に⇒ BAR「Radio」について

 さて、ここではビール(イギリス産)を飲んだハチロー、胃の調子がどんどんおかしくなってきました。ところが、他の4名は「4次会、4次会!」と大張り切り(!)。「80年代の洋楽POPSが聴ける穴場的BAR」(ミズエ談)へとタクシーで移動。閑静な住宅街のアパートの一階にその店はありました(名前は忘れました。誰か教えてくれ)。

 この店内もかなりいい感じ。木の香りが漂っていて、まるで友達の家に遊びにきたようなリラックス感がありました。そして流れるBGMは、34歳軍団にとって、まさに聴く曲すべてが人生観を変えていた思春期まっさかりの80’ヒットチャート! なんだか時間が戻ったような気がしました!音楽ってやっぱり素晴らしいですね。そんな中、店のギターを取り出し、禁断の調弦をやりはじめた基本KYのギタリスト森ドゥ(笑)。懐かしき洋楽POPSのリズムを分断するかのように、ぴんぴんっ、ぽよよぉ~ん、と弦の音が響きました…。下写真が証拠です。※愛機D300で感度3200にて撮影。本当はとても暗めの店内ですよ。

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 眠気と胃腸の調子が東MAX!に達していたハチロー、時計を見るとすでに午前3時半。朝刊配達が行われている時間です。「そろそろわしは中座を…」と恐る恐る口を開きました。するとそれまで、夢見る高校生だった四人の澄み切った目が、瞬時に34歳のどんよりとしたそれ(失礼)に戻りました。「いい夢見てたのにぃ」という批判的な色も多々ありで(怖!)。しかし、ハチローが言い出さなければ、彼らは朝まで飲んでいたかと…。特に亀さんミズエの洋楽論は、とどまるところを知りませんでしたから。みんな、すまそ! 次回は朝までじゃ。

 ポン先生の「あぁ、今日は全部いい店だった」という意見にハチローも賛成です(ちなみに彼は、全店舗が自宅から徒歩圏内。うらやますいぃ)。

 ヤスーンも楽しんでくれたことでしょう。

 みんな、ありがとねー。

 さて、ヤスーンの四十九日が終わり、どぅしぐわぁたぁとも楽しいひとときを過ごした一日、Photo_7何となく「一つの区切り」を迎えたように感じたハチローです。ヤスーンが年に二回帰沖するたびに、頼まれもしない幹事を勝って出て、飲み会をセッティングしてきましたが、その役割もひとまず終わりかなと…。それは決して、飲み会を終わろうというわけではありません(それはヤスーンも望んでいないでしょう)。ただ、勝手に買って出たヤスーン飲み会の幹事を、もう引退させてください、という勝手なお願いです。飲み会に参加しないということでなく、呼ばれる側になりたい!(笑)、という安易な考えからきたものです。ヤンバラーになったということも大きな一因ですが…。中心地にいる人が、やはり幹事をやるべきかと。

 次回からは、連絡を受けて、みんなに会いに戻ってきたいと思います。

 ということで、どなたか次回からの幹事をお願いいたします。逃げ癖のある男、忙しいという理由もあるが基本的にKYな男(笑)は、ちょっと厳しいかと思うので、こまめなポン先生亀さんあたりになるかと…。誰でもいいですが、どうぞよろしく! 連絡を楽しみに待っています。

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 上写真は、ホテルの駐車場で、営巣用の材料確保に精を出していたスズメのつがい。明日(7日)から新年度が始まります。すでに準備を始めているスズメに負けじと、みなさんも頑張っていきまっしょい!


GO! ヤンバル

2008年02月28日 | どぅしぐわぁ

 昨日(27日)は寒かったですね。気温が低いというより、風が強くて体感温度が急降下したといえる一日でした。下写真は、寒さのせいか、群れをつくってえさを探すスズメたち。アスファルトの上にどんだけの食べ物が落ちているんでしょうねぇ。でも強風に負けじと、必死で羽ばたいています。ハチロー、見習うべし。

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 さて夜は、幼馴染のてっちゃんと飲んできました。場所は美栄橋駅下の「串清」。美味しい串焼きとビスビールで人気の小さな人気店です。初めてかと思いきや、入店してみると数年前に営業の先輩に連れられて入った記憶が蘇りました。相変わらず串焼きは美味しかっPhoto_2たです。店内にはきれいな女性二人組みが二組もいました(チラ見で確認)、女性に人気がある店はいい店だといいますね。右写真は酔いも回り、仕事上のこぼれ話を次から次へと繰り出すてっちゃん。決して鬼嫁に怯えるプロレスラーではありません(独身ですから)。

 ご参考までに⇒「鬼嫁に怯えるプロレスラー」

 に、似てるぅ~。

 さて、写真には写ってませんが、酒席には同じく野球メンバーのすすむちゃん、職場が近いというミズエも同席。でも話題は男の職場の話ばっかり・・・。ミズエには悪いことしたかなぁ。次回は別の話題で楽しみましょう!

 建設会社の営業マンというすすむちゃんからは、建築基準法改正談合疑惑に揺れる建設業界の現状を聞きました。営業マンってそういうあおりを一番受ける部署なんですよね。みんな大変だなぁ。

 ところで、すすむちゃんは業界の不況にも負けず、最近カメラにはまっているとのこと。先日、貯めていた小遣いを投入し、RICHOのcaplio GX100を8万円で購入したようです。コンパクトデジカメながら24-72㍉の超広角ズームで、1000万画素のハイエンド機です(詳しくは下を)。触らせてもらいましたが、使い勝手がいい! 「カメラの王道は一眼レフ」というのに変りはないでしょうが、こういう小さくても高性能なものが出てくると、スナップショットにおいては断然有利かと。サッと出てきて、パシャですからね。上のてっちゃんの写真はもちろん愛機D300ですが、カバンから取り出すのにハチローはあたふたと・・・(笑)。

 追記:すすむちゃんは奥さんに「会社の経費で買った」と偽装報告したようです。これだからこの業界は!(笑)

  リコー「caplio GX100」について

 そうそう、大事なことを書き忘れていました。てっちゃんからついに受け取ったのです。われらが愛すべき弱小球団ダンキンズの新ユニフォームを!(下写真)。どうです、かっこいいでしょう? 何でも、王監督の指揮のもと、イチロー、松坂らが大活躍し、見事第1回大会で優勝したWBC日本代表と同じデザインだとか。背番号は希望のがかなわず、これまでどおりの1番(全盛期の西武・秋山に憧れてつけたものの、今となっては恥ずかしいばかり。笑)。しかしヤンバルに行くと、さらに参加率が低くなるであろうハチロー。送別飲み会で渡すところに、エース兼監督であるてっちゃんからの「参加しろ」という無言のプレッシャーをひしひしと感じています(笑)。頑張るけど・・・。

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 てっちゃんよ、忙しい中、ありがとう。ゴルフも覚えて、たまにはヤンバルに遊びに来なさい。俺が那覇に行くよりは、現実的だはず・・・(笑)。

 さて、これから大急ぎで最後の詰め込み作業に入ります。深夜までかかるかと。そして明日、会社にてめでたく辞令交付を受けた後、運送会社とともにヤンバルへ向かいます。※本社勤務はあと2日残しているのでいったん戻ってきますが。

 引越し先のアパートでのネット環境がスムーズに行くかどうか(工事は発注していますが)、多少疑問なので、当ブログの更新が案外遅れるかもしれませんね。コメントの返信が遅れた場合はご了承ください。

 34歳と9ヶ月、庶民派サラリーマンハチロー、自分なりの夢と希望を持ってと二人、北に向かいます。

 

 テルおばぁヤスーン!が、追い風を送ってくれることでしょう。

 いや、とっくの昔から吹いていたのかもしれません。

 

 最後に、迷えるハチローの背中を押してくれた皆さん、ありがとうございました。そしてこれからもお世話になります。

 では、行ってまいります!


35回目の春

2008年02月25日 | どぅしぐわぁ

 昨日(2/24)はテルおばぁ四十九日でした。数少ない親戚が実家に集まり、弔いの儀式に一応のけじめをつけました。ハチローも線香をあげ、遺影の中のテルおばぁヤンバル異動の旨を伝えました。最後のメッセージを忘れずに、二度とない35歳を頑張ります、と。

 その前日の土曜日はヤスーンの初七日だったようです。ハチローは仕事で参列できませんでしたが・・・。四十九日(4/5)は何があってもヤンバルから戻って来るつもりです。

 ヤスーン、君がくれた最後のメールにロックをかけたよ。俺にとっては宝物だからね。帰京前の君が感謝の言葉でつづった文面に、今更ながら泣けてくるよ。  Photo_2 

 さて今日もOFFだったハチロー、引越し作業を一人黙々と続けて・・・のはずが、その前に家事に忙殺されました(泣)。パートに向かう妻の送迎、洗濯二回、炊事場を埋めていた皿と生ごみの片付け、そして夕飯の支度・・・。家事もこなすサラリーマンを目指すハチローですが、さすがにこの時期にこういうことに時間をとられるとなると、本当にストレスがたまります。思わず控えていたビールに手が伸びました(笑)。久々のモルツ、うまかったっす。でも最後まで飲めませんでしたが。

 気付くと、すでに夕方。泣く泣く妻を迎えに行きました。ああ、俺はこの大事な時期に何をやっているのだろう・・・。

 途中で寄った末吉公園ではサクラが散りかけていましたねぇ。夕日を浴びるサクラのアップです(下写真)。もちろんD300で撮影。今や肌身離さず持ち歩いているD300。助手席に置いてあるのを見ているだけでも高揚感につつまれる34歳と9ヶ月です。気分は、伊東美咲を連れてドライブする電車男、といったところでしょうか(笑)。

Sakura

 

 この冬、大切な人が二人も去っていきました。

 それでも季節は巡るのですね。

 沖縄は、もうのようです。

 

 ヤンバル異動を前にいろいろ勉強したいこともあるのですが、その余裕がまったくないのが本当に悲しいっす。さらに、プライベートになるとまったく時間がありません。ヤンバルへ行く前に一杯飲みたい面々がまだまだいる(同じアパートに住む後輩のT.N.、KINKOら大学の友人、他社でありながら色々教えて頂いた諸先輩、その他よく飲む常連さん)のですが、難しそうです(泣)。あ、でもゆっくりできる最後の日になるであろう27日は、ハチローの数少ない幼馴染であるいちどぅしてっちゃんと飲む約束をしております!ハチローの事情で一度は直前キャンセルしたため、今回は必ず行きます。それが恐らく旅立ち前の最後の杯になるかと。

※しかし「いつもの居酒屋は避けようぜ(笑)」とわがまま言って他の店にしてもらったのですが、そこもイマイチ(超失礼!)なので、もうハチローが予約しようかなぁ(笑)。一度行ってみたかった串焼き屋があるので・・・。

 どちらにしろ、楽しんでくるしかないっ。

 てっちゃんよ、美味しいお酒にしようぜ。 

 さ、これから本をヒモでしばる作業に入ります。

 暗いなぁ・・・。


最高のどぅしぐわぁでいてくれ

2008年02月21日 | どぅしぐわぁ

 昨日2月20日、ハチローのいちどぅしヤスーンの通夜が執り行われました。

 霧雨が降る中、Tら~、ポン先生、森どぅ、砂吉、ミズエ、ちぃかぁ、ハチローの7名でヤスーンの実家を訪れました。亀さんは残念ながらシフト上の都合で見送りました(しかし深夜からの供花の手配、本当にありがとう)。

 ヤスーンは棺の中で静かに横になっていました。顔色はすでに紫色になっており、さわってみると冷却用の氷のせいでとっても冷たくなっていました。

 先日のテルおばぁのように「まだ生きているんじゃないか」という思い込みは、全く起こりませんでした。当然でしょう。先月19日に不慮の事故に遭い、それから約一ヶ月も病床での激闘の末、17日力尽き、静かに目を閉じたんです。棺の中のヤスーンに、生命の匂いはありませんでした。

 しかし、ヤスーンを見れば、いなくなったことの実感がわくと思っていたハチロー。間違っていました。

 ヤスーンにもう会えないということが、未だに信じられないのです。なぜでしょうか・・・。

 お父さん、お母さん、弟さんをはじめ、たくさんのご親戚が迎えてくれました。ご両親がとても気丈にふるまっていたのは、連絡をくれたときの弟さん同様、長い入院期間を経て覚悟ができていらっしゃったのでしょう。日頃クールな砂吉が号泣していました。ミズエ、ちぃかぁの女性二人は、家に入る前から泣いてたね。

 ハチローは今までの思い出の写真と、ヤスーンへの心からの感謝の言葉を綴った手紙を 棺に入れました。そして「東京の海は冷たかっただろう。俺達は君と出会えて本当に幸せだった。君の笑顔を見るのが年二回最高の楽しみだったよ。その喜びがもう訪れないというのはどんなにつらいことか。ヤスーン、お疲れ様。素晴らしい思い出を、本当にありがとう」と伝えました。頭はボーっとしていましたが、なぜだか涙は出てきませんでした。

 もちろんヤスーンは何も言いませんでした。

 部屋には、去年ハチローが撮影した真栄田岬でのヤスーンの写真(右)が置かれていましPhoto_2 た。お母さんが言いました。「ハチローさんのことはよく話していましたよ。この写真にはみんなで喜んでいました」と。ハチローは目頭が熱くなりました。あの時、照れながらもCOOLに受け取ったヤスーンが、実家で親戚中に披露し、こんなにも喜んでいてくれたとは・・・。そしてそのヤスーンは今、目の前に物言わず横たわっているのです。

 どぅしぐわぁ一人ひとりがそれぞれの思いを棺の中に伝え、ヤスーンの実家を後にしました。まるでスプレーを吹きかけているような霧雨は、何とも表現しようのないハチローらの気持ちを表すかのようでした。

 そのまま別れて帰る気にもなれず、近くの居酒屋へ。ヤスーンとの思い出が詰まった写真を眺めながら、みんなでしまぁを飲みました。暗くなりがちな場をTら~が精一杯明るくしてくれました。そんな陽気な彼も、まぶたがはれていました。昨晩一人涙を落としたのでしょう。Tら~、お前こそ無理するなよな。

 下写真はみんなが「これいいね」と評した写真。こちらも以前、当ブログでもUPさせていただいておりますが再掲します。さよなら、ていう感じで手を振っている様子に見えて悲しくもありますが、「COOLなヤスーンの雰囲気が伝わってくる」とのこと。この二枚ともハチローにとってヤスーンと過ごした貴重な時間の証拠であり、大事な2枚であることに変りはありません。「かっこいい絵を撮りたい」とヤスーンにお願いをしていた2人の共作でもありますから。会社のD200という高級一眼レフも使用しましたし。

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 しかし、ハチローにとってヤスーン最高のショットは最後にUPする一枚なんです。 

 ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    

 話を戻して・・・。酒を飲み、写真を見ながら次第にこれまでの思い出話へと。ハチローの心にもヤスーンと過ごした数々のSCENEがよみがえりました。

 高校時代からシャイだったヤスーン。ある英語の授業時間(「生きた英会話を」が流行りだしたころだったため)、ハチローらのクラスにも外国人教師がやってきました。大柄な白人男性だった彼は、日いずる国NIPPONの高校生と早く打ち解けようと必死でした。そして一人ひとりに「ワッチュアネイム?」と聞きまくりました。ハチローも聞かれたため答えると「Oh! ユー・アー・ハブロー!ベリーグッゥ」と(笑)。笑いをとろうとわざと間違えているのは一目瞭然でした。そしてその順番がヤスーンにも回ってきたのです。シャイだったヤスーンは顔を赤くしながら「マイ・ネイム・イズ・ヤスフミ」とボソッと答えました。すると外国人教師は大げさに手をひろげ「Oh! ユー・アー・ヤスーン!」と言ったのです。そうです、それが、ヤスーンというその後15年以上も続く愛称を拝命した瞬間だったのです。忘れかけていた淡い記憶が鮮明によみがえりました。

 学校帰りはよく7人で歩いて帰りました。その時もシャイで寡黙なヤスーンは黙りっぱなし。周りのヤツらのギャグを聞いて静かに笑うだけでした。次第に「ヤスーンが笑ったらそのギャグは面白かった」という評価基準までできてしまったほどです(笑)。

 またクラス会のあとの深夜のラーメン屋で一人しぶく「しお」と注文し、食後に一言「うまい」といっただけで、内輪でのそのラーメン屋の株が上がったこともあります。

 中学時代は野球部だったらしいので、一緒にバッティングセンターにも行きました。しかしフォームとスイングスピードはいいのですが、なかなか快音が聞かれず。ハチローが「どうしたヤスーン?」と聞くと「ボールが見えない」とポツリ。かなり視力が悪いことを誰にも言ってなかったようです。それでも何も言わず黙々とバットを振り続けたヤスーン(笑)。友達との付き合いに自分の事情を持ち込みたくなかったのかな。彼らしいといえば彼らしい思い出。 

 高校を卒業すると、ヤスーンは急に音信不通になりました。物静かだった彼だけに、急激にその存在は薄れていきました。ハチローも宅ハチローだったころで、「市内の古本屋でバイトしているのを見た」という情報が入ってきたのみでした。二浪して地元の国立R大学に入学してから「ヤスーンは一浪で合格し工学部にいるらしい」という話を聞きましたが、学費を稼ぐためにバイトに明け暮れる毎日だったハチロー、結局在学中の四年間一度も会うことがありませんでした。そして「ヤスーンは別の目標があって3年次で中退したらしい」ということを風の便りに聞いたのです。

 1999年、現在の会社に入社したハチローを待っていたのは、新入社員を震え上がらす営業ノルマでした。血縁の強いここ沖縄にとって、営業ノルマなんて本人の努力よりも親戚の数で達成率が決まってきます(笑)。育ちのいいボンボンほど左うちわで肩で風切って歩ける社風なんです(悲)。片親でしかも県内にいとこすらいないハチローにとってそれは大変な壁でした。もう友達を頼るしかない、と卒業アルバムの住所録をめくって電話攻勢にでました。その時、初めてヤスーンの実家にもかけたのです。ヤス母は言いました。「残念だけどヤスフミは今沖縄本島にはいないのよ。西表島でダイビングガイドをしているの。携帯番号教えるからかけてごらん」と。ハチローはビックリしました。あのシャイなヤスーンが離島でガイドをしていると! 国立大学を中退してまでやりたかったことはこれなのか、と。

 早速かけてみました。ほぼ6年ぶりに聞く声は、照れくさそうに笑っていました。本島でダイビングガイドをやっていたが流れ流れて西表島までやってきたと。小さいショップで大変だが、何とか頑張っていると。ハチローの脳裏にはヤスーンの笑顔と西表島の大自然が浮かびました。「今度の夏休み遊びに行くからよ」と約束をして電話を切りました。結局ノルマは達成できませんでした(笑)

 そして2000年か01年の夏、ハチローは一人西表に旅に出ました。初の石垣、そして初の西表。旅疲れのハチローを迎えてくれたヤスーンは高校時代とは別人のようでした。茶色いアフロヘアーに小麦色で筋肉質の体! 高校時代「星の王子様」と呼ばれていた品のよさが消え去り、西表でつちかった野生の匂いがプンプンしていたのです。当時、体重がリバウンドし85㌔あった新人サラリーマン・ハチロー、わが身を恥じました(笑)。 

 その日一日、楽しかったよ、ヤスーン。カヌーでマングローブ流域を上り、沖縄最高の滝ピナイサーラまで行ったね。滝をバックに野郎二人で記念撮影をしたね。ショップに戻ってからは客のいないフロアーでビールを飲んだなぁ。そして「いつかTら~なんかとみんなで来て、店ごと貸し切るからよ」と出来ない約束までしたね(笑)。

 その後、ヤスーンはそのショップも退職し、本格的に潜水作業士の道へ。やはり性格上、ハイテンションで来る観光客の相手をする接待業務につかれていたよう。君は、安っぽいお世辞を言える性格ではなかったからね。

 西表での再会をきっかけにヤスーンとハチローらの交流も復活しました。下写真は貴重なレディースも揃ったいつかのビーチパーティー。ミィーも写ってますね。

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 そうそう、このときヤスーンは潜水作業で指を骨折したまま帰沖。ふくれた指にみんな絶句したよ。そしてヤスーンの誕生日が近いこともあって、みんなで救急箱をプレゼントしたなぁ(ポン先生が「俺の方が誕生日近くね?」とぼやいていたのを思い出します(笑))。そのころから、潜水業務の危険さをみんな感じてはいたんだけどね・・・。

 ヤスーン、本当に楽しかったよ。一枚一枚の写真に数え切れないほどの思い出が詰まっています。 

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆

 ヤスーン。君に謝りたいことがあるんだ。二つある。

 一つは4年前のハチローの披露宴のときのことだ。ヤスーンにはぜひ出席してほしくて前々から航空チケットを郵送していたね。ヤスーンも「喜んで出席する」と言ってくれてた。でも披露宴のまさに前日、君から電話が・・・。「ハチロー、ご免。いけそうにない・・・」と。俺は本当にショックだったよ。というのも、言い訳になるが、披露園前日の新郎というのはすべてのゴタゴタを背負っていてストレスもピークの状態ではある(ここまでは完全に言い訳)、さらにその1時間前に会社の同僚からも「明日やっぱり行けんやっさー。ご免なぁ」というアホな電話を2,3件も受けて怒り心頭に達していたハチロー(出席可否も確認したのに前日に言うなどアホ。席代として祝儀を渡すのは最低限の礼儀だろうが。お前らは社会人失格じゃ)。そんな状態ながら「明日までの我慢」と自分に言い聞かせていた矢先の君からの電話だったんだ。まさか、ヤスーンまでもが・・・と、俺はもうショックでショックで声を出すこともできなかったよ。君は言ったね「同僚が突然の事故死で俺がどうしても現場に入らなくちゃいけないことになって・・・」と。「分かったよ。ヤスーン。そんな事情なら仕方ないが、本当にガッカリだよ」と俺は言ってしまったんだ。

 披露宴当日、どぅしぐわぁたぁの協力の下、無事宴席を終わらせ、2次会、3次会に移ったころ、君は目の前に現れたね。「ハチロー、遅れてご免。おめでとう」と。目を疑ったが、心の底から嬉しかったよ。代理業務を何とかこなし、急ぎ最終便でやってきたと。ほとんど作業服だったから聞かなくても分かったよ。握手した手も油で汚れていたね。相変わらず笑顔だったが、かなり疲れているのと、どことなく悲しげな目をしていたのを覚えています。

 それから数年たって、Tら~(多分)から聞きました。その時事故死したのはヤスーンの最高のバディだったと。ヤスーンは自分の相棒の事故死という悲しみのどん底にいながら、ハチローに電話をかけていたのだと。そんな彼にハチローは「ガッカリだ」と言ってしまったのだと・・・。

 いつか謝ろうと思っていたが、ヤスーンの笑顔を見るたびに、結局できなかったよ。ご免よ。あの時は、俺が悪かった。自分のことで頭がいっぱいだった小さな俺は、大事な友達の心の痛みに気付かなかったんだ。親友として失格だね。

 でもこれだけは間違いない。あの日、ヤスーンの顔を見て初めて、俺は「やっと終わった」という実感を感じたんだよ。みんなに祝ってもらえた、という幸せを感じたんだよ。ありがとう。

 もう一つは、二週間前のこと。ヤンバル異動が確定してから、早速君にメールを送ったね。ヤンバルは君がかつて働いていたリゾートホテルもあるし、いつかそのショップでダイビングしようと約束もしていたからね。異動は君も喜んでくれるだろうと・・・。でも待てども待てども返信がなかった。「何だよ。ヤスーン、つれないなぁ」と俺は思っていた。昨夜、自分の送信履歴を確認してみたよ。2月7日の送信だった。返信がなくて当たり前だ。

 その時、君はすでに脳死状態で病室に横たわっていたんだね。

 俺は本当に自分のことしか頭にない小さな男だね。君が一人、東京の海中で苦しんでいるときに、俺は自分の人事の話で浮き足立っていたんだ。そして君が一人生死の境をさまよっているときに、メールの返信を求めていた・・・。本当に親友として失格だよ、俺は。

 ご免な、ヤスーン。これだけは謝っても謝りきれないよ。

 いつか天国で逢ったときに、一番最初に、まず謝らせてくれ。

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆ 

 今日21日、告別式に参列しました。通夜には来れなかった亀さんとミスミの顔もありました。そして久々に見るN高生の顔もチラホラ。ヤスーンの人柄を偲び、みんな顔がくしゃくしゃでした。

 ヤスーン、君の弟さんは立派だったよ。遺族代表あいさつでもしっかりと話していた。高校のころ一回見たことがある、あのひょろっとした眼鏡っ子だろ。それがここまで立派になっていて・・・。顔立ち、声、君に似ていたよ(笑)。

 ヤスーン。親友として言わせてくれ。ご両親のことは心配するなと。「親より先に死ぬのが一番の親不幸」という。俺もそれを心配していた。もし、ヤスーンのご両親が泣き崩れて立ち直れなかったら・・・と。でも弟さんを見て安心したよ。年老いた親を守る子としての義務、彼なら大丈夫だ。

 だからヤスーン、何の心配もせず、ゆっくりと安息の地を探せばいいさ。

 通夜のあと、居酒屋でみんなと話したよ。「悲しむだけなら友達じゃないのでは」と。俺達は悲しむだけじゃなく、君と一緒に過ごした大切な思い出を守っていくという義務があるんだとね。それは写真という形もあると思う。でも一番大切なのは、今後もみんなが仲良く集まるということだと。Tら~が強く言ってたよ。飲みたいだけかもしれないが(笑)。でも、それが今までもこれからも一番の理由だよ。もちろん、その場にはヤスーンの席も用意しているからな。

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 でもね、ヤスーン。

 君が海の世界に目覚めたという慶良間の海。今年こそ、シーサーのボートで行って3DIVEして、帰りの船上からビールを飲んで、そのまま焼き鳥屋へ直行しよう!っていう約束。もう果たせないんだね。俺にとっての最高のバディがいなくなってしまったという現実。本当に、本当に寂しいよ。どんだけきれいごと書いても、この心にぽっかりと出来た空洞は埋まらないんだ。俺はこれから誰と沖縄の海に潜ればいいんだい? 海が嫌いになってしまうかもしれないよ。先に逝った君を恨むことがあるかもしれません。

  今頃、涙があふれてきた俺を許してくれ。

 この34歳、鼻水もとまらないよ。

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 ここで、ハチローが撮ったヤスーン最高のショットをUPします(下写真)。カメラは自身最初で最後のフィルム一眼レフ(CANONのEOS KISS α)で、2000年前後の撮影かと。ヤスーン、Tら~、亀さん、ハチローという彼女いない寂しい男4名(当時)でドライブしたときのものです。夕暮れ時バイクに乗るヤスーンを、亀さん自家用車の後部座席から撮影。

 どこが、いい絵かって? ただのアップじゃないかって? 分からない人には分からないんです。構図、ピント、色彩、背景、そんなことどうだっていいんです。

 まず、男4名のドライブでなぜ彼だけバイクに乗っているのか。それはTら~のプチわがままがあったからなのです。不免許ながらなぜかバイクの運転がうまかったTら~。ドライブが決まったときに「ヤスーン!お前のバイク持ってきてぇ。警官の来ない荒地で乗らせてくれ」という彼の破天荒なお願いを断りきれず、ヤスーンは一人だけバイク出動したからです(笑)。確か読谷あたりまで行ったよなぁ。ひどいっ。

 三人が乗る車を一人がバイクで追う。こんなドライブ見たことありませんがね(笑)。でもこの写真は、信号待ちしていたハチローらの車にやっと追いついたときのヤスーンの照れた笑顔、その瞬間を切り取った一枚なんです。ハチローらが年二回会うのを楽しみにしていたヤスーンの最高の笑顔なんです。上の海中写真は、確かにかっこいいかもしれません。でもヤスーンにポーズをお願いした時点で本当のヤスーンではないのです。少なくともハチローらにとって。

 スタンドを立てたまま、国道を走行し(危険!)、それをTら~に指摘された後だっただけに、照れくささがいっそう笑顔ににじみ出ていますね。 

 最高の笑顔を見せてくれたヤスーンはもういない。

 でもこの写真で、いつまでも変らないヤスーンに会える

 間違いなくハチローのベストショットです。

 すべての思いが詰まった一枚だからです。

 Photo_5

  

  新城安史(アラシロ・ヤスフミ) 

  享年36歳(数え年)  職業:ダイバー

  沖縄の海をこよなく愛した生粋のウチナーンチュ

  2008年2月17日 不慮の事故が原因で天国に召される

   

 ヤスーン、俺はしぶとくあと何十年も生きるはず。だから天国で逢うのは、まだ先だな。

 でもいい案がある。寂しくなったら、海の中に来ればいい。

 (陸上だと幽霊だからな) 

 美しいさんご礁の前で、再会できる日を、心から楽しみにしています。

 

 ヤスーン、最高の笑顔と思い出を、本当にありがとう。

 これからも最高のどぅしぐわぁでいてくれ。


会いにいこう

2008年02月18日 | どぅしぐわぁ

世の中にこうも残酷な連絡があるでしょうか。

午後9時をまわり、引越しの準備を着々と勧めているハチロー。

いちどぅしヤスーンの弟さんから、電話がありました。

彼は告げました。

 

「アニキが昨日亡くなりました」と・・・。

 

ハチローは耳を疑いました。

足がふらつきました。

弟さんの低いしっかりとした声が続きました。

先月の十九日に潜水作業中に心配停止の状態で見つかり、

そのまま意識が戻らなかったとのこと。

入院先の病院で昨日(17日)、死亡が確認されたと。

 

ヤスーン、ウソだろ? 

年末年始と一緒にダイビングもして酒も飲んでカラオケも歌ったよな?

その二週間後に命を落とす事故に遭ったっていうのかい?

それから、一ヶ月もの間、意識不明で病床にいたっていうのかい?

そして昨日、息を引き取ったっていうのかい?

これは夢ではないのかい?

 

弟さんの声はとてもしっかりしていました。落ち着いていました。

それはすなわち、事故からの一ヶ月にも及ぶ入院生活で、

弟としての覚悟ができていたのかと・・・。

でも、その経過を5分間で聞かされたハチローは、頭がへんになっています。

 

明後日の通夜に参列しようと思います。

告別式は明々後日のようですが、ヤスーンに会わなければどうしても信じられないから。

 

心の底から夢であってほしい。

ヤスーンがもうこの世にいないなんて、認めたくない。

胸の中がどす黒く変になっています。

 

どぅしぐわぁたちよ。

現実をみんなで受け止めに行こう。

いつもと変らぬ気持ちで、ヤスーンに会いに行こう。 

連絡します。


七人の語らい

2008年01月07日 | どぅしぐわぁ

 6日に東京に戻るというヤスーン!の激例会をかねて5日の夜、新年会を開きました。場所は二転三転したあげく、久茂地川沿いのじぇいやというところに。全然客が入っていませんでしたが(泣)、料理はおいしいところでした。不思議です。参加者はいつもの野郎6名。一番遅れてやってきた森ドゥが例のCDを差し出しました(遅!)。全員分を用意してきたのが、森ドゥの優しいところではあります。その際の記念撮影が下です。受け取るところを撮ろうと思ったら、みんながポーズ(笑)。スナップショットの難しさを感じました・・・。ポン先生、CDで顔を隠しながらも変顔をチラ見させるテク、さすがです。

 そして出ました!右下のヒルズ院長。今日もご機嫌、はっぴ~いぇい! 

Cd

※配布された森ドゥバンド4EDGEのオリジナルCDは、インストゥルメンタルの全1曲入り(少な!しかもモニター表示は5分19秒ながら実際は4分21秒で終わります)ですが、この1曲がとてもいいっす! 完成されたメロディーラインをギターが辿っていき最後までその世界に引き込まれます(終わり方が少々あっけないのですが)。今すぐにでもすぽるとのメインテーマに使えますよ!女子高生などに聞かすのはまったくもって「タラの耳に禁酒宣言」・・・ではなく「馬の耳に念仏」ですな。森ドゥバンドにもっと大人の客層が集まれば、そのよさが分かると思うんですが・・・。ご興味のある方は当ブログメインの勝手にLINKから4EDGEにアクセスを!

 さて二次会は久々に桜坂のエロスへ。そうです、亀さんがでっぷり、いやどっぷりハマっているレトロ調のBARです。細身でスタイルのいいお姉さんがいました。そうか亀さん、なるほどねぇ、みずくさいなぁ・・・・。下写真はエロスのカウンター。雰囲気を感じていただければ。

Photo

 オシャレなBARでも飲むのはやっぱりオジサンの酒菊の露ブラウン。水割りをまったり飲んでいるところへ、Tら~が衝撃の一言を放ちました!それはハチローにはまさに幻聴のように聞こえたのです。

 砂吉(すなきち)が来るってよ」

 「はぁ?砂吉ぃ?」 みんなが目を点にして聞き返しました。砂吉はこの場にいる6人と同様、N高の同級生。高校時代はいつもつるんでいた男です。※その当時の語りつくせぬ青春の日々♪はこの過去記事をお読みください⇒「開けない革の表紙」07/10/16記事

 中流もしくは比較的裕福な家庭に育った他の5名(まぁ人様の家庭事情は外からは分かりませんが)に対して、そういう意味ではいつも重度のコンプレックスを感じていたハチロー。勝手ながら唯一、同じ匂いを感じていたのがこの砂吉でした。貧乏くさい、という意味ではありません。いやそれもあります(笑)。「世の中が本当は汚ねぇってことを俺はいっぱい見てきたんだよぉ」的なある意味の屈折感、嫌世感などが体からにじみ出ていたのです(笑)。本当に勝手なハチローの印象ですが、彼は独特の存在感でした。※下写真はTら~撮影の桜坂。雰囲気でてますなぁ。勝手なトリミングお許しください・・・。

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 しかし二十歳を過ぎてから徐々にその存在感が薄くなり(本土に行ったとか、那覇市内に引きこもっているとか情報が錯綜)、ハチロー的にはかれこれ7、8年くらい会っていませんでした。Tら~だけが何度か音信をとっていたようです。

 そんな砂吉が今日この新年会に飛び入り参加するというのです! 会える嬉しさ以上に「生きてたんだ!」という安堵感の方が大きかったのも事実(笑)。

 亀さんに案内されて入ってきた砂吉「いったぁよぉ(お前たち)、で~じ久しぶり」とごくごく本当にごくごく普通の挨拶をしました(笑)。意外にもスーツ姿で右手には黒いカバン。高校時代からは想像できない普通のオッサンになっていました(笑)。そのいかにもなネクタイ姿が「まるでM-1用の衣装だ」というのはハチローと亀さんの共通した意見。しかし、三十路をすぎ顔の輪郭が多少たるんできているものの相変わらず贅肉はついておらずひょうひょうとした雰囲気はそのままでした。数年ぶりの再開は淡々としたものでしたが、砂吉、会えてよかったぜ!あの時の七人が下町のBARで勢ぞろいするなんて・・・オジサンの酒菊の露ブラウンがとても美味しく感じました。

 下写真は実は中学も一緒だというヤスーン!とのツーショット。もちろん、やらせ写真ですが「中学でも肩くんだことないぜ」という二人、この笑顔ならやらせもアリですね。Photo_2

 そして下が、スタイルのいいお姉さんに撮ってもらった「あんときの七人」です。みんなすっかりおっさんになりましたが、会話の内容は15年前授業をさぼりすーぅじぐわぁ(細道)でゆくっていたあんときと同じでした(笑)。

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 さて、3次会はお決まりのカラオケへと。下写真は途中いきなり占いをしてもらうTら~。いったい自分の何を知りたかったのでしょうか?気になります。

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 ところで占い料は2000円だとか・・おいおい5分で終わっただろう!(時給を計算すると2000円×12=24000円!)。寒い中、大変な職業だと思っていたら、一発当てるとなかなかのビジネスかもしれません。Tら~よ、ちみがその「一発」になったのかも(笑)。ハチローに頼めば200円ポッキリで「休肝日を設けないとそのうち大変なことになるでしょう」とだけ言ってやるのに・・・。※占い師は写真を撮っても嫌がらない穏やかなお姉さんでした!

 カラオケはやはり往年のヒット曲でフィーバー。Tら~が歌う「夏の終わりのハーモニー」は相変わらずいい曲でしたなぁ(今は冬ですが)。下写真はTら~森ドゥのデュエット。恐らく長渕の曲ですが、ハモるというか「俺の歌どぉ」という自己主張のぶつかりあいだったような気もします(笑)。

Photo_4

 さてさて、7日から仕事というヤスーン! 帰省疲れも取れないまま、今頃は、またどこかの水中で工事をしているのでしょう。でも本部の海よりは暖かいぞ!(笑) 負けるな!

 あんときの七人が久々に飲んだ時、見えないエネルギーをもらったハチローです。

 今年も頑張りましょう!


禊(みそぎ)が必要カモ

2007年12月30日 | どぅしぐわぁ

 昨日、2007年度の仕事を収めました。最後の業務はなかなか芳しくなかったものの(泣)、とりあえず一年の仕事が無事終わりほっとしております。ハチローには「いろいろ考えさせられる年」となりました・・・。皆さんとってはどんな一年だったのでしょうか。

 そして今日は全然進んでいなかった家の年末大掃除! ベランダ、玄関周りを中心に4時間かけて行ないました。まだまだやり足りないのですが、明日はもう大晦日。あきらめてゆっくりしたいと思います。一年の最後の日にパタパタしたくないですよね~。仕事ならともかく。

 下写真は豊見城市の遊水地で撮影したカモ(撮影日は一昨日)。決しておぼれていたわけではありません(笑)。仲良く二羽そろって水浴びにいそしんでいました。野鳥だって年の瀬に禊(みそぎ)をし、一年の汚れを落とすのカモ・・・。Photo

 さて今日はハチローのどぅしぐわぁにしてダイブ師匠ヤスーン!が帰ってきます。4時に空港着というのに、6時から忘年会です(笑)。さて、ヤスーン!はシャワーを浴びてをする時間があるでしょうか(笑)。

 楽しんできます!