ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

現在は半身浴と寝ながら座禅の時に静かに考えています

2015-12-18 03:44:13 | 健康づくり

 現在はまだ座骨の痛みから完全に解放されていませんので、座禅の時のふと浮かぶ雑念を静かに考えることは出来ませんが、その代わりに半身浴の時に、両手を湯船に付けて温まりながら、ゆっくりと汗が出てくるまで、日常的な諸問題について考えるようにしています。

自分の正当性を主張するのではなく、一歩引き下がって謙虚な気持ちで、改めて考え起こすようにしております。 そのように考えていくと、自分の考え方が硬直化していて、柔軟性を失っているのに気がつきます。

その意味で日常的に様々な方々と接触し、刺激を受けることは大切です。 昨日は久しぶりで親しくしている友人と、体育館でレストランを経営している知人のお店で、お昼ご飯を食べて来ました。

マスターは手が空くと私達のテーブルに来て、近況の出来事を中心にして談笑します。 昨日も奥さんのお父さんが天に還った関係で、疲れが出て来ている話をしながら、相続がらみの話をしました。

マスターだけではなく、お手伝いの方たちとのちょっとした会話も、楽しみの一つです。

話が反れてしまいましたが、寝ながら静かに考えることも、楽しみの一つになっています。 ややもすると、いつの間にか1時間過ぎていたりします。


ブログが途切れて来ると友人から心配の電話があり

2015-12-17 11:33:45 | 友人

 仕事に追われてしまうと、ついブログを書く余裕が無くなってしまい、途切れてしまいます。 今、親しくしている友人から、また入院しているのかなあと心配して、電話を頂きました。 有り難いことです。

 

 昨日、ひと段落することがあり、その続きで未だ詰めなければならないことがあり、その前に、溜めていたことを処理していました。

 

 ブログはタイトルさえ決まれば、スラスラと書けるのですが、決まるまでが時間がかかります。 思いつくことは何時もアイフォンでメモしておき、長文になれば、そのままパソコンの方へ送っておきます。

 

 何時もは夜中に考えておいて、深夜に起きたときにタブレットで書き込み、送信します。 ところが寝ながらもふと浮かぶ雑念を考えたりしますので、ザワザワしているときには、タブレットにも打ち込むことは出来ません。

 

 友人から電話があれば、自分の状況を考えずに、相談に乗ったり一緒にお昼ご飯を食べたりします。 痛みだしてから6ヶ月は経過したものの、相変わらず坐骨の状況はちょっぴり良くはなったものの、歩く姿は痛々しいに違いありません。

 

 そんな状況にあっても、気力は充実しています。 不思議な感じがいたします。


なぜ 長く吐く呼吸を行うかではなく先ず行ってみる

2015-12-14 03:16:04 | 逆腹式呼吸

 私自身は大学の級友の呼びかけがなければ、長く吐く呼吸も座禅も生涯、縁が無く過ごしたことでしょう。 然しながら幸いなことに何も分からないままに、無我夢中で行っていた深呼吸の要領で行う、長く吐く呼吸、吐く息を体の中へ吐く呼吸を、真っ暗な部屋の中で、ひたすら1時間行いながら静かに座っていただけなのに、様々なことを私に感得させてくれました。

何故、長く吐く呼吸を行うかではなく、長く吐く呼吸を行うことによって、何かが違ってくる、通常は見えない何かが見えてくるという感覚でしょうか。

何事も一歩前進しなければ、分からないことは多いように感じます。 自分の少ない情報量の中で判断するよりも、頭で考えて判断するよりも、先ず体を動かしてみて、その中で、過程で感じるものを得た上で考えることが、大切ではないかと思っております。

長く吐こうと思えば先ず出来るだけ息を吸うのが、自然の動きです。 空の理念からはじめに吐き出す一般的な腹式呼吸は、私は基本的には間違っていると思っております。

息を吐き出す時に、同時に下腹吐き出す禅宗の呼吸法は、体の自然な生理的な動きから、間違っていると思っています。 

深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸は、生来、私たちが持っていた気感を、取り戻すことができるのです。 大きく息を吸うときには、胸は拡がり下腹は凹みます。 息を吐き出すと、胸も下腹も元の大きさに戻るのが、ごく当たり前の自然な動きなのです。

ラジオ体操の時に行う深呼吸が自然なのです。 ただその時に、大きく息を吸って出来るだけ長く吐こうと、するだけでよいのです。 吐く息を体の中へ吐くことによって、ただで自己免疫力も高まるのですが。


米田健治先生のガンが自然と消えてしまったと思っていたのですが

2015-12-13 05:09:40 | 

 昨夜は、いつものように先生から電話があり、お伺いして話をして来ました。 何となく歩くのが困難になって、好きな映画を見に行くことが出来なくなり、元気がなくなって来ています。

先生は20年ぐらい前に胃ガンになり、胃の一部を切り取りました。 今まで病気の内容については聞いたことはありませんでしたが、奥さんから当時のことを初めてお聞きしました。

胃ガンはステージ4だったそうで、当然血液を通して転移も想定され、その期を境に人づてに聴いた栗山式食事療法を取り入れたそうです。

先ず朝食は食材を煮たり焼いたりしない栗山式食事を摂取しました。 月に12万円かかったアガリスクを10年間飲み続けました。 その結果、いつの間にかガンは消えて行ったのです。

もう大丈夫と思ってアガリスクを止めたら、大腸ガンのポリープが見つかり、2度に渡って手術で切除したとのこと。 現在では脊柱間狭窄症で歩くのが困難になっているだけで、特別ガン等の病にはなっていないと云います。

少し弱気になっていますが、何時までも元気でいて欲しいと願いつつ、後にしました。


糖尿病で片足を切断するも元気で仕事をしていた方の通夜に参列して

2015-12-12 05:52:13 | 

 昨夜は糖尿病で片足を切断しながらも、元気に日常生活を続けておられた知人が、ちょっと体の調子が悪いので入院しますと云って、私も10日前に電話をしたばかりでしたが、天に還えられましたとの連絡で、通夜に行って来ました。

元々、お会いしたことはあるものの、特別親しくお付き合いがあった訳ではありませんが、何かあると電話を頂き何らかの対応をしていた程度でした。

それが数カ月前にグループホームの計画の協力の呼びかけがあり、年度内の計画であったため、計画中の仕事を一時的に中断して、取りあえず建築確認や建設業者の選定まで、終えたばかりでした。

てっきり入院先は多摩丘陵病院と思って、お見舞いに行ったものの稲城病院でしたので、お会いできませんでした。 その時に何度か電話でお話したのが最後でした。

 通夜の会場は南多摩斎場でしたが、お人柄でしょうが多くの方々が参列されておりました。 何時もであれば告別式には参列するものの、遅れ気味の計画を行うべく通夜だけの参列になりました。


生活保護が簡単に受けられすぎではないかと感じたのですが

2015-12-11 10:48:57 | 社会・経済

 先日、関係する会社の忘年会があり、対面で座られた方が不動産業に勤める人でしたので、現場での話を色々と聞くことが出来ました。

 

 一人住まいの場合の生活保護については、家賃は5.5万円ほどは直接、役所から振り込まれ、その他に食費等で8万円ほど支給されるといいます。 家賃不払いの危険負担がないので、不動産屋さんとしては安定した賃借人になるとのこと。

 

 また4人家族の場合は、家賃についてもそれ相当の金額が振り込まれ、そのほかの生活費としては24万円ほどが支給されるとのこと。 へたな仕事でお給料をもらって生活するよりも、よっぽど豊かに生活が出来るというのです。

 

 色々な法の網を潜って、生活保護を受けるのが当たり前になっているようではないかと、感じました。 本当に厳しい方もおられることとは思いますが、何か変な感じがいたしました。

 

 そんなことを思いながら、朝歩きで知り合ったご婦人の相談を受けるうちに、結果的にその方が、現在、子ども達から離れて一人住まいになって、生活保護を受けるようになったことが、頭をよぎりました。


半身浴のことを教えて頂いた方の会社から電話があり

2015-12-09 04:11:30 | 健康づくり

 滅多に乗らない朝の通勤電車で、座骨の痛みを和らげるように片側に寄りかかるようにしながら、東京の西側から東側へ横断するように、向かいました。

20年ぶりぐらいで伺う自分が設計した建物に事務所を構える方の会社へ、道を思い出しながら向かいました。 建物の姿を見て、直ぐ近くの大きな建物はよく見えませんでしたが、キリリとシンプルで上品なシックなタイル貼りの建物が、以前と変わらぬ感じで建っておりました。

自分の子供に久しぶりで会うような感覚になったのには、不思議な雰囲気がありました。 ディズニーランドに近い建物の一部を、観光客等が宿泊できるような民泊施設に、用途変更をしたいと云う相談でした。

昨日は私に半身浴のことを教えて頂いた方には、お会いできませんでしたが、叉の機会にお礼を云いたいと、会社の方にお話をしてから、現地の建物を見に車で向かいました。


1時間の座禅を継続的に行うことで毎日の生活が楽しくなるー2

2015-12-08 06:18:57 | 健康づくり

 私のスタートは、気功の静かな功である静功ですが、静かに胡座を組んで意識を集中して座り続けるという意味では、座禅と基本的には変わらないと思っております。 また瞑想という言葉についても、変わらないものと感じています。

時とすると禅宗のお坊さんで、座禅と瞑想は違いますという方もおられるようですが、仏教は御釈迦さまの瞑想から始まったということを想えば、何をか言わんやです。

私は真っ暗闇の自宅の部屋で、肩の力を抜いてリラックスし、頭のてっぺんが天から引っ張られるように上体を維持し、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸を通して、体が微妙に変化するのを感じ、それをまた楽しむようになったのです。

毎日ただ静かに1時間座っているだけが楽しいのですから、動きのある昼間の出来事は、どんなことが起こっても楽しく感じるようになったのです。 勿論、歓迎されないようなことも起こるのですが、それも深夜の1時間の座禅の中で、ふと浮かぶ雑念の中でどう考えるべきかを考えていると、どこからともなくサジェスチョンがあり、良い答えが見つかるのです。

 


下血はあるものの寝ながらの大周天で充実しているんですが

2015-12-07 09:10:45 | 健康づくり

 S状結腸にある10箇所ほどの憩室の影響で、下血を繰り返してはいるものの、病院でベッドに寝ていることもあり、自分的にはすこぶる元気でした。

 

 上を向いて寝ながらも、毛布を足から胸まで掛けて、足を少し開き手を軽くむすんでいると、自然と体中の気が循環し始め、ある意味では大周天していて、足裏も手のひらもビリビリと気が充満してきます。 時として病室では比較的温かでしたので、足先を毛布から出して寝ていました。

 

 大周天は本来、足が大地にあり、体は宙にあるほうが理想的な姿ではあります。 然しながら次善の姿としては、寝ながらもやむ終えないのです。

 

 体が何かに触れると、そこに気が流れてしまうのです。 私は、いつも寝る姿は、両足は離し、両手は体から離して寝ます。 布団の上に手を置いても、布団を通して気が流れ、熱くなって熟睡できなくなってしまうのです。

 

 我が家に帰っても同じように、まだ深夜の座禅は行われてはいませんが、心身の気は充実していて、元気ではあるのです。 決して空元気というわけではありません。

 

 私は、私自身を何時も優しく見守ってくれている方が、おられるように感じていますが、時としては厳しく対応されているのではと、感じることもあります。 それは自身の所業の結果なのですが。


多摩の樹木の写真集を出すという伊倉さんから電話があり

2015-12-06 03:25:41 | 友人

 友人の伊倉雅晴さんは、多摩市の樹木の写真を撮り続けて、分からないことがあるとグリーンライブセンターに行っては、また図鑑を見ながら相談し、樹木の名前を確定しては更に写真を撮って来られました。

そんな伊倉さんから昨日、電話があり是非とも会って話がしたいとのことで、豊ヶ丘4丁目バス停近くにある遊夢で、お昼ご飯を食べながら話をしました。

私のブログを読んでいて、その中で書いてある病状についてセカンドオピニヨンの必要性や、独自に調べてくれた内容について話してくれました。 有り難く聞きながらも更に近くに住む友人も呼んで、久しぶりで3人で会話を重ねました。

楽しい話を後にしてひと足先に、掟上今日子の備忘録のロケを行っている事務所の建物へ向かいました。 聴けば来週の土曜日に放映されるといっていましたが。