ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

座禅はお坊さんのものだけではありません

2008-05-07 06:47:25 | 座禅
 体を動かすフィットネスやスポーツジムなどでのスポーツは、企業化しやすいせいか、街のあっちこっちで見かけることが出来ます。 私自身が激しいスポーツをやってきた経験からも、体を動かして汗を流すことも、健康維持には大切ですが、それ以上に心を鍛え脳に活力を与える座禅(静功ー瞑想)は、もっと大切ではないかと、いつも座禅の雑念の中で感じます。

 体を動かせば自然と目に見える形で、筋力もつき贅肉も取れますので、取り組みやすいことは現実です。 かたや座禅は、自分の意志がなければ、胡座を長時間組むことも、なかなか出来るものではありません。 いくら体にいいですよ、心と脳を鍛えますよと言ったところで、自らが感じにくいものですし、具体的に現れるものが、感じにくいものなのです。

 禅宗のお寺のお坊さんは、お坊さんになるための過程で、座禅を行います。 しかしながら、座禅の本当の良さをお坊さん自身が感じたならば、多くの禅宗のお寺では、自らも毎日座禅をし、出来るだけ多くの地域の人々にも、座禅に取り組んで貰うべき、一緒に早朝、座禅をしませんかと、問うのではないかと思っております。

 私の近くの禅宗のお寺で、座禅会をやっているところを、ネットで検索したところありました。 1件は曹洞宗のお寺で、お葬式にも行ったことがあるお寺でした。 1ヶ月に1回、土曜日の午後でしたので、早速電話してみました。 少し離れた所にあるお寺のお坊さんが、導師としてこられると言うことで、そこのお寺のお坊さんではありませんでした。

 もう1件は、臨済宗、黄檗宗の関係するお寺で、毎朝決まった時間に座禅会を行っていて、そのほか月に1回日曜日の早朝に、誰でもが気軽に体験できるような座禅会があります。 驚いたことに月に1回、土曜日の午後2時から翌日曜日のお昼の12時までの座禅会も、開かれるとありました。

 私自身の座禅は、自分の健康問題から出発した気功での静かな功ー静功ですが、理論よりも体の方の変化が先行してしまって、後から本を読んで、ああこういうことだったんだと、理解するのが精一杯でした。 従って、何故、禅宗では目線を薄めにした上で少し前を見なければいけないのか、座禅の作法については疑問とすることが、多々あります。 きんきんにお寺を訪ね、座禅をする中で色々聞いてみたいと思っています。

 胡座を組んで座禅(瞑想)する良さを知れば(知る機会がないし、非常に難しい)、きっと率先してみんなが取り組めると、思うのですが。 只管打座ーただひたすら座禅をするーは大好きな言葉です。 理屈ではありません。 理屈は座禅する中で、後から自らが感じるものなのです。