ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

眠くならない為などの消極的な理由で半眼になるのではありません

2010-06-08 08:46:16 | 座禅

 座禅の仕方(作法)について改めて禅宗のHPを見てみると、呼吸の仕方に違いがあるようです。曹洞宗でははじめに腹の底から、大きく息を吐き出した後は、普通呼吸を行うようになっています。 他方、臨済宗・黄檗宗は、吐く息を長く吐くとあります。

 曹洞宗の普通呼吸で座禅を行おうとする時、一般的にはすぐに眠くなったり、雑念が沸いたりします。 眠くならないため、妄想を抱かないために、半眼にすることには意味があるようには感じます。 然しながら、普通呼吸で初心者が座禅を行おうとするときに、どのように座禅に意識を集中できるかは、とても難しいように思います。

 臨済宗・黄檗宗は、下腹の丹田を意識しながら、息をゆっくり吐くことにより、吐く呼吸にのみ意識を集中しやすく、したがって座禅に集中できる可能性は、私達には理解できます。 半眼にする意味は、曹洞宗と同じような意味合いがあるようですが、私自身の経験からは、吐く息に集中しさえすれば、決して眠くなったり妄想が沸いたりすることはありません。

 座禅の時に半眼にする理由の一つとして、お釈迦様が菩提樹の元で瞑想を行っていた姿を、お弟子さんたちが見ていて、半眼の考え方が出てきたという説もあるようです。

 たまたま私は、いつも暗闇の中でいつも1時間の座禅を、10年近く行なってきましたが、その間、半眼にするとか目を瞑るとか、余り意識したことがありませんでした。 たまたま、ネットで毎日座禅会を行っている近隣市のお寺に、どんなお坊さんがされておられるのだろうかと、感心しながら参禅した時に、いち早く和尚さんから、半眼にしなさい、結跏趺坐にしなさい、と注意をされて初めてその違いが分かったのです。

 そのとき、月に1回の日曜日の朝の座禅の会でしたが、その間中ずっと、何故、半眼にしなければならないのかを、雑念の中で考えていました。 そのときに感じたことは、吐く息に意識を集中しさえすれば、目を瞑っていたとしても、眠くになったこともありませんし、雑念のオンパレードになったこともありません。 

 そんな時、目は半眼にするのではなく、力が抜けた状態になったときには、目は自然と半眼になるのではないか、ということを考えるにいたりました。 私達がこの世から去り天に帰るときには、全ての力が抜け下々のものが、全て排出されますが、目もそのときには半眼になるのではないと考えたのです。 座禅を行い深化の過程で、究極的に力が抜け、目も自然に半眼になるものと感じたのです。


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2 コメント

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集中力が (マーベリック)
2010-06-09 11:58:32
今日も午前中、(仕事柄昼出勤の事が多いため)座禅を1時間試みました。

しかし3歳の子供がとなりで元気な気を
撒き散らしながら騒いでいるのでまったく集中できず、
雑念のオンパレードでした。。。

気づいたら吐く呼吸に集中するようには
したのですが、何度も薄目を開けて、
そろそろ一時間たったかな・・・というのを
繰り返すような、完全に仕事的な状態に
なっておりました。

今後は子供が寝静まった時を見計らって
座りたいと思います。
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余り硬く考えないでください (龍之介)
2010-06-10 06:46:19
 私は、座禅を始めた当初、テレビの前で胡坐を組み、目を瞑って音を聴きながら、逆腹式呼吸を行っていました。 普段のあらゆる時間を利用して、呼吸法の練習を行っていくことは、決して無駄にはなりません。 隣の部屋でのテレビの音がもれ聴こえる中で、1時間の座禅に集中もしてきました。 余り形にはめなくてもよいのではありませんか
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