昨日のブログの続きになりますが、順腹式呼吸を行なっている方は、臍下丹田が気の呼吸を行う中心であるということを忘れ、目に見える臓器と同じように考えてしまっているように、思えてしかたがないのです。
禅宗の呼吸法(順腹式呼吸)では、息を吐く時に、肺からも臍下丹田からも、全て一緒に体外に吐き出すことから、始まると云われています。 ですから胸の動きも下腹の動きも、同じ動きをします。 全てを吐き出すことによって、「無」になる素地をつくるという理念からです。
私は、肺呼吸の吸う吐くの動きと、臍下丹田の気の吸う吐くの動きは、連動しないと感じています。 肺呼吸で吸う時には丹田で気を吐く関係で、肺呼吸で吐く時には丹田で気を吸う関係にあると、自分の体験から思っております。
順腹式呼吸は上記の理由により、丹田が気を吐く時に丹田は膨らみ、丹田が気を吸うときには丹田は凹む関係にあります。
順腹式呼吸は、いわゆる息を吸うときに肺は凹み、息を吐く時に肺は膨らむと同じ関係になってしまうのです。
私は、幸いにも座禅を始めたスタートは、禅宗からではありません。 気功のほうの静かな功―静功でした。 またその時にも、呼吸法のことは一切聞いておりませんし、我流のかつてラジオ体操で行なっていた深呼吸で、ただひたすら吐く息を出来るだけ長く吐く呼吸を、行なっていただけなのです。
逆腹式呼吸を当初から1時間行なっていましたので、すぐにセクシャルなエクスタシーを遥かに超える、崇高な至福感を感得できたのです。 座禅を毎日、日常的に1時間行えるようになったのも、微妙な体の変化を楽しみながら、行なってきたからかも知れません。
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