ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

日蓮宗の成立の時代的背景が他を排斥するのでは

2006-01-16 17:01:44 | 社会・経済
 法華経寺での荒行僧達の方々から加持祈祷を受けましたが、一日経って冷静に考えますと、荒行僧達がそれぞれ100日間の荒行をするについては、大きな声でお経を唱えたり木を重ねて叩いたりするのは、極寒の中で厳しい修行を行うのですから、それはそれで意味があると思います。
 ただし、私達に大勢の荒行僧が加持祈祷する場合は、ある意味ではオカルト的な雰囲気をもようすことになってきます。 私を誘ってくれた方は若い頃3年間、川越の町を托鉢した経験を持ち、托鉢をするきっかけは、結核を治そうとして始めたのですが、またひどくなってしまったので托鉢を辞めた経緯があります。
 6,7年前より参加されるようになったそうですが、そんな過去がありますので、加持祈祷を受けると体が感応するといっておりました。 私は目を瞑り、静かに全てを受け入れるようにしていましたが、どういうわけか百絵が開き荒行僧の方々の加持祈祷する意念が、入ってきたようにもみえます。
 座禅は静寂の中から何かを得るようなものですが、一心不乱にお経を唱えて修行するものとは、ちょっと違うものがあります。 日蓮の本を読んだ限りでは、当時の宗教界を支配していた他宗教の中で、迫害を受けながら生き残っていくには、他を排斥しない限りは生き残っていけないという時代的背景が、あったのではないかと改めて感じることになりました。