セキュリティと避難

2007-10-28 18:54:06 | 建物づくり一般
 
アメリカ・カリフォルニア州で起きている山火事。その映像を見ていて奇異に感じたことがある。
山火事は山林だけではなく、多くの家屋をも焼いている。その被災した建物が、まさに字の如く灰燼に帰し、形体を残していないのだ。
これはもちろん単に山火事の火勢が強かったせいではない。合板主体の2×4工法だからだろう。合板を燃やしたことのある人なら、知っているはず。合板は簡単に燃えだし、よく燃える。おまけに燃えると異臭を発する。接着剤が燃えて出すガス。難燃合板だとさらに臭い。 
軸組工法の場合、普通は骨組の残骸が残る。骨組まで燃えてしまうということは、まずない。

この山火事の場合、事前に火が迫っていることが分り、避難の余裕が十分にあったためか、家屋火災による直接の死傷者はないようだ。
しかし、これが普通の火災だったらどうなるか。詳しくは知らないのだが、彼の地の住宅火災は、燃える速さが早いのではないだろうか。
ただ、救いは、彼の地の戸建て住宅は、面積:規模が大きく、密集しておらず、家の中でも外でも逃げるゆとりがあること。

近年、日本の家屋火災では、従来とは比べものにならないほど死傷者が増えているように思う。高齢の方が被災される例が多いが、しかしそれは単に高齢だからではないだろう。そうではなく、「高齢の人が簡単に外へ逃げ出しにくい」建物になっているからではなかろうか。もちろん、二階建ての二階は逃げ出しにくいが、一階でも逃げ出しにくい建物が多いように見える。

最近つくられる建物は、従来の建物に比べ、圧倒的に開口が少ない。
それは、狭隘な敷地に建つため近隣との関係で開口を小さくせざるを得ないことが一つ、そして、これが最大の理由と思われるが、耐力壁の確保のために、開口が限られる。そして更に《高断熱》、ときには《高気密・高断熱仕様》(その結果、室内の環境は、常時空調にたよる住居が増え、何のための《省エネ》《断熱》か、訳が分らないのだが・・・)。開口は小さく、かつ密閉されている方が得だから、腰付き窓や嵌め殺し窓が多くなり、掃き出し窓は当然少なくなる。
更にその上、建具はアルミサッシになり、複層ガラスが増え、市街地では二重の鍵があたりまえ、ときにはシャッター、雨戸が付く。
それらの建具は、昔のそれとは違って、体当たりで外れるなどというヤワなものではない。
また、昔に建てられた住居でも、気密性の確保のため、アルミサッシに替えられていることが多い。開口部の大きさは最近の建物よりも広いが、簡単にははずれないのは同じ。

つまり、外からの「侵入防止につとめる=中からも簡単に出られない」つくりが増えたのだ。
最近の建物のつくりは、セキュリティと言いながら、いざというとき、外へ出られる場所が少なく、簡単には出られない。
セキュリティとは「安全」のことなのだが、侵入防止という一方向のセキュリティしか考えられていない、ということ。 

火災による人的事故予防のため、火災警報装置の取付けが義務付けられた。たしかに装置はないよりはある方がよいだろう。しかし、開口部が、出やすいようになっていなければ、根本の解決にはならないような気がする。
外からは入りにくいが、簡単に逃げ出せる、そういう機能の備わった開口部・建具を考え出す必要があるのではないだろうか。

ちなみに、わが仕事場兼住居の玄関ドアは、木製で透明の強化ガラス入りの格子戸。格子と言っても1尺角程度(上掲左側の写真)。中が丸見えで、防犯上危惧する人がいないわけではないが、外から中が丸見えということは、中からも外が丸見え。誰が訪れたか、たちどころに分る。だから、悪意を持って訪れるには、どこからか見られている気分になるから《勇気》がいる。
では、普通の人は訪ねにくいか、というとそうでもない。むしろ、拒否される感じがないらしい。他の場所の開口も、覗こうとすればどこも覗ける。これも逆に、覗こうとする者がいれば、中から見える。つまり、用がなければ、立ち寄りにくく、用のある人を拒否しているわけでもない。
大分以前から、そういう設計で済ませてきている(上掲右側の写真)。何のことはない、これはわが国の昔の人の住居のつくりかた。最近の住居のつくりかたは、あえて言えば、常に外敵を意識していた時代の旧習を引継いだ中国西域や西欧のつくりかた。世の中、外敵ばかりになってしまったのか。
日本の住まいは、閉鎖的な空間をつくることから開放的な空間をつくることへと変ってきたことに以前触れた。最近の住まいは、古代以前に戻ってしまったような気がしてならない。

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