“THE MEDIEVAL HOUSES of KENT”の紹介-29

2016-03-20 15:02:15 | 「学」「科学」「研究」のありかた


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空では雲雀が囀り、が庭先まで訪ねてきてくれる季節になりました。春本番です!
しかし、花粉もいっぱい!花粉症で集中力に欠け、先回から大分時間が空いてしまいました。



   Dating of aisled structures

一般に、aisled structures は、全て早い時期の架構法であると見なしてしまいがちだが、遺構を見てみると、(必ずしも全てが旧いわけではなく)これまで観てきた大半の事例は、ほとんどが15世紀になってからの建設であることが分っている。
たとえば、BORDENBANNISTER HALL(下図 fig75b 参照) 類似の ALLENS HILL FARMHOUSE(下図 fig77a 参照) には、Four-centred doorheads があるが、これに似た壁に埋め込まれた束柱を用いていて、同様のFour-centred doorheadsの出入口を有する EASTRYFAIRFIELD HOUSE は建設時期が遅いことが判明している。
   註 Four-centred doorheads :「四つの中心の円弧の集成で描くアーチ型」の頂部を持つ出入口。前回の中ほどに説明があります。


これらの事例は、通常は、crown-post を用いるか、collar-rafter を採るが、WALTHAMANVIL GREENThe COTTAGEfig77b )では、当初の crown-post 形式の屋根(下手側にその痕跡が認められる)が、それに続く部分は、gueen stutswind braces を用いず細身のclasped-purlin 形式の小屋組(煙で黒ずんでいる)に変えられている。この事例の建設年代は確定できないが、16世紀に入る直前又は直後の建設と思われる。
これらの事例のいくつかは、本格的なaisled 形式とは言い難いが、独立の上屋柱がなく、小屋(下屋柱~側柱間の)大梁の上に組まれている。fig77b、77c は、その例である。
   註 queen struts :桁行方向の補強のために、桁行方向の横材(母屋など)と束柱間に設ける斜材・方杖:筋交。
             参考図として fig61 を下に再掲。から母屋にかけて設けられている斜材queens struts
 
     wind braces : 屋根面で、登り梁・垂木相互を斜材で固める方法のようである。下図参照。
             wind braces は、図のように、queen struts 同様、角材と考えられる。
             日本にも小屋組を固めるくもすじかい雲筋交と呼ぶ方法があるが、それに類似か。
             ただし、くもすじかいは、束~束又は垂木下面に厚15㎜程度の薄板を添える簡易な方法で、通常は束柱相互をで固める。和小屋組参照。
             なお、日本では、本建築に斜材:筋交・筋違を使うことは少なく、専ら仮設的使用だった。語彙に見る日本の建物の歴史参照。 
     collar-rafterfig75a のように、rafter:垂木を頂部でA字型 collar :繋梁で結んで固める方法の呼称か。
     clasprd-purlin roof : 前掲のfig75b の頂部のように繋梁上にclasped : 固定した purlin :母屋垂木を留める方法のことか。

aisled structures は、総二階建ての建物にもある。1466年建設の MOLASH にある HARTS FARMHOUSE では、二階建ての cross wing の裏側の aisle :側廊:下屋部分に二階への階段が設けられている。
このようなつくりは、一見、側廊・下屋部分が、主屋の屋根を葺きおろして増築したように見えるが、そうではなく、EASTRYOLD SELTON HOUSE では、single-aisled の軸組(の壁)で暖炉付の二階建ての hallと、通路およびサービス用の部屋とが仕切られている。この形式と細部のつくりは、それが16世紀に入ってからの建物であることを示唆している。
これらが、裏側への増築ではなく、aisled construction であることは、地上階の部屋が前面から背面へ並んでいること、上屋を支える柱が壁に埋め込まれていて二階でしかそれと分らないこと、この二点に示されとぃる。
   註 このあたり、平面図がないので、詳細が分りません。
概して、遅い時期の建物は、規模、形状も小さくなってきて aisled constructionの建物に似てくる。その中で驚くほど規模の大きな上層階級の事例がある。BENENDENCAMPION HOUSE の現在の hall は、改築されてはいるが、fig78(下掲) のように、両側に側廊:下屋があり、2本の身廊:上屋の柱は、下手側の cross wingを兼ねている。

この建物には、前面の crown post で支えられた屋根の下の桁行2間にわたる chamber :居室の下階には、サービス用の部屋が2室ある。その後側に接して、窯場のある厨房がある。その各部のつくりは、1500年代の建設を思わせる。aisled hall そのものは旧いものだが、上屋柱上部の arcade plate:小屋組を承ける桁代りの壁 の位置を示す痕跡などから、現状は、既存の建物に手が加えられたものと考えられる。元の hall の形状を知る手掛かりは何もないが、建物の幅からは、それがかなりの大きさであることが分り、その付属棟の各部のつくりは、建物の用途が多様であったことを示している。ただ、もしもこの類の aisled hall が1500年前後に建てられ続けていたとするならば、他に事例が見付からないのは不可思議ではある。
遅い時期の aisled structure の事例がイングランド南西部の各地で見付かっている。
たとえば、15世紀後期~16世紀初期の建設と判定される事例が、ESSEXSUFFOLKSUSSEX で見付かった。その多くは single aisles であるが、SUFFOLK DEPDEN で見付かった最も遅い時期の事例には、double aisles とケント地域の事例によく見かけるのと同様の spere truss :間仕切小屋組があった。この種の事例は相対的に規模が小さく、時代の新しい規模の大きな事例に比べると、つくりがよいとは言い難く、おそらくある時期多数を占めた事例がたまたま遺ったものと考えた方がよいだろう。
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次回は Jettied construction および Wealden construction の節を紹介の予定です。
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筆者の読後感
日本では、斜材:brace 筋交・筋違は、いわば脇役ですが(この点については前掲語彙に見る日本の建物の歴史に概要を書いてあります)、彼の地では主役の一部なのです。それが、いわゆる洋小屋:トラス組を生み出す根源だったものと思われます。
彼我の「分かれ道」がいったいどこにあったのか、興味は尽きません。


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