日本の建物づくりを支えてきた技術-4・5の補足・・・・渡り腮等の補足図版

2008-08-26 16:07:15 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

先々回、先回の軸組、小屋組の説明のときに載せなかった図版を補足します。

一番上は、「渡り腮」の模型写真と分解図。写真は拡大しないと字が見えない!
「上木」「下木」を模型のように加工し、組み合わせます。模型は4寸角の材でつくってあります。
ただし、これは「折置組」の場合を示していて、「京呂組」の場合は、この上下を逆転すれば同じです。
分解図も「折置組」の例です。

このように二材を交叉させて組む一番簡単な方法は「合い欠き」(双方を同じ厚さ欠き取り組み合わせる)ですが、それに比べて、交叉部に力が加わったとき、欠け落ちる心配が少なくて済みます。「下木」の刻み方:残された断面:を見ると納得がゆくと思います。
なお、「上木」は、「下木」の刻みの両端の15mmほどのところで支えられている、と考えてよいでしょう。「下木」の中央の「山」の部分で「上木」を支えるようにしてしまうと、組み上がった段階で、「上木」の下部に隙があいてしまうことが考えられます。
実際、「渡り腮」で組まれている材をはずしてみると、「下木」の刻みの両端の15mmほどのところがあたっていた「圧痕」:重さを受けていた証:を、「上木」に見ることができます。

おそらく、こういう形体の「刻み」に落着くまでには、幾多の試行錯誤が(もちろん「現場」での)あったものと考えてよいでしょう。
なお、「渡り腮」は、仕事も簡単で(鋸と鑿でつくれる)、しかも有能な「仕口」で、当然現在でも使えます。

   註 この「仕口」については、補強が要求されないはずです。
      しかし、最近、使う人がすくなくなりました。
      外部を「真壁」(柱が見える仕上げ)を嫌い、壁面より外に
      「梁」が跳び出るのを嫌うからのようです。 

次は、角材を使った「垂木」の頂部:「拝み」の納め方:「仕口」と、「継手」の図面と写真で、「法隆寺 東院・伝法堂」の例です。
単純ですが理に適っています。
出典は「文化財建造物伝統技法集成」です(図版に書き込むのを忘れました!)。


次は、一般住居で見られる「小屋組」のいろいろです。
「又首組(合掌組)」と「真束組(おだち組)」は、一見似ていますが、まったく異なります。
「又首組」で「棟木」を支えていながら「真束」を立てる例が多い、と書きましたが、「椎名家」がその一例です。
この建物は、「上屋」+「下屋」方式から一段進んだ方式で建てられていますが、「小屋組」の中央部は「又首組」で、しかし、「真束」を立てています。おそらく補強として立てられているものと考えられます。
「法隆寺・妻室」の妻面も「又首」で「棟木」を支えながら「束」が立っていますが、この場合は、「又首」に使われている材料の大きさからみて、補強ではなく、いわば「飾り」なのではないでしょうか。

いわゆる「和小屋組」は、「又首組」をいわば卒業して到達する方法、「登り梁」は更にその先の応用編で生まれてきた方法と言えると思います。


最後は、丸太によるの「又首組」の、頂部:「拝み」の一般的な納め方と、「陸梁」への「又首」の一般的な取付け方(「又首尻」「合掌尻」と呼びます)の図解です。

続きは次回

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