日本の建築技術の展開-24・・・・住まいと架構-その1

2007-05-20 00:07:11 | 日本の建築技術の展開

 ここしばらく、公家や武家階級の、しかも上層階級がかかわる建物ばかりで、農家や商家、あるいは普通の武士たちの住まいについては触れてこなかった。
 一つには、資料:現存例:が少ないからである。

 現存する住まいで、はっきりと建設時期が分る建物は、1607年(慶長12年)の棟札がある奈良県五條市の「栗山家」が最古という。「栗山家」は、商家で、しかも最上層の住宅であったらしい。

 はっきり建設時期を示す証はないが、現在最も古い建設と考えられているのが、神戸市郊外の山中にあった「箱木家」で(ダム建設で近在に移築・保存)、元禄のころ、つまり1680~90年代の文書に「千年家(せんねんや)」として紹介されており、調査によって、室町時代中期つまり1490年代末から1500年代初め頃の建設ではないか、とされている。
 「箱木家」は農家ではあるが、「地侍(ぢざむらい)」(中世、各地に土着した武士を言う)であったというから、これも上層の住まいである。
 「箱木家」のあたりには、かつて、「千年家」と呼ばれる住まいが他にも多数あったという。

 姫路から北におよそ30キロ、中国山地の一角、兵庫県宍粟(しそう)郡安富(やすとみ)町にも、「千年家」と呼ばれる「古井家」が保存されている。かつて農林業を営んでいたという。
 「古井家」の建設は、「箱木家」よりは遅いが室町時代末(16世紀中頃)まではさかのぼるだろうと考えられている。

  註 「古井家」の平面、断面図は、
    3月17日に、上屋・下屋の説明で掲載している。
    それにしても、なぜ、この地域周辺に「千年家」が多いのか、
    ご教示いただければ幸い。
    

 関東地方では、茨城県新治郡出島村(現かすみがうら市)の「椎名家」が、部材の墨書から、1674年(延宝2年)の建設と判明し、現在、東日本では最古の建物と考えられている。

  註 「栗山家」「箱木家」「古井家」「椎名家」は、
    いずれも重要文化財として調査の上、復原保存されている。

 以上、時系列で建物を並べてみたが、建物の構築技術の進展には明らかに地域差があり、単純に「時系列の記述=建物づくりの歴史」と見なすのは妥当ではない。
 たとえば、室町期は、特に一般の住まいではまだ掘立柱があってもおかしくない頃なのだが(室町時代末1576年:天正4年:建設の「丸岡城」も掘立柱である:4月15日紹介)、「箱木家」はすでに礎石立てで、その痕跡も見当たらない。ところが、東日本では、「箱木家」よりも数等新しい時期に建設された建物でも、掘立柱や土座すまいの例がある。
 したがって、「建物づくりの歴史」を知るには、それらの建設時期を超えて通観して、どのように変ってきたかを見ることが必要になる。そして、最も参考になるのは、建設当初から現在に至るまで(重文に指定されるまで)の変遷が明らかに分る事例である。しかし、そういう事例は決して多くはない。

 上掲の図は、「箱木家」「古井家」および「椎名家」の平面と梁行断面図。同一縮尺に編集。「栗山家」については資料が手元にないので省略。
 いずれも左側が南面にあたる。図が小さいので、拡大してご覧ください。 

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