日本の建築技術の展開-20・・・・心象風景の造成・その5:孤篷庵-2

2007-05-11 00:03:00 | 日本の建築技術の展開

 上図は、孤篷庵の本堂・客殿(方丈)~書院の部分平面図。
 写真は、本堂と書院の接続部につくられている茶室「忘筌」の内外。

 図は、「日本建築史基礎資料集成 二十 茶室」から転載し合成、加筆(筆者)
 写真は、「忘筌東面全景(カラー)」は「原色日本の美術 15 桂離宮と茶室」 「広縁(カラー)」「忘筌西面(モノクロ)」「忘筌・露地(モノクロ)」は「日本の美術 №83 茶室」、「忘筌東面(モノクロ)」は「日本建築史基礎資料集成 二十 茶室」から転載、編集(筆者)

  註 平面図が小さいので、拡大してご覧ください。

 「大仙院」あるいは「竜吟庵」との大きな相違点は、本堂・方丈部分と書院を一体に構成している点である。そして、その接続箇所、「大仙院」では「衣鉢間」(4月29日参照)、「竜吟庵」では「上間北室」(2月24日参照)に相当する場所に、自由奔放に設けられたのが茶室「忘筌(ぼうせん)」である。

  註 忘筌 筌は魚を入れる籠のようなもののこと。
    「魚を得て筌を忘れる」という荘子の言よりとられたと言う。

 茶室と言っても、ここは床の間付き九畳敷きに三畳を付けた書院座敷と言うべき空間。
 この空間の圧巻は、何と言っても西面、書院の南庭に向って開けられた吹き放ちの広縁のつくり。
 ここは「本堂」の「十二畳」の間の西側の、「室中」南側の広縁が西側に回りこんだ「畳縁」の続き、その突き当りの遣り戸を開けるとこの空間が広がる。建物西側に沿った露地からの「忘筌」への入り口である。一説では、舟入のイメージだという。

 この書院座敷「忘筌」は、方丈でのいわば畏まった行事のあと、一服する場所。 書院には別の茶室「山雲床」があるが、そこはより気をやすめて過ごす場所。つまり、方丈よりは気楽で、しかし書院よりは畏まった節度のある雰囲気の場所を、書院への中間点に設けたのだと考えられる。

 方丈からここに歩んでくると、方丈から僅か数メートル、絶対時間で一分も経過していないにもかかわらず、はるかな別の世界へ到達した感を抱く。それは、分棟形式の建物で、渡廊下を渡ることで生じる感覚よりも、はるかに鮮やかな感覚である。
 このような感覚は、書院にある茶室「山雲床」へ赴くべく、庭を歩んでゆくときにも感じる感覚である。僅かに歩んで、はるかな山里へ来たかのごとくに心象が変ってしまうのだ。

 また、当主の居所である書院も、方丈南に広がる庭の続きに面し、かつてのように裏に隠されることもなく、方丈:公的な場と同等の比重が与えられている。現代人の私たちが、この書院でほっとした感覚を抱くのは、多分そのためだ。

 おそらく遠州は、人の暮し方、生活そのものを、ダイナミックに捉える卓抜した感性を持ち合わせていたにちがいない。空間の構成の原理を、人の時々刻々の動きに求めている、と言ってよい。
 だから、ここでは、実際に、日常的に、室内に在り、あるいは庭に降り立ったとき、室内の空間も庭の構成も、それらはともに、それぞれの場所を歩みすぎ、あるいは佇み、また座るときに生ずる心象風景の造成へ向けて、あるいはむしろ、歩みすぎ、佇み、座ることを、そのときどきに、その場所場所において、「触発させる心象をつくりだす作業としての造形」が行われている、と見てよい。それは、単なる格好よい《景観》の造成、視覚風景造成のための造形ではない。
 そして、これが、桂離宮よりもすぐれていると感じる点なのである(あらためて別項で触れる)。
コメント (1)
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