goo blog サービス終了のお知らせ 

九州の地震に思う-3・・・・・被災建物の様態

2016-05-01 11:11:21 | 近時雑感

桐の花が咲いています。

新聞やTVの写真・映像を見て感じたことを記してみようと思います。
現場の実際を見ていませんので、誤解があると思います。その点ご了承ください。

私の印象に残ったことを順不同に書きます。[文言補訂 15.25]

1.古いと思われる建物で、を使い、木舞土塗壁で仕上げた建物、が意外と少ない。
      差物・差鴨居も見かけなかったように思います。
  縦胴縁を設け、筋交い貫板:厚12㎜程度か)を張り、木摺・メタルラス張り・塗り壁仕上げが多いように見受けられた。
  おそらく、1950年代以降:戦後に改築あるいは新築された家屋が多いのではないだろうか。
  旧いと思われる瓦葺き建物に、いぶし瓦が少なく陶器瓦が多いように見受けられた。これも、戦後の改造・新造が多いことを示唆している。
  つまり、建築基準法制定後の建築が大部分である、ということになる。
      かつて(20年ほど前)、熊本大津町の辺りを訪ねたとき、旧いな、訪れてみたいな、と思う集落や建物が少ない印象を受けたことを覚えている。
      これは、瓦屋根の普及が著しいことから見ても、一帯が、「先進地」であるからなのだろうか?

2.新しい建物には、建築面積が小さい総二階建の家屋が多く(ゆえに縦長の立体が多い)、形体を維持したまま転倒している例が多いように見受けられた。
  それらは、基礎ごと転倒している場合、基礎から外れ、土台から上が転倒している場合、の二様があるようである。
  いずれも、一見、架構自体:柱・梁に損傷が生じたようには見えない。
  こういう転倒は、縦長立体ゆえの挙動 の影響が大きいと思われる。
  この挙動を誘発したのは、基礎に建物が緊結されていたからではなかろうか。緊結されていなければ、建物は基礎上を滑ったと思われる。
  かつて、阪神・淡路地震で、淡路島で実際に見た記憶がある布石の上を滑っていた)。
  基礎に緊結されていると、土台より上の立体が、緊結されている土台を基軸にして転倒するのである。どの位置の土台が基軸になるかは、地震次第。
  そのとき、おそらく多くの場合、アンカーボルト部で土台が割裂しているのではなかろうか。
  そして、地盤が軟弱のところでは、基礎ごと転倒に至ることになる。

  なぜ、建屋が形状を維持したまま転倒するのか。
  多くの転倒事例は外壁面に開口部が少なく、多分、一階、二階が同一面で立ち上がり、各面の壁部分が多いからではなかろうか。

3.古い建築面積が大きい二階建の場合(ゆえに、横長の立体になる)、一階部分が破砕し、二階部分がその上に落下している例が多いようである。
  同じく古い平屋建ての場合では、軸組部が破砕し、小屋組が瓦屋根ごとその上に落下している例が多いように見える。
  これは、破砕部分:下部に比べ、その上部の重さが大きく、上部に生じた挙動・変動下部に生じた挙動・変動の差が大きかったことに拠ると思われる。
  しかも、二階部分はおそらく多数の部屋が設けられているだろうから(つまり間仕切り壁が多い)、一階に比べ、立体としての固まり具合が強いはずで、
  ゆえに一階よりも変形しにくい。同じく小屋組は、切妻も寄棟も、下部の軸組部よりも立体としての固まり具合が大きい。 
  その結果、大きな揺れが生じると、変形しにくい上部変形しやすい下部を押し潰す格好になるのだと思われる。
  RCの建物で、いわゆるピロティ形式の一階が潰れている例が多々見られたが、それも同じだろう。
  これらの事例は、端的に言えば、上下が一体になっておらず、いわば積木を積んだような形になっていた、と言えるだろう。

4.建物の耐震とは、地震にともなう挙動を止める:抵抗することではなく、挙動に耐える:持ち堪えることである、とあらためて思った次第です。
  そして、そのための策としては、建物全体を一つの立体架構として考えることが必須ではなかろうか。
  それはすなわち、いわゆる「伝統工法の考えかた」に他ならない。

5.今回の報道でも、地震後も健在の事例の写真、映像が少なかったように思います。
  被災事例、健在事例を同等に(客観的に)扱う報道がほしい、といつも思う。そこから分ることは測り知れないからです。
    人が犬を噛んだならニュースになるが、イヌが人を噛んだのではニュースにならない、という例え話を聞いたことがあります

以上、きわめて大雑把な感想を書かせていただきました。

現地に実際に行かれた方がたの詳しいお話をうかがいたいと思います。

   追記 [5月3日 9.35追記] 
   以前の記事「とり急ぎ・・・『耐震』の実際」もご覧ください。    
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州の地震に思う-2・・・・前震・本震?

2016-04-26 13:39:08 | 近時雑感

柿の若葉が鮮やかです。例年より早いような気がします。

今回の九州の地震では、今までにない頻度で地震が起きているようです(先ほどのニュースでは、今日午前の段階で900回を超えたそうです。
つまり、平均して一日当たり約100回近いということ)。
そのうち、震度7は二回あったとのこと。一回目が、今回の最初の地震。その後は、それ以下の震度がいわゆる「余震」として続き終息に向うのがこれまでの大地震の形。ところが、今回はその数日後、震度7が発生した(最初の震度7の地震よりも大きかったようです)。
その際、私が「?」と思う「解説」が発表されたのです。すなわち、
「最初の震度7の地震は『前震』であり、今回の震度7の地震が(今回の地震:「平成28年熊本地震」)の『本震』である。・・・」
この発表にと思ったのは、私だけでしょうか。

」と「」とに分けるのに、何の意味があるのか?そう私は訝ったのです。
多分、専門家のなかに、大きな地震では、その予兆として小さな地震があり、大きな地震の後には、いわば揺れ残しのような地震:「震」が続くものだ、という「定説」が在るのだと思われます。ほぼ同じ強さの地震が、続けざまに起きる、などというのは、「定説」の「想定外」ということ。
最近になり公表された、同規模の大きな地震が数日の間に発生する、というのは、かつてないこと、稀有なことである、との「説明」が、そのことを証明しています。

私はそのとき、こういう「定説」は、実際に起きている「事象・現象の観察」の妨げになるかもしれない、と思いました。つまり、先入観・予断が、事態を見誤る・・・

もしかすると、私たちの日ごろの行動のなかにも、こういう「思い込み」による判断が多々あるかもしれません。気をつけよう、とあらためて思った次第です。

  

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州の地震に思う-1・・・・「科学的根拠」?

2016-04-21 15:39:18 | 近時雑感

ブルーベリーの花が咲いてます。例年より少し早い。

相変らず一時間に数回、かなりの揺れが続いているようです。気が休まらないと思います。
TVで報じられる様子を見ていて、いろいろ思うことがあります。そのいくつかを書いてみようと思います。

いろいろな専門家が、いろいろと話されています。その中には、私には「?」と思わざるを得ない話が多々ありました。
その一つは「科学的根拠が、あるかないか」というある「専門家」の「発言」です。
それは、今回の地震の震源に近い「川内(せんだい)原発」の稼働を停止を求める各界からの「見解」に対し、「『科学的根拠のない』稼働停止の要請」には、全く応じられない」という原子力規制委員会、委員長の発言です。
この「発言」に違和感を抱いたのは、私だけでしょうか。
新聞等の解説によると、今回「川内原発」が受けた地震の揺れは、「川内原発」の「設計基準」としている地震の揺れの大きさの数分の一に過ぎないから問題はない、ということのようです。つまり、「想定内であったから、支障は生じていないはずだ」ということなのでしょう。
そこに、「稼働停止を求める見解」との決定的な相違点があるのです。

稼働停止を求める見解は、「想定外の事態」が起きることを危惧しているのに対し、
委員長は、現在の「科学・技術」に想定外はない、現在の「科学・技術」においては、森羅万象全て想定範囲内である、と言っているに等しいからです。
言わば、現代の科学・技術に不可能はないということに等しい。
ゆえに、彼らは、「絶対に安全」を「技術」が保証できる」という、とんでもない《信念》を持ってしまっているのです。
いったい、そのような《信念》を抱ける、森羅万象全てが想定内であると言い切れる、その「科学的根拠」は何なのでしょうか
私には、これは、近・現代の「理工系」の「専門家」にありがちな奢りにしか見えません。

先に紹介した「復刻・筑波通信-3」の中で、私は、「絶対的安全を技術は保証できない」と書いています。おそらく、その当時の(理工系の)「風潮」を危ぶんでいたからなのでしょう。
あれから40年近く過ぎます。「理工系」の方がたの「発想」は、今も変らないのです。むしろ更に凝固し、硬化著しい、そのように私には思えます。
私は、この世は、人智の及ばない事象に満ち溢れている、今でもそう思っています。それが「森羅万象」の実相ではないでしょうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被災お見舞い申し上げます

2016-04-16 09:48:59 | 近時雑感
熊本をはじめ、今回の地震被災地の皆様へお見舞い申し上げます。

まだ余震が続いているようです。

震源が、熊本から阿蘇を越えて大分へと移っているとのこと。
日本地図を開いてみたところ、その延長線上には、四国の構造線があることに気付きました。まさか・・・。

かつて設計に係った大津町の「護川(もりかわ)小学校」の様子が気になっています。震度6だったようです。
おそらく現地は慌ただしい事でしょう、問合せするのを躊躇っています。
被害のない(少ない)ことを祈るのみです。

今しがたも、依然として強い地震が頻発していることをTVが伝えていました。心配は尽きません。


   註 護川小学校については、2006年11月15日の「RCの意味を考える-1」以下のシリーズで触れています。
     続きはバックナンバーで検索願います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

RE‐CONSTRUCTION か RE‐HABILITATIONか・・・・・「復興」って何?

2016-02-27 14:27:15 | 近時雑感

夜が白みかけるころ、藪でコジュケイがけたたましく啼きかわす時季になりました。
丘の縁の梅も満開に近くなってます。春は確実に近づいています。


「復興」という「ことば」を、最近よく目にし、耳にします。東北~関東の「震災(地震・津波・原発)」から五年が過ぎる日が近付いてきたからです。
そこで言われ、書かれていることは、多くは「鉄道・道路が復旧した」、「魚市場が復旧・再開した」などの「復興」の姿です。そこに私は違和感を感じています。

たしかに、「復興」について、辞書には「(一度衰えたり壊れたりしたものが)もう一度盛んになること」(「新明解国語辞典」)「ふたたびおこること、また、ふたたびおこすこと」(「広辞苑」)とあります。また、和英辞典で「復興」をひくと「reconstruction、revival」とあります。どちらも「再建」の意が強い。その意味では、「鉄道・道路が復旧した」、「魚市場が復旧・再開した」をもって「復興」と見なすのは間違いではありません。
ただ、これが「字の通りに通用する」のは、地震・津波による被災の場合です。
福島の「原発事故による被災」の場合、外見上はまったく破壊もない場合が多い。家も周りの環境も、外見上は何も変っていない。しかし、人びとを苦しめているのは「目に見えない代物」すなわち、「放射能」。
これは、地震、津波がもたらしたものではない。「何があっても安全だという信仰・盲信」の下につくられた人工物:「原発」が「想定外の事態」によって爆発したのが発生源、つまりまったくの「人為的産物」(しかも、事故が起きれば重大にして過酷な状況が生じるであろうことは重々「承知」されていた、つまり想定内・・・)。
ではいったい、この場合に「復興」とは何か?

この場合には、「復興」という語は意味を為さないのです。
この場合に必要なのは、reconstruction:復興・再建 ではなくrehabilitation ではないでしょうか。
   福島以外も同じですが、特に福島は厳しい。後掲の新聞の特集をご覧ください。
rehabilitationとは、「 habilitation を再び獲得すること」です。habilitation とは、「資格」「能力」というようなニュアンスがあり、英和辞典には、rehabilitation には、社会復帰、復権・・・の意とあり、次いで「復興」の意もある、とあります。
つまり、原発事故の被災者は、単なる外見上の「復興」ではなく、「その地で当たり前に暮す権利の復活」を望んでいるのです。それは、その地で暮す人びとが、その地で暮らすべく、営々として築き、培い、獲得した権利、その復権です。
そして、その意味の rehabilitationは、医療の場合のそれと同じく、本人の意志と、適切な支援が必要なのです。
身体に何か不都合が生じた。医療で外見上不都合は治った。たとえば、動かせなかった手足を動かせるようになった。それで本当に治ったわけではない。それだけで、自由自在に手足を駆使できるようになったわけではない。自由自在に駆使するための訓練が必要です。その「訓練」が、いわゆるリハビリ(テーション)なのだ、と言えばよいでしょう。
   いわゆるリハビリについては、「回帰の記」に私見を書きましたのでご覧ください。
そこでも触れましたが、リハビリには、本人の復権への強い意志と、適切な助言を提供してくれる支援(医療の場合は、療法士介護士などによる支援:サポート)が必要なのです。

ところが、被災地に於いて、reconstruction には熱心であっても、rehabilitation がおざなりになっているのが実情なのではないでしょうか。それでは、人びとの意志も消耗してしまうのです。

かと言って、私に今何ができるか?
せいぜい、実際の情況:実情を間違いのないように知ること・・・。そして知ったことを多くの知らない方がたにも知ってもらうこと。そのくらいのことからしかできない。
一週間ほど前の毎日新聞に、福島の情況を伝える特集が載っていましたので、web 版から転載させていただきます。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三寒四温

2016-02-16 14:41:50 | 近時雑感

庭先の草叢でついばむツグミ。

ここ数日の寒暖の差は、かなり堪えます。昨日と今日は、10度近く差があるようです。
特に、今日の寒さ、と言うか冷えは並大抵ではなく、体の芯まで冷え込んでいます。

しかし、遊水地に氷は張らなかった。おそらく、昨日の温かさで水が暖められていたからでしょう。

朝の仕事場の室温は2~3度。足元に向けてヒーターの風を当てないと、何もできない。ゆえに、このところ、午前中は、ほとんど仕事にならない毎日です(「中世ケントの家々」の紹介の続き遅延の言い訳・・・)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔むかし・・・・「筑波通信」があった

2016-02-10 15:01:07 | 近時雑感
十数年前の引越しのときから放置してあった物品の中に、「筑波通信」の原稿が埋まっていました。

「筑波通信」とは、1980年代、大学教員をしていた頃、ほぼ毎月、私の思っていること、考えていることを、主に卒業生諸兄姉や懇意にしていた知人諸氏に「勝手に」送って読んでいただいていた「通信」です。

体裁は、B5判・左綴じ見開き10ページ前後の小冊子。
まだパソコン、ワープロの普及していなかった時代なので、和文タイプライターで原稿を書いていました(このタイプライターの機械は、今も健在です)。
原稿は、ほぼ5年分ほどありますから、60篇はあります(その後、ハガキによる「筑波短信」をしばらく続けています)。
各回の内容・趣旨は、今このブログで書いていることと大差ありません。と言うより、このブログの前身、あるいは予行演習であった、と言ってよいかもしれません。
あらためて読んでみて、自分で言うのも何ですが、今の文章よりも分りやすい。多分、その話を書くことになったいきさつ・経緯なども端折らずに書いているからではないか、と思います。
  40年近く前なのに、今もほとんど同じこと言っている・・・!この間の進歩がない・・・?

なぜ、こんなことを始めたのか?
その初回の「発行の辞」という一文に、動機の「解説」がありました。今回の末尾に載せます。


そこで、各回の内容を、「復刻・筑波通信」として、このブログで、随時、順番に紹介させていだこう、と考えるに至りました。それは、いわば、私の「軌跡」と言ってよいでしょう。

  これまでブログで書いてきたことと重複することもあると思いますがご容赦ください。

  PDF にして載せようか、とも思いましたが、誤字等の校正の意味も含め、あらためて全文打ち直すことにします。
  誤字の修正、および不要と思われる個所を省く等以外、原文には手を付けません(段落は読みやすいように変えることがあります)。

打ち直しに時間がかかりますので、開始は三月からになる、と思います。

      *************************************************************************************************************************

「筑波通信」発行の辞  (1981年4月6日 記)

大学の教師として、建築をはじめとする我々が具体的に住んでいる居住空間のありかたについて、たとえ信ずることを語ったからといって、それでほんとに十分なことをしているといえるのだろうか。

学生諸君は世のなかへでて、たとえ「ありかた」など説かれたところで現実はそうはいかない、それが現実だ、自らの生活を維持するために「つくる」のだ。おとぎばなしをいったって始まらない、と思っても、少しも不思議でない。
その一方で、そうやってつくられる環境のなかで、自分たちと何の関係もないところで有無を言わせずつくられる環境のなかで、まさに生活せざるを得ない人たちにも会ってきた。その人たちの、まさに「やり場のない」「やるせない」重い思いも見せられてきた。
そういうとき、教師の私が、それこそこの「現実」に対していわば目をつぶり、信ずるところを語ったところで、ほんとにそれでいいのだろうか。それだけでいいのだろうか。
「つくる」人と「つくられる」人の間の接点は、ほんとの意味の接点:共通の世界は、いまやそれをも求めること自体、おとぎばなしなのだろうか。

筑波にはや五年、都会の雑踏から離れていると、なおさらそう思うのかもしれない。
そしてたぶん、最近また中野・江原の人たちの、あの絶えまなく熱くそして冷静な活動に触れ(*1)、そしてあるいはまた、あの小金井の人たちの、子どもたちへのあの透明な熱意にくらべ(*2)、ぬるま湯につかったような大学教師のぶざまなすがたがまる見えになってきたからなのかもしれない。
そしてあるいはたぶん、卒業生A君の、「生きているか」と訊ねるような、そんな彼の息吹きの聞こえるような定期通信が刺激となっているのかもしれない。
そしてまた、ことし卒業していったB君の、「なにかしなければ、だめです」という分れぎわの一言が「とどめ」になったのかもしれない。
   *1 東京・中野区の江原にある小学校の改築にあたり、地域・校区住民の意向を重視することを区に要望した「運動」。
      この「運動」は、結果として中野区独自の「教育委員準公選制」の実現に至った。
   *2 東京・小金井など多摩地域の、いわゆる知的障碍のある子どもを抱える親たちが、子どもたちの「生涯を支える施設」設立を願って起こした運動。
      この運動は知的障碍者支援施設「そだち園」として結実した。

いずれにしろ、私のなかに、安易に流されてゆかないための支えとして、何かをしなければならない、という気が沸々とわいてきたのである。しかし何ができるか。
とりあえず、ばかげたことなのかもしれず、単に自己満足にすぎないのかもしれないが、毎月一度のつもりで、「つくる」人と「つくられる」人の接点であるはずの身辺のことどもをとりあげ、私見を述べさせてもらい、共通の話題となることを願いつつ、いままで私の会ってきた人たちに、まったく一方的にお送りすること、それならばできそうだ、もしそれで、はなれていても話ができるなら、そんなうれしいことはない。
そんなこんなで、これから息の続く限り、押しつけがましくもお送りさせていただきます。ご笑覧ください。そして、ご意見があれば、是非お聞かせください。
                                                                                      下山 眞司

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

限界集落?

2016-02-04 15:18:23 | 近時雑感

今日は立春。しかし、春は名のみの風の寒さよ・・・。まさに、「早春賦」の詩の通り。
朝夕の散歩、陽光は春の気配ですが、風の冷たさが応えます。
しかし、その寒風のなか、沈丁花は、葉は少し霜で焼けていますが、咲く準備が整っているようです。


もうすぐ大震災から五年になります。被災地の復興はままならないようです。
先日の新聞に、現地で行われている高台移転事業の実態についての記事が載っていました。
それを読んで、私は二点ほど違和感を感じました。

一つは、この高台移転は、「限界集落」を造っているようなものだ、というもの。
移住するのは高齢者が主。若い世代が欠けている・・・。直ぐに、廃屋の街になるのではないか・・・。
「限界集落」というのは、人口構成が、高齢者が主で、いずれ人が居なくなる:消えゆく運命にある集落、ということらしい。
誰が名付けたか知りませんが、ずいぶんと冷たい言いようです。これでは救いがない。
第一、それを言うなら、少子・高齢化の進んでいる日本という国自体が「限界」ではありませんか。「限界国家」・・・。

もう一つの違和感は、津波対策は、高台移転だけなのか、ということ。
これは、津波の高さ以上の堤防を造るというのと同じ発想。高台のないところはどうする?
確か、南海地震の津波に襲われることが想定される四国のある町は、高台が近くにないので、被災想定地域の各所に、人工の高台:津波に耐えられる(櫓のような)構築物:避難所を用意しておくことを考えているとのこと(既存の中高層の建物も利用するらしい)。
この方策の方が優れているように思えます。なぜなら、人々の現在の暮しの様態を損なう恐れが少ないからです。

要は、こういう計画は、計画立案者が、人々の「暮しのリアリティ」にどれだけ思いがいたるか、ということに尽きるのだと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歳の初めに・・・・「民主主義の住み家」は何処に

2016-01-01 15:20:43 | 近時雑感

冬の庭には、鳥たちがよく遊びに来る。ヒヨドリ、ホオジロ、メジロ・・・・など。
カメラを向けると直ぐに気づいて、なかか撮れない。
ヒヨドリ、メジロのお目当てはサザンカの花。このメジロは、二年ほど前の写真。こんなに近くで撮れたのは珍しい。


年の暮れに、「来年は、もう少し真っ当な世の中でありたい」と書きました。
web 版で読んだ大晦日の新聞各紙の社説も、全てではありませんが、大方はそのような趣旨のように見受けられました。
観念的、抽象的な論の展開が多い中で、信濃毎日新聞の社説は、具体的な事象を取り上げていて分りやすいように思えました。その論調は、元旦の社説にも引き継がれていました。
下に全文を web 版から転載させていただきます。

特に、元旦社説に書かれている「松本深志高校の自治会」の様子、戦後間もなくの頃の「わが国の教育の様態」についての箇所では、私は私の小学校五・六年生の頃を思い出しました。毎週開かれた学級集会(名称を忘れた!)は、まさに「民主主義」を具現化したものでした。五・六年の担任だった若い戦地帰りの先生が(私たちの10歳ほど年上にすぎず、現在90歳ぐらいでご健在)、私たちに「民主主義」の何たるかを、身をもって分からせてくれたのです。そこで学んだことは、今でも、私の中に活きているように思います。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早くも師走

2015-12-04 11:00:06 | 近時雑感

神社の杜の大イチョウ
今年は、例年になく暖かいように感じられます。
それでも、昨日、今日は薄っすらと霜が降りました。氷はまだです。
今日は日差しもありますが、先ほどから北西風:筑波颪が吹き出し、空気が冷たくなってきました。輝いていたイチョウも冬の佇まいに・・・。

発症以来、もうじき二年(発症した2013年も入れると三年)が過ぎます。[文言補訂]
左手左脚のシビレ感は相変らずで、動きの微妙な調整に難がありますが、杖なしで歩けていることだけでもよしとしなければ、と思うことにしています。[文言補訂]
それでも、寒いときは、外に出るときかなり慎重になります(医者からも、注意するように言われています)。

暖冬とはいえ、今週末から冷え込む予報。皆様、くれぐれも体調にお気を付けください・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする